母性のスイッチ…錆び付いていたという話し
世のお母さんたちは、産後すぐから母性ってあるのでしょうか?私は無かったんんだと、今考えると思います。よく、妊娠期間の9か月分、母親は父親より優位なんて言われますが、私の妊娠期間はあってないようなものだったのかも。父性のように母性を獲得してきた気分。今日はそんな話しです。
私は、30代前半までは自分が結婚するというイメージさえ湧きませんでした。ず〜っと独身でいるのだと、自分も、そして周囲も信じて疑わなかった。自分の母親でさえ、そう思って(諦められていたのかも…)いるような、頑固な個人主義。
それが今では結婚し、なんと子どもまでいる。びっくりです。
だから、最初は母としてけっこうひどいスタートだったように記憶しています。その時は何がなんだか分からないまま、お腹が大きくなって、出産して。って感じ。だからあんなに難産だったのか(陣痛室40時間、分娩室7時間の、結果吸引分娩でした)と、今考えると息子に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
母性のスイッチ?というものがあるのならば、それがポチッと押されたな?という瞬間がありました。それは「添い寝」です。
産後、産院で教えてもらった通りに3時間ごとの授乳、足りない分はちゃんと規定量のミルクを足す、と模範的に育児をしていました。ベッド脇にベビーベッドを置いて。
でも、生後2か月ごろから乳児湿疹が悪化し、かゆがって寝られなくなると、ひたすら自分のベッドで抱き続けて夜を明かすという「なんだ、この悪魔の所行は?」というひどい状況に陥りました。私はまったく寝られず、睡眠は座ったままうつらうつらするだけ。
あまりの状況に添い寝を始めました。
実は添い寝が恐かったのです。押しつぶしてしまいそうで。でも、母親って、ぜんぜん気持ちが追いついて行っていない状況でも、やっぱりちゃんと母親ですよね。ものすごい微妙は気配ですら、ちゃんと起きれるものです。産後は脳のOSがママバージョンにアップデートするんだと気づきました。
そして、なんだかフニャフニャの赤子を抱いて寝ていたら、急に母の心がふつふつと湧いてきたのです。この、自分の脇で寝ている小さな生き物がとても愛おしい。
産後すぐ、自宅に帰ってきた当初は、「なんだかよく解らない、この小さなよく泣くものの取扱説明書はありますか?」と産院に電話をかけたいような、不安な毎日だったことを昨日のことのように思い出します。なんてひどい母親だ。
そう思うと、息子のアレルギーも私には必要なものだったのかな。息子はきっと、普通よりも苦労をしますが、ちゃんと息子の立場に立って、応援し続けることでしか、返して行けない借りを担った気分です。母ちゃん一緒に頑張るからね。安心してろよ。
今はちゃんと息子を可愛いと思えるだけの母性は身につけたと自負しています。
まぁ、「わが子だけは特別に可愛い」というほど、溺愛するような母性にまでは行けていないので、まだまだかもしれません。よその子も可愛い。逆に自分の子は「可愛い」だけでは済まされないことが多く、時に厳しくなりがちです。
ある種、盲目的な母の愛に憧れる自分がいる。そうでなくちゃ、子どもを育てることなんてきっと出来ないのだと信じる自分がいる。いつかそれを獲得できるよう、これからもスイッチを探し続け、押し続けたいと思うのです。
子どもや赤ちゃんの「食」って本能だよね?と思う。
子育てで最初に困難を感じたのが「離乳食」って方、案外多いんじゃないでしょうか?それまでおっぱいやミルクだけだったのが、慣れない離乳食作りが始まり、2回食、3回食と負担も増え…頑張って作ったのに食べてくれない!投げる!?なんで髪の毛にご飯ついてるの〜!?ってなってくる(あれ?うちだけ?)
私も最初は頑張って作り、食べてくれないと「何がイケナイんだろう」と思い悩み…。前に喜んで食べてくれたから作ったのに、器ごとひっくり返されて泣きたくなることもありました。
あまりにストレスだったので、ある時、頑張ることを止めてしまいした。
それからは食卓に持ち込むルールはただ一つ。楽しく過ごすこと(食べることじゃありません)。
息子はアレルギーもあり、偏食もすごかったのです。1歳代は白ご飯と海苔、リンゴぐらいしか食べませんでした。でも、それでOK。朝は食べられるもののみで腹を膨らませて園へ送り届けます(腹ぺこじゃ可哀想だと思ったので)。
離乳食完了期を過ぎた頃からは、大人の取り分けメニューをワンプレートに一応並べ、そこへ好きな物で彩りました。アレルギーだった小麦が完治していたのでうどんやパンが好きになりました。チーズや果物、海苔、納豆なども好んで食べました。息子は好きなものだけで食事を済ませてしまうことがほとんどでした。普通で考えたらかなりの“甘やかし”だと思います。
でも「好き嫌いなく食べようね」と言ったことは、あれ以降一度もありません。たまに「食べてみたら?美味しいかもよ」とは言います。
私は、子どもの食って本能だと思っています。
甘いおやつをのべつまくなし食べているような環境ならまた話しは別ですが、お腹が空いていれば、ちゃんと体が欲求している食べ物を食べるものです。食べないのであれば、アレルギーとまではいかなくても、何かしらの違和感を感じている可能性もあります。主治医からも「嫌がるものは無理に食べさせないで下さい」と言われていることもあります。
実際、息子は小さい頃嫌いだった魚もマヨドレも、今では大好きです。
きっと、魚の飼料となっているエサのアミに反応して食べられなかったのかもしれません(エビがアレルギーだったのが治りました)。マヨドレも微量の卵が混入していたのかも。
なんにも言ってこなかったけれど、4歳になった今、食べられる野菜も増えてきました。保育園ではほぼ残さず食べるようですが、家でもキュウリやもやし、エノキ、ワカメ、ポテトサラダ、小ネギなどが美味しく食べられるようになりました。メニューではハンバーグや餃子、麻婆豆腐などがテッパンです。白ご飯と海苔とリンゴから比べたらものすごい進歩です。
ここからはかなり暴言なのでハナシ半分で聞いてくださいね。
よく3歳までに食べたものは好きになると言って野菜などを好き嫌いなく食べさせようとしますが、小学校や保育園の献立表には、子どもが野菜嫌いで良い理由がちゃんと書いてあります。材料が「熱と力になるもの」「血や肉や骨になるもの」「体の調子を整えるもの」の3つに分かれているでしょう?子どもはまだ、整えなくても調子が良いのです。きっと。整えなくてはならなくなったら、勝手に食べるようになります。きっと。
うちではそう信じて、ひたすらにこやかに食卓を囲んできました。息子が「〜が食べたい」と言えばあるものなら出します。無ければしょうがないですけどね。
本能と言えば、風邪の後、うちの息子はいつも食が細くなります。今の食卓ルールを取り入れる前は私も「何で治ったのに食べないの?わがままかな?」とイライラしたものですが、今は食べない時はそのままお皿を下げてしまいます。
野生動物は調子が悪いと食事をすることを止めてしまうそうです。そして食事に使うエネルギーをセーブすることで、自分の治癒力で体を治すそうです。それが野生の本能なんだとか。人間の子どもも、大人よりは野生を残しているのかもしれませんね。
まぁ、そんな荒療治的なことが出来るのも、息子が標準以上の体格をしているからで…小柄ちゃんのお母さんの苦労は計り知れないですが。
LEGOウイークエンド
雪国の春って、案外子どもとの外遊びには適さないもので…最近、毎週末出不精です。息子も去年までは服や靴が泥だらけになるのも厭わずって感じでしたが、ことしは5歳を前にゲームを覚えたこともあり、あまり出たがりません。
ずっとゲームやテレビでも不健康なので、先週末は家族でレゴブロック遊びにハマってみました。
レゴと言えば…
去年のクリスマスにサンタさんが運んできたのは、やはりレゴブロックでした。
レゴニンジャゴーの乗り物と建物。
やはり、息子にはちょっと難しすぎたようで、ほとんど大人が組み立てました。もちろん、一緒に説明書を読みながら、パーツを探したり、出来るところは組み立てたりしながらですが。
で、出来上がったモノは、あまりにも完成度が高すぎて、壊せない。なんか、遊び方が「ブロックである必要があるのか?」って感じで…なんだかねぇって思ってたのです。
そんな時、たまたまお下がりのレゴブロックをたくさん頂きました。そしてこれが存外よかった。
関節パーツや薄い板状のブロック、タイヤ、キャタピラなどなど、本当にいろいろな種類がたくさん入っているのですが、何一つきちんとは完成しないんじゃないか?というぐらいにてんでバラバラ。レゴシティーと思われる乗り物の一部やレゴニンジャゴーっぽいパーツ、BB8とかもいる。面白い。
そこに、さらに同じような中古パーツを買い足したら、3段のプラスチックケースの1箱にいっぱい詰まるぐらいハチャメチャパーツが満載になりました。
イマジネーションだけで組み立てる。完成度があまりに低すぎてお見せできるような作品にはなりませんが、親子でシーソーやらブランコやらを作って公園にしたり、飛行機を作ったり、建物の建設にチャレンジしたり…童心に返って遊びました。気づけば息子は半日以上も無心に組み立て続けていました。私は途中で離脱したり、いろいろ自由にする時間も取れちゃったりしたわけです。呼ばれればすぐに戻ってまたレゴ遊び。
普段、一緒に公園で遊んだりすることはあっても、家に帰れば私は家事がメイン。義父同居のため料理もあまり手が抜けず(抜いてますが(笑))、息子には寂しい思いをさせることも多いです。なかなか一緒に遊ぶことって少ない。それに、遊ぶと言っても、ままごとめいたことや戦いごっこなど、これまでは遊びのレベルも幼稚で、なかなか大人が本気で楽しめることって少なかったような気がします。まぁ“合わせて”いる感じでしょうか?そういう雰囲気って案外伝わっちゃいますよね。「すごいねぇ」って大げさにリアクションしてみたり(笑)。
でも、子どもの発想力は大人の知恵や知識を凌駕することも多い。あり得ないパーツを使って思いもよらない技を見せつけてくれることもあります。そして、本当に大人も本気で遊べちゃいました。「お父さん、お母さんも本気で楽しんでくれてる」って感じ、子どもには結構嬉しいことなんじゃないかな?って思います。5歳を目前に、微妙にややこしいところが出てきた息子との距離感が、ちょっとだけ縮まった気がしています。
夫婦喧嘩を4歳に仲裁され…情けなすぎる
奇しくも国際女性デー前日に、夫婦喧嘩。
ことの発端は私の確定申告。私は個人営業主で、税制上は扶養に入れませんが、旦那の会社の規定により健康保険の扶養に入れてもらっています。毎年、旦那の会社に写しを提出しなければなりません。
6日に確定申告したのですが、ちょうどプリンターのインクを切らしていたため、その日はコピーできず、翌日私がインクを買ってきて7日、複写。旦那の帰りを待って手渡しました。
「これじゃない」と。
私「保育園へ提出する書類もこれだよ」
曰く、税理士だかの印鑑がいるようなことを言われたというのですが…旦那の記憶があまりにうろ覚えで意味が分からず…。でも「これじゃないと思う」と。
「思う」で私にもう一度、税務署の行列に並び、時間を割いて聞いてこいということですか…。ちょっとは自分でも調べたり聞いたりしてよ。
「私の時間は湯水のように湧いてくると思わないで欲しい」
とブチ切れてしまいました。
言い訳ですが
3月って本当に忙しいのです。保育園へ提出するアレルギーの診断書も取りに行かなければならず、確定申告書はもちろん保育園へも提出しなければなりません。さらにことし私は地区の女性副部長なる役も仰せつかってしまい…。もちろん、息子の小集団のリハや、新年度へ向けての発達外来の受診へも行かなければなりません。もう、本当に毎日毎日タスクが重なっていて、ぎっくり腰を勃発。さらにこの日は、インクやお菓子など旦那と息子からの頼まれ買い物がいろいろあって、痛い腰を抱えながらスーパーやコンビニなどをはしごして揃えたりしていたので、さらに沸点が下がっていました。
私も仕事をしています。かなり時間に自由がある働き方なので、旦那とすれば買い物でもなんでも「頼めばやってくれる」のがあたり前になってしまっている気がして…。
旦那は「そんな風に思ってない」と言うのですが…。
主婦なんだから、買い物も家事も家の用事もメインでこなすのが当たり前。君の仕事なんて片手間でやってるんでしょ?と思っているんじゃない?と詰め寄ってしまいました。
旦那は料理以外は案外なんでもやる方です。“女だから”“男だから”という考えにしばられる性質も持ち合わせていない方だと思います。でも…本当にそうなのかな。
結婚後の“私”は果たしてちゃんと尊重されているのか?ここで引き下がったらイケナイ気がして、いつもは私から仲直りできるよう心を配るのですが、今回ばかりは「今日は私からは謝らないからね」と断言。
するとどこかで聞いていた息子が(普段あまり喧嘩をしないのでびっくりして黙っていたようです)旦那と私の手を引き向かい合わせて
「ごめんなさいは?」と。
もう、情けないやら。
息子のおかげで冷静さを取り戻しました。
でも、なんだかタイムリーな喧嘩だったな…と(笑)すっご〜く小さいネタですが!
でも、家庭内から変わらないと変わらないですもんね。特に子育て家庭は、その夫婦の様子を見て子どもの男女感が育つのだと思うと責任重大な気がします。
わが家は息子なので特に責任を感じます。将来結婚した時に平等な家庭を築ける男に育って欲しいものです。
カリッのやつ
キャットフードじゃないですよ。
よく行くスーパーのレジ店員さんに「これ、結構美味しいんですよね」と声をかけられました。指差す先には、お買い得コーナーの山からつかんでぶち込んだ「ベビースターパンメン」2袋。
実は買ったのはこれが2度目。先日、息子がテレビCMを見ていて急に「あのカリッてやつ食べたい」と言い出したので「じゃあ今度母ちゃんが買ってきてやる」と請け合って買い、こっそり2人で食べたらとても美味しかったんです。で、再購入しました。
ちなみに2人で食べたのはオリーブソルト。その時カゴに入っていたのはやさしいチキン味とオリーブソルトの2種類。
よく話しをする店員さんで、あちらは中学生の子どもがいるということまで知っている間柄だったので「息子にCM見て食べたいって言われて買ったら、美味しくて私がハマっちゃったんですよね」と返したら「うちも全く一緒」と言われました(笑)!
男の子に直球なCMなんだろうか?4歳と中学生だけど…。
ちょっと笑っちゃう。
余談ですが、息子は
「♪おやつカンパニー」の部分を「♪おやつたっぷり〜」と歌います。願望か?単なる聞き間違いか?面白いので母も一緒に「♪おやつたっぷり〜」と歌いながら食べました。
子育て職の地位が上がらずして、何が少子化対策、子育て支援なんだか
タイトルのようなことを、ここ最近、ず〜っと思っています。
そしてキウイさんの記事を読んで「やっぱりねぇ」と思ったので、こんなところで書いてしまおう!と思い立ちました。
勝手にスミマセン。
このようなことを思うようになったのは息子の園児生活を通してです。息子は手のかかる子どもで、その彼はことしで園児歴4年目の年少児。なので、かれこれ3〜4年は考え続けてきました。
「子どもが少ない!産まなきゃ!育てなきゃ!」ってなってるはずなのに。子どもを育てることに対しての評価とか価値が低い気がするのです。この国の、主に、中年以上の男性方にとって、特に。
実際保育園に子どもを通わせていると、先生方には頭が下がるばかりです。
息子は発達に偏りのあるタイプで、言葉も遅く、要求値の高い乳児でした。今ではペラペラと良くしゃべるようになりましたが、まだ発達外来やSSTに通っています。母的にはADHDを疑っていますが診断はついていません。
さらに食物アレルギー持ちで園の給食は除去食対応してもらっています。調節性内斜視もあり、治療用の遠視用眼鏡をかけています。
保育士さんにとったらとっても面倒な子どもだと思うんですよね。
でも、これまで担任してもらった先生たちはどの方も、息子のリハに一緒に通ってくれ、知識もあまりないだろうアレルギーの問題も一緒になって勉強してくれる方たちばかりでした。「プロなんだからちゃんと勉強してください!」「そんなことも知らないんですか?保育士なんでしょ」なんて言うお母さんもきっといるのかなぁ?と思います。
でも私は知っているのです。先生もまたお母さんなことを。
これまでの担任の中には正職の人もそうでない人もいましたが、けっこうな割合で同じような年頃の子どもを持つお母さんでした(現在息子のクラスは小校低学年の娘持ちママ保育士さんと若い男性保育士さんの複数担任です)。ママ保育士さんは息子の夕方からの診察にいつも付き合ってくれます。「先生だって本当なら早くお迎えに行きたいよね」と心の中で思っていました。家に帰ったら怒濤の家事育児で、人の子どものために勉強する時間なんて、正直ないよね?とも。
発達障害や食物アレルギーに対する勉強も個人の裁量の中でやっているようでした。
これって、ワーキングママ的にいったら、かなりバリキャリな働き方な気がします。フルタイム復帰で残業あり、さらに自分で勉強して上を目指せってことでしょう?4年間定時お迎えを貫きながら仕事しているわが身の、なんと中途半端なことか。恐れ多くて同じワーママとして並べることすら出来ません。
その給料が…。
スミマセン、キウイさん…本当に驚きです。
自治体や園によっても違うのでしょうが、まぁ遠からず…なんだと思います。
過去に、田中角栄だったかな?教師の給与を変える法律だかを制定したために、それまで女性ばかりだった教員に男性が増え、人手不足が解消されたんでしたっけ?
今また、教諭も保育士も、待遇の変更が必要なんじゃぁないでしょうか。
保育士の社会的地位が上がれば、それを家庭内でこなす主婦・育児の仕事の重要性も見直されて行くように思います。「保育士の仕事って子どもと遊んでるだけでしょ」なんて間違っても出てこない世の中になって欲しいものです。
拘束縦羽交い締め抱っこ
2歳のイヤイヤ期は、私にとって闇の記憶しかありません。本当にブラックな時代でした。闇すぎてもはや記憶喪失を起こしているんじゃないか?と思うほど思い出せない。
ですが、下の記事を読んでいたら、そんな時代の心の闇がふつふつと思い出されてきたのです。
中でも、
紙で何かを作っていてうまくできないと大泣き、何かを見つけそこに行こうと車道に飛び出しそうになるのを止めると寝転んで大泣きしたりとこの時期が一番大変な時だったなと思います。
このくだりを読んでいたら当時の自分の姿が客観的に脳裏によみがえり、なにかヘンな物が胸の中に渦をなしてきました。こちらの方のお子さんも、スーパーへの道順にこだわりがあったようですが、わが息子も言葉も始まらないうちから道順だけは良く覚え、自分で勝手に車窓から見える風景を照合しては「あそこへ行けるはず」と思い込んで、到着地点が違うと手がつけられないほど泣いて抵抗する、というようなことがよくありました。皆さん、同じようなことで手を焼いています。
まぁ、子育てですから良いこともあったわけですが、その中でも、ちょっとは建設的な記憶をたぐりだして書いてみようと思います。
一般的な子育てにも(きっと)活用できるだろう、スーパーや子育て支援センターなどでイヤイヤを起こした2歳児をその場から強制撤退させるのに適した方法です。名付けて「拘束羽交い締め抱っこ」。名前だけ見ると「コレ、ぜったい虐待でしょ」な感じですが、当時は虐待まがいの泣き声が日常だったことを考えると、これで正しいネーミングだと信じます。
息子は、すべての要求を“怒り泣き”で伝えようとするのが常習でした。息子の大泣きにはほとほと疲れ果てていたのですが、それでも、なにかの発達の足しにならないか?と毎日、朝の支度を30分早めて散歩の時間を捻出し、散歩をしたり、スーパーへの買い物も、白い目で見られることもいとわず、懲りずに続けていました。
当時の私の育児スローガンは「殺さない」&「死なない」。
理想もタスクも地よりも低く。今日のタスク、一日を息子を殺さずに終えること。
ですが、その地よりも低いタスクさえ危うくなるのが闇の育児です。車道へ飛び出さないように、駐車場へ飛び出ていかないようにしないといけません。それがとても難題なのです。
先日、職場のイクメンパパと話していたら(3歳を迎えたばかりの娘持ち)「おこめさま抱っこ」なるものを考案したと話していましたが、想像するに子どもを米俵のように担ぎ上げるスタイル。パパ&娘だから出来るのだろうな。
わが家は現在4歳時点で21キロ、120センチの、筋肉質で体格発達(だけ)は優良な男子。イヤイヤ期の体重は忘れてしまいましたが、きっと重かったことでしょう。
なので、ガタイのいい、高緊張型の男子に合った抱っこ法を提案いたします。
拘束羽交い締め抱っこ法
まず、ポジショニングですが、母の腹に息子の背中をくっつける形です。カンガルー親子のポケットなしバージョン。そのスタイルで息子の左肩から股間〜右腿に向かって自分の左腕をのばし、つかみます。婿はちょうど助手席でシートベルトをかけられている状態&股間、右腿を拘束されている形になります。これだと、さすがの息子も抵抗の余地がありません。突っ張ろうが、のけぞろうが、手も足もどこにもひっかからないので。背は母の腹の肉に埋まるばかり、手足は空を掴むばかり。そのうちに抵抗の力も弱まります。
さらに、抱っこの時間が長くなるようなら、右手で子どものお尻の下から自分の左手を迎えに行き、がっちり手をつなぎます。ちょうど、手をブランコにしてしまう感じです。ぐんと楽になりますが、その際も左腕で子どもを自分のお腹の方へ抑えることを忘れずに!
息子は脚の力も腕の力もすごく強かったので、通常のだっこでおとなしくさせるのには限界があるのです。検診などで、保健師さんと立ち話を始めたが、息子を野放しにすると周囲の子どもに危害を与える可能性&外へ出て行ってしまう危険が!って時にも役立ちました。スーパーで言うことを聞かずに車へ連れ去る際にもこの抱っこ法で乗り切りました。
息子は体幹がしっかりしているというのか、がっちりしていいて、抱かれていてぐにゃりとずり抜けるようなことはありませんでしたが、子どもによってはこの抱っこ法では無理な子もいるかもしれません。息子の通う保育園に4児の母がいるのですが、彼女は小柄で子どもも小柄なために、現在2歳の一番下の男の子をよく小脇に抱えています。子どもと母にあったスタイルがあるのだと思います。(うちの息子を(2歳時でも)小脇に抱えると、手足と頭、全身を使って身もだえるため落としそうになりました)
(ちなみに体幹がしっかりと書きましたが、姿勢はしっかりしません。座位がすぐに崩れます。椅子からズリズリと斜め姿勢になったりします。リハの先生にバランスボールやスラックラインなどやったほうがいいか相談したら、そういう問題ではないかもしれない、と言われました。視線が定まらないために姿勢が定まらない子もいるようです)