どんな赤ちゃんも、ひとつのパーソナリティだよね
高齢出産で、未知の育児に翻弄された毎日も、そろそろ丸5年になろうとしています。
5年目にして思うのは、
“赤ちゃんは”とか“2歳児は”ってカテゴライズすると、分け分かんなくなっちゃうよね。ってこと。
息子は結構いろいろな意味で規格外なので…。
もう、新生児室からして
育児本で読んだ
「新生児はほとんど動きません」
↑
これ、ウソでしたから。息子の場合は。
生まれたてで乗せられた台の上でゴソゴソしていて、母と義母が「落ちる」って話していたのを私、産後の処置をされながら聞いていましたから。
でもね。ネットで検索しちゃう訳です。
「生後7か月 発達」とかって。
すべてが無意味だったとは思いませんが。
でも、今になって思うのは、その膨大に費やした時間の何割かでも、息子のパーソナリティを理解することに使ってあげた方が、なんぼか建設的だった。
息子はよく動きます。よく食べます。これだけでも、赤ちゃんのうちから知っていたら、どれだけ精神的に救われたことでしょう。
「なんで授乳間隔が開かないんだろう」じゃなくて、
「おうおう、よく食べるいい子」と思った方が母的にも楽。
「いつも走り回って、大丈夫かしら?」と思うより
「さすが男の子。すごい運動量。きっとどれだけ食べても太らないし、これだけ身体機能が発達しているなら、なにかのプロ選手にでもなるのかしら?」と思っていた方がよっぽど建設的だし、子どもの自己肯定感を育てるのにもいいと思うんですよね。
発達障害って、出来ないことをなんとか人並みに出来るようにするアプローチだと、出来るようになってもやっぱりどうしても人並み以下で、自信にはつながりにくい。自分を顧みてもそうなんです。
それよりも、苦手なことは苦手なことと意識して、なんらかの手だて(工夫や技術)を習得し、時には「やらない」選択肢も用意するぐらいにして、その分の時間を有意義に使って得意なことを伸ばしてあげた方がいいのじゃないか?と考えるようになりました。
なんで「赤ちゃん」ってだけで、なんでも育児書通りじゃなきゃ不安になってしまうのか。誰かの軌跡を追うだけの育児なんてつまんないんじゃないか。
子どもが小さい頃に旦那が録画してくれていた、生命の不思議的なテレビ番組。もう、ほとんど内容は忘れてしまいましたが、その中でとても印象的だったことがあります。
「受精卵は均等に分裂するものとしないものがある。ある受精卵は右側から、ある受精卵は一部分から」というような。。。
受精卵って2つに分裂し、それが4つになり、倍々に分かれていくって子どもの頃習った記憶があります。そうじゃないんだ!こんな頃から個性があるんだ!って衝撃的でした。
きっと息子は受精卵の頃から個性的だったんだろうな。
そんでもって、
まぁ、個性的な私と、旦那の子どもなんだから、育児書通りな訳がないんだ。
そう思ったら、検索回数も減りました。
子育ては子どもの個性を探す旅。
必要なのは地図のない航海に挑む覚悟。
姫路市のこども園ニュースに|日本の保育、大丈夫ですか〜?
息子と旦那がニュースを見ながら会話していました。
「こんな給食じゃお腹へって泣くよね」「これ、だれのご飯?赤ちゃんの?」
そこに参戦した私。
「ひどい大人がいたんだってさ。ご飯ちょっとで、ここの保育園の子どもたち可哀想だね」
息子「お腹ペコペコになっちゃうよ。え〜んって泣いちゃうよ」
なんだかね。確かにここの園長先生だかには憤りを感じます。が、
こんな事件が起きちゃうほどに日本の保育事情は悪化しているのかと、ちょっと…。
ここだけの問題にしてていいのかね。対岸の火事と傍観していていいの?
少子化なんでしょ?生まれてくる子ども少なくて困るんでしょ?国だって頑張ってるんでしょ?じゃあなんで保育園がこんなことしちゃって、それで、そこ通っちゃう親子が出てくるんだ。
私たち子育て世代がそれだけ弱い立場だってことじゃないの?そこが一番の問題なんじゃない?
保育士の地位も上がらないし、もちろん、家で子育てしている保育者の地位も立場も。
もっと、なんか…さ。うまく言えないけど。。。
ごめんなさい。支離滅裂で。
「ちょっとでいいからひとりにして」って思うぐらい頑張ってるってこと
子どもは可愛い。それなのに、なんで「少しでいいから自分の時間が欲しい」って思っちゃうんだろう。言葉が遅くて心配して、あんなに早くしゃべって欲しいと思っていたのに、どうして今は「ちょっとでいいから黙ってって」って思っちゃうんだろう…。
私、母親として大切な何かが抜け落ちてるのかも。
しゃべり始めた2歳後半ごろから、ずっと、息子の要求に振り回されている感が半端無く、男の子ですが、なぜか「おままごと」にハマり、延々と続く「どうぞ」「ありがとう」のループ。3〜4歳は「戦いごっこしよう」からスタートするエンドレスの「ごっこ遊び」。手の指を青虫に見立てた「青虫ごっこ」…。数えればキリがありませんが、かわいらしい遊びなのに、私はなぜか途中で疲れてしまうのです。本気で楽しんであげられない。寝顔を見ては「こんなに可愛いのに、息子との時間を心から楽しめない私は母失格」と自責の念に苛まれていました。
一生懸命にブロックを組み立てる小さな手を見ては愛おしさが溢れ「どうしてもっと息子に一生懸命になれないのか」自問自答し、自分は何かおかしいのじゃないかと。
そんな風に思っていました。
もちろん、アウトプットは良い母親を頑張っているつもりです。
生活はもう、本当に息子第一です。
発達外来や小児眼科、歯医者、皮膚科などへの通院も最優先事項です。週に何度も早お迎えで通院することも多かったです。仕事をしながらそれが出来る環境に身を置いていることは、本当に感謝してもしきれないほど。
でも、時折「ちょっとでいいから…」が心の中に顔を出します。多くは息子の要求が頻繁過ぎて夕食の準備がはかどらない時などに、ひょっこり出てきます。
その度に自己嫌悪。
発達外来に通っているから、助けられた部分も
2〜3歳代は本当にそんな感じで、とてもツラかったのですが、今考えると、定期的に通う発達外来での受診やリハなどで、専門家の話しが聞けることが救いになっていました。わが家の場合は、特性からなのか“自分ルール”の遊びばかりになってしまうことが多く、それも余計に疲れる要因かもしれない、と教えてもらったのも発達外来ででした。リハの先生だと、自分ルールにならずに図形あそびなどに取り組める姿を見ることで、家でのかかわり方に取り入れてみたりもできました。
この時間や情報が無かったら、もっと追いつめられていた気がします。ママ同士の愚痴の言い合いもストレス発散にはなりますが、専門家の意見を聞けたことで、自信を持って対処してこられた。5歳直前の今では、「お母さんちょっとハンバーグ作るから〜時まで待っていて。〜時になったら一緒に遊ぼう!」と時計を見せて言えば、少しだけならひとり遊びも出来るようになり、とっても楽になりました。私の提案で一緒にテレビを見たり、自分の作りたいものじゃないものを協力してブロックで作ることも出来るようになってきています(本当に楽しんでいるかは微妙(笑))。
振り返ると、頑張りすぎていた自分がいる
当時は自己嫌悪だらけだったけれど、今、振り返ってみると、私、結構頑張っていたなぁと思います。
同居家庭で、もうすぐ80のおじいちゃんの食事作り。そして息子もアレルギー対応食。晩ごはんの準備はかなりハードです。でも、もっと手が抜けたはず。もっと手を抜けば、そんなにイライラすることもなく、息子と遊べたかも…。
自己嫌悪に陥るぐらいなら、単品メニューで済ます日を作っても良かったのかも。旦那のお弁当、たまには作らずカップラーメンでも良かったのかも(笑)。
そしてね、自分の時間が少しずつ持てるようになって、皆さんのブログなんかを見ていると気がついちゃったのです。案外たくさんのお母さんたちが「ちょっとでいいからひとりの時間欲しい」と思っているんだって。どんなに一生懸命なママだって、いつでも聖母マリアみたいにはいられないことを知りました。
子どもとの時間をたくさん過ごしている証拠
子育てって24時間営業、年中無休。どんなに好きな仕事でも休息が必要なように、本来、ママにもお休みが必要なのかも。いや!必要なハズ!!どんなに大好きな子ども相手でも、お休みが無ければ追いつめられて仕方ないと思います。
「あ〜、たまにはひとりになりたい」と思うってことは、それだけ子どもとの時間をたくさん、真剣に過ごしているってことの証。たまに、心の中で子どもに優しくないことを思っても、それはそれと割り切った方がいいんです。そんなことで自分に無駄なペナルティを課して、逆にストレスを溜めるなんてナンセンスです。やっとそれに気づきました。でも、今だから言えること。当時の私は相当悩んでいたんです。だから、今現在悩んでいるお母さんに悩まないで、と言いたいです。
通常、たまにしか面倒を見ない父親は、たまの育児を目一杯楽しめる人が多いようです。お父さんもしっかり「主夫」している場合はやっぱり、「少しは自分の時間も欲しい」と思うのかな。そんなパパたちにもぜひ伝えたいです。子育ての悩みは男女を超えて共通だと思うので。
父性的関わりを増やしていこう
お父さんと言えば、少年期を迎えた男の子にとって「父性的」な関わりはとても重要だと私は思っています。そしてその役割は女性でも担えるものだとも。
息子ももうあと少しで5歳。なんだか急に少年らしくなりました。体が大きいので余計に幼児っぽさが抜けたように見えるのかもしれません。本人も最近は「もう赤ちゃんじゃないよ」と言うようになり、自立心も芽生え始めたように感じられます。
乳児は「しっかりと肌を離さず」
幼児は「肌を離して手を離さず」
少年は「手を離して目を離さず」
青年は「目を離して心を離さず」
こんな感じの言葉があるようです。記憶頼りなので細かい部分は少し違うかもしれませんが。
乳児〜幼児期大切なのは、しっかりと抱きしめ守る「母性」。これからは、冒険を“見守る”時期。べったりし過ぎて双方が疲弊してしまうよりも、少しずつ、息子の手を離していく時期にさしかかってきたように、普段の息子とのやりとりからも感じています。
ママもまだまだ必要な時もあるかもしれませんが、干渉しすぎず、いい距離感を保ちながら子育てしていきたいなぁと思います。
子どもの読み聞かせで出会った!今を生きる大人にぜひ読んでもらいたい絵本
若い頃から読書好き。でも、子育てしてると読むヒマもない。仕事が始まって、さらに時間がない!なので、息子の寝かしつけ読み聞かせタイムは、いまの私にとって唯一の読書タイムでもあります。
自分が子どもの頃、家に絵本らしい絵本があった記憶がありません。ちょっと大きくなってから、童話シリーズや「少年少女世界文学」的なシリーズものを定期購入してもらっていた記憶があります。
小さいころに家にあった絵本は
こんなんとか。
まぁ、子どもっぽいのが苦手だったんだろうな、母が。保育園で定期購読していた本も「こどものとも」より「かがくのとも」みたいな環境で育ちました。
だから、改めて出会う絵本がとても素敵に見える。3週間ごとの金曜日に図書館で10冊ずつ。時間があまりないので、表紙だけみて借りてくることがほとんどで、当たり外れがありありますが、ある意味新鮮な気持ちで読めるため、毎晩、息子と一緒にワクワクしながら絵本タイムを満喫しています。図書館で借りて良かった本を買ったりもします。
母的に「これは!」な絵本を何冊かピックアップ。
【ぐるんぱのようちえん】
大きくなったのに、な〜にもしないぐるんぱ。くさい匂いもします。頑張って働きに出かけますが…。子どもの孤独や貧困…自分らしく働くってことってどういうことだろう?いろいろ考えさせられます。
【ちびゴリラのちびちび】
現代の子育てを取り巻く世知辛さから、この本を読んでいると少しだけ現実逃避できます。ちびちびの周囲は、優しさであふれています。
【であえてほんとうによかった】
あの、映画化もされた「おまえうまそうだな」の原作と同シリーズの絵本です。 なので想像してもらえたら解ると思うのですが、かなり感動モノ。毎度、涙をこらえながらの読み聞かせになっちゃいます。純粋に信じることの力、つながることの大切さを考えさせられます。
【みどりのトカゲとあかいながしかく】
不思議な絵本で、最初読んだ時は息子と「不思議なご本だったねぇ」とびっくりし合った記憶があります。長い戦いを続けるみどりのトカゲと赤い長四角。そんな戦いに疑問を持つ個体が出るも…戦うことの空しさみたいなものを伝えたいのかな。読後が不思議なだけに、いろいろ考えさせられる絵本です。
【にゃーご】
こちらも、信じることの力を考えさせられる絵本です。現実社会が危険な現代だけに、ちょっと…となってしまいそうな、のんきなねずみたち。こんな世の中だからこそ、絵本ぐらいはのんきが許されて欲しい。
【おばけのバーバパパ】
- 作者: アネット=チゾン,タラス=テイラー,やましたはるお
- 出版社/メーカー: 偕成社
- 発売日: 1972/06
- メディア: 大型本
- 購入: 1人 クリック: 42回
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あまりに有名なバーバパパですが、最初は人気者じゃなかったんだ、と新鮮な気持ちで読みました。ちょっとやっかいだったり、常識ではかれなかったりするものに対して、大人って結構冷徹ですよね。
8度目のSSTで知った、頑張っていた息子の姿。
近頃、息子のネガティブ発言が気になっていた私。4歳になり、何かにつけ「どうせ仲間にいれてくれないんでしょ」「きっと出来ないからやらない」などと弱気発言が増えたことに、最初はとてもびっくりしていろいろ心配していました。担任の先生に「自分と友だちとの区別がつくようになったり、成長している証拠」と言われ…成長の一環なのかもしれないけれど、何か良いアプローチはないものかと模索していました。
そんな中、先日、8度目のSSTが。私が悩んでいたことへの手がかりとなり得るアドバイスなどを見つけることが出来る、とても実りある1時間になりました。
大事なのは、比較ではなく自分を知ること
この日は、初めて担任の先生が同伴し、さらにこのSSTのフルメンバー、4人全員が揃ったリハでした。
やったことは、絵カードの記憶(見て覚える、聞いて覚える)と、物の分類・仲間分け。友だちのポーズを覚えて真似する運動遊び。
物の分類の時に、数枚の同じ種類のカードの中から、その子の好きなものを決めてもらい、みんなの前で発表する、ということをしました。けっこうみんな、上手に決めていました。
何の狙いがあるのだろう?と思って見ていたのですが…。
「自分の好きなものを知ることで自分を知ることが出来る。ぼくはこんな人間、ということが解るようになる。それが解らないと、どうしても周囲と比べてしまいがち。みんなは出来るのに自分は出来ない、あの子の方が上手にで出来る。などと劣等感を抱きやすい」と話していました。
なるほど。
そして追い打ちをかける担任の先生のことば。
「園での様子とはぜんぜん違います。驚きました。こんなにのびのびした姿を見るのは初めてです」
!!
マジで言ってます?
「園では、いろいろ言う子がいるので」
おませな女子が多いクラスです。想像は出来ます。
保育園で想像以上に頑張っていた息子に驚き
「ここでは、みんなのことを自分と同レベル?か…もしかしたらちょっと下か、ぐらいに見てる感じですよね」
息子の担任は主任兼務なので、子どもの社会を見抜くことに関しては百戦錬磨でしょう。たぶん、本当にそんな感じなんだと思います。
そして、その2人の言葉を聞いた後、4人のメンバーを観察していたら、本当にみんなそんな感じ。きっとここにいる子たちは、その他大勢の同年齢よりも若干幼く、でもプライドが高く、そして、だからこそ劣等感を抱きやすい。4人、似ているなぁ。
そして、そんな息子を見ていたら
「保育園で頑張ってるんだ」ととてもしみじみしてしまいました。
遅れまいと頑張り、指摘され傷つき…。
そりゃ、登園拒否にもなるわな。
アイデンティティ探しを一緒にして行こう!
OTの先生が言ったことを信じて、これから息子と一緒に「息子探し」をして行こう!と思いました。4歳ともなると、個人のアイデンティティ的なものが少しずつ確立して行きます。だからこそ、子育ても面白くなり、息子の意外な一面に驚かされたり。でも、それって自分の中や旦那との話しだけで終わってしまうことが多かったように思います。
息子にとっては自分のことだから、言わないでもいいよね?ってことではなく、ひとつずつ言語化して伝えて行くことで、一緒にステキな息子像を作って行きたいな。息子が自分を誇りに思えるような、そんなアイデンティティを確立していってあげたいものです。
どんな考えの大人に囲まれて育つかが大事
きょう、たまたま幼稚園の園長先生と話す機会がありました。息子は保育園児ですが、その先生とは知り合いなので。
「幼児教育と保育について」という高尚なテーマで約1時間。私、会話についていくのが精一杯(汗)。難しすぎる。
その中ですごく腑に落ちた言葉があったので、書きたいなぁと思います。
私も幼い子を育てているので、その悩みとしていろいろ聞いてもらったりしていたのですが、幼児期になにが必要か?どうしてあげることが、息子にとって一番いいのか?みたいな流れで、その先生が言った
「どんな考えの大人に囲まれて育つかが一番重要だと思う」という言葉。
これ、盲点というか、子育てしているとどうしても「何がしてあげられるか」「どんな体験をさせてあげられるか」みたいになってしまう自分としては、思いっきりほっぺたをビンタされた気分。
先生の話しはこう続きます。
とある保育園へ実習へ行った若い先生の話し。
登園後、子どもたちがたくさんのおもちゃを園の部屋いっぱいに出してきた。そこで保育士たちの間に「もう〜片付けるのが大変」みたいな空気が流れたらしい。言葉もあったのかも。
こんな時に「さぁ!きょうは何して遊ぼう!」と一緒にワクワクできる大人がその子どもを囲んでいる状況で育つのと、そうじゃないのとでは、その子の育ちに大きな違いが出ると思う、と言われたのです。
私、真っ青。
それ、その「片付けるの大変」ってやつ、いつも私が言ってるやつ。やばい。
そして多分、息子の園の先生も言ってると思うんだな。
「おもちゃは1つずつ出しましょう」
「次に違うおもちゃで遊ぶ時には今遊んでいるおもちゃを片付けましょう」
それがしつけなんだと思っていたし…。
まぁ、あれだ。しつけはしつけとして必要だとしても「もう〜片付けるのが大変」みたいな空気感だけは、少しずつ減らして行こう!と決意した瞬間でした。
そして「何をしてあげられるか」なんて上からしつけ?教育?を考えていた自分。恥ずかしい。まず“自分の考え”の質が問われるのが子育てってことでOKかしら?先生。
仕事を面倒だとか、片付けが面倒だとか、そんな大人って確かに…息子になって欲しい姿ではないはずで…。今からでも遅くない。息子がお手本にして恥ずかしくない、息子に誇れる考えの大人になりたいなぁって思いました。子育てって本当、真剣勝負。
名前を覚えるのが得意です。
息子にねだられ、週末は水族館へ行くことに。なぜか水族館好きの息子です。しかし!海なし県住まいのわが家。近くに水族館って案外無いんですよね〜。そこでGoogleさんにお聞きして、いろいろ検討した結果、上越水族博物館へ行って来ました。わが家からは車で2時間ほど。
そう広くもなく、適度に空いていて、3倍男子連れにはいい感じ。ちなみに増築工事中でした。だから空いていたのかな?疑似潜水艦体験できる乗り物(アトラクション的な?)があったりして、けっこう楽しめました。
空いていたので、もっぱら放置していた息子が、突然何やら叫んで水槽へ駆け寄ります。よく聞くと「ハンク〜」と叫んでいる様子。その視線の先には大きなタコが。
そう、ファインディング・ドリーに出てくるタコのハンクです。言われてみれば似てる(笑)。
良く名前、覚えてるな〜と感心。
私、人の名前を覚えるのがとっても苦手です。ちなみに顔もあまり覚えられません。息子の覚えてるっぷりに「本当に私の腹から生まれましたか?」と疑いたくなるレベル。
帰りに寄った道の駅で買ったお土産は、ジンベイザメ(水族館にはもちろんいなかった)のぬいぐるみ。「デスティニー」。
父も母も「あの、ジンベイザメだっけ?なんて名前だった?」とあやふやなのに、息子に聞くとスラスラ出てくる。
面白いのでいろいろ聞きながら帰ってきました。ぜんぶ答えるし(笑)。それも、「うぅ〜って遠くが見れる大きいイルカ?みたいなやつ」とか、「面白い方向見てる鳥」とか、かなりザンネンな聞き方にも対応してくれる。便利〜。
これも何かの特性なのかな?だとしたら伸ばしてあげたいものです。