5歳児の「敬語」に考えさせられた話し

 

長らくご無沙汰しておりました。Kazenoyaです。

 

年度末からいろいろなことがありました。

携帯(ガラケー)が壊れ、洗濯機が壊れ…。なぜか床下の防カビ工事までやることになり、車検も重なり、出費がかさむ…と困惑。

悪いことばかりかと思っていた矢先、昔やっていた仕事がらみでちょっとしたお仕事を頂けることになり、久しぶりの忙しさにワタワタ。

 

そんな中、息子の進級&誕生日です。

花まつり生まれの息子は、進級した途端、あっという間にお誕生日がくるのです。

 

人間、楽しいことも、やりがいのあることも、時にはストレスになると身をもって知った。。。

 

息子の誕生日ネタはまた後日。

 

さて、本題。

 

年中クラスが始まったばかりの昨日、園テラスへお迎えに行ったら、一目散に園庭横の畑で耕耘機を使っている地域のお年寄りの元へ駆け出した息子。

 

フェンスによじ登りながら大声で「畑のおじいちゃん先生!かっこいいですね!どこで買ったんですか?」と。

 

物怖じしないというのか…母はちょっと恥ずかしい。

 

そんな母を横目にも見ずに猪突猛進な息子。

 

息子の通う園は市内でも地域との交流に恵まれた立地です。園横の畑では園児たちがサツマイモやジャガイモ、大根、夏野菜などの収穫体験などをさせてもらっています。

 

だから「畑のおじいちゃん先生」とは顔なじみなのでしょう。

 

でも、なんで敬語?

日本語自体、まだまだ怪しい息子が?

 

そこまで考えて、はたと思い当たりました。

 

「あ、きっと先生が同じようにやっているんだな」と。

 

「すみません〜!子どもたち、そちらへお邪魔させてもいいでしょうか?」とか。息子たち、園庭のコンディションが悪い時は隣の田んぼで雪遊びさせてもらったりしています。畑の横を通ってお散歩に出掛けたりもしています。

 

周囲の大人を介して「社会」を知る子どもたち

 

息子とおじいちゃん先生、しばらく話していました。そのやりとりを見ていたら「田舎で子育てしていて良かったな」っていう思いがフツフツとわき上がって来ました。

 

最近聞いた話しなのですが、東京の大きな保育園に勤務されていた保育士の方が「子どもを園庭に出す時間が決まっていて、地域住民に告知している。時間を1分でも過ぎると苦情の電話が鳴る」という…本当かどうかは分かりませんが、なにやら恐ろしい話し。

現実はどうなんでしょうか?ご存知の方があれば教えてください。

 

そんな中で働いている先生たちはきっと、地域の人にとても気を使っていることでしょう。そこの子どもたちにとって、地域社会はどんな風に映っているのか?

 

少なくとも、息子の目に映るソレとは全然違うんだろうな。

 

そんな風に考えさせられました。

 

私は、30ウン年前に、名古屋市の中心地にある、今はビルの一角に組み込まれてしまった保育園に通っていました。その頃は一応園庭があった。お散歩はテレビ塔!目の前はテレビ局!みたいな環境です。

 

子育てはやっぱり、田舎の方がいいのかな?うちはいわゆる「子育て移住」ではなく、一応は移住組ですが、結果田舎で子育てしてる感じ。でも、周囲には子どもの教育環境を考えて移住してくる人たちも多いです。自分の子どもが育つにつれ、その意味がなんとなく、実感として分かるようになりました。

 

息子がおじいちゃん先生と話しをている様子は「人間、こんな環境で育ちたいよね」と思えるもの。保育園の先生たちを介して、優しい社会観を育てている息子に、ちょっとうらやましい気持ちになりました。

子育てを仕事に置き換えてみたら、しっくり。

 

結婚や出産と無縁の人生を長らく生きてきた私。仕事は、いわゆるキャリア志向ではなかったけれど、いろいろ経験してきました。

 

子どもを産んで最初の頃は、子育てがとても特別なことに思えていたのですが、ある時気がつきました。子育ても仕事も変わらないよね?と。

 

息子を、使えない高校生バイトだと思えば…。

 

私自身がまだ、ものすご〜く使えない高校生だったころ、私はある和菓子屋でバイトしていました。接客メイン。地元ではけっこう有名な和菓子屋で、慶弔の水引の結び方とか、避けなければいけない表現や物など、ここでいろいろ教えてもらいました。

 

私は、モロ更年期!?なおばちゃんと一緒に働いていました。

 

そのおばちゃん、やっている仕事や言っていることはきちんとしていただろうし、指導だって間違っていたとは思えません。でも、いつもイライラしていたような記憶ばかりが残っています。

私はと言えば、社会人としてはまだまだ幼児レベル。右も左も分からない。敬語だって未熟。ひどい有様でした。でも、いっちょまえにおばちゃんと戦っていました。

 

だって、当時の私の言い分は

「イライラしている自分のことは棚に上げて」です。

イライラさせていたのは私だろうし、そのせいでおばちゃんが何かしらの苦労を背負ったり、ミスをしたりすることもあったのかもしれませんが…。

 

息子と自分に当てはめて考えるとちょっと滑稽です。

 

イライラしている私が、いくら“しつけ”を振りかざしても、息子の心に響く訳がない。今、当時を振り返ると、あのおばちゃんには申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

 

自分の非を認め、反省出来ない人は尊敬できない。

 

その後もいろいろな上司や部下、同僚と出会いました。

 

広告代理で働いていた時は、自分の机と私の机の間の三角地点に面倒なクライアントの案件を落としては「こんなところに置きっぱなしにして」と私に引き継がせるような、ちょっと(かなり)モラハラな上司もいました。

リゾートバイトしていた時にやってきた、家庭に問題のありそうな15歳のバイト君は、毎朝起こしにいかないと自分で目覚めることさえも出来ませんでした。

小さな制作室で主婦ばかり7〜10人ぐらいを、まとめる立場で働いたこともありました。

 

尊敬できる人、この人の下で働こうって思える人って、自分の非もちゃんと認めることが出来て、改善していける人だと思います。自分が指導する立場になった時には、下の人が言うことにきちんと耳を傾けるように気をつけていました。そこから改善策を得られるように。でも、素直に「ごめん」を言うことは結構勇気がいることだとも知りました。

 

「オレは間違っていない」って人に有能な人はいないような気がします。目下にも素直に「ごめんな」が言えて、上昇志向の人って、それだけで清々しいです。

 

子育て中のイライラは“ミス”

 

子育て中にそんなことを思い出した私。

 

「しつけは一貫性が大切」

「言うことをころころ変えない」

 

などはとても大切なことだと思いますが、時には子どもに謝る勇気も必要なのかもしれません。「カッとなってごめんね」「さっきは言い過ぎた」的なコミュニケーションでしょうか。

 

考えてみれば、自分の子どもには「ごめんなさい」が言えるように育って欲しいと考える親がほとんどなのに、自分は子どもに謝らないってのはちょっと変です。

 

親だって人間だもの。イライラすることだってあります。

 

でもそれは、間違ってイライラしているんだもの。やろうと思ってイライラしているんじゃないんだもの。たまのミスはしょうがないです。抑えきれない感情は恥ずべきことじゃない。きちんと謝って、また前を向いて改善していけばいい。そこから構築できる人間関係だってあります。日本人の苦手なところだと思います。

卵なし!でもガッツリ肉系&揚げ物な食卓

卵なしでもガッツリ肉系!唐揚げやハンバーグ、フライやカツが食べたい!kazenoya家です。

 

でも、衣やつなぎには卵が不可欠。

息子が卵アレルギーじゃ無理だよね…と最初は諦めていました。

 

でも諦めきれずに試行錯誤。5年の歳月をかけてたどり着いたレシピを紹介したいと思います。卵アレルギーの方、制限食などで卵の摂取を控えているかたに参考にしていただけたら幸いです。

 

 

カラッとジューシーな鶏の唐揚げ (とりのからあげ)

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定番の王道肉食レシピですね。カラッと揚げるのが結構難しいです。でも、2度揚げするのは面倒…。

いろいろな衣を試してみて、現在はこれに落ち着いています。

いつも目分量で作っていますが、失敗はなし。適当に作ってもカラッとカリカリ衣&ジューシーに揚がる安定感がうれしい。わが家の5〜80歳の男たちに不動の人気メニューです。

 

【材料(衣の)】

・片栗粉

・小麦粉

・マヨドレ(オリーブオイルでも)

 

※別途片栗粉適量(最後にまぶす用)

 

いつもの下味をつけたものに、小麦粉と片栗粉を目分量で同量ずつ混ぜます。そこへオイルかマヨドレを少量入れてさらに混ぜます。

この段階では、「あんまりゴテゴテし過ぎないけど、このまま揚げるにはちょっと頼りないか?」ぐらいのゆるさの衣です。別途用意した片栗粉を一つずつまぶしていきます。この状態まで作っておけば後は揚げるだけなのでラクです。そのまま冷凍してもOK。凍ったまま揚げることが出来ます。

 

マヨドレは卵が少量解除したらマヨネーズでもいいのかもしれませんが、kazenoyaはマヨドレ使っています。冷蔵庫に入れていて、もし誤使用でサラダに使ってしまったら、と考えると怖いので(息子は非加熱卵は未挑戦です)。

 

ちなみにわが家の味付けは…

醤油

料理酒

にんにく

しょうが

ガラスープ

 

です。分量はいつも適当です。漬け込みは30分。面倒な時は醤油とにんにく、しょうがの代わりに焼き肉のタレを使います。

 

卵なしでのが簡単!?フライのバッター液

 

 

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フライの衣って案外面倒なんですよね。バッター液とパン粉だけのこの作り方に慣れてしまうと、もう(小麦粉)(卵)(パン粉)の一般的な作り方に戻れなくなってしました。とっても楽チンです。

クリームコロッケやチーズなど、溶け出やすいものを揚げる時には卵ありの方が良さそうですが、カツなどにはピッタリです。

 

【材料】

・小麦粉

・マヨドレ

・牛乳

・てんさい糖(ほんのちょっぴり)

 

牛乳は水でも大丈夫です。てんさい糖をほんの少しだけ入れることで衣の色付きを良くします。牛乳で固さを調節します。

固めだとしっかり衣。水っぽいとパン粉焼きみたいな感じに。

出来上がりの写真を撮り忘れました。串カツ&串揚げは人気メニュー。ナスのフライは野菜なのに大人気です。トロッとして驚きの新食感なので、ぜひやってみてくださいね。

 

わが家で大活躍のマヨドレはこれ↓

 

 

このマヨドレに出会ったことで、わが家の卵除去ライフは劇的に改善されました。よければ過去記事もどうぞ。

 

kazenoya.hatenablog.com

 

肉肉しさが男子受け抜群のわが家の「ハンバーグ」

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うちの男子たちは、安っぽい既製品風の仕上がりを愛しているので、ふわっとほろほろがあまり得意ではありません。卵を入れたみたいなまとまった、弾力のある肉肉しい食感を出すのに苦労しました。片栗粉を入れることでジューシーに仕上がります。

 

【材料】

・合い挽き肉

・鶏ひき肉

(割合はお好みで。鶏肉が多いと弾力が増します。経済的にも嬉しいです。鶏はつくね用の皮などが入っている安いものの方がジュージーに出来上がる気がします)

・冷凍したエノキ

・片栗粉

・パン粉

・炒めたタマネギ

・塩こしょう

・てんさい糖

・冷水(固さの調節用)

 

エノキは石突きを取って冷凍しておいたものを1〜2ミリに切ります。量増し。豆腐で量増しするよりも肉々しさがいい感じです。たっぷり入れましょう。

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エノキが凍っているため、手が冷たい!と感じるけれど、頑張りどころ。冷たいうちにこねるのが良いみたい。もったりするぐらいに冷水を入れ柔らかく練ると、子どもやお年寄りも食べやすい。

 

エノキを入れた肉だねは、シュウマイやつくね、ワンタン、肉団子など、他にもいろいろ応用出来ます。小さく形成するときは水なしで固めにすると作りやすいです。

 

こっちは豚つくね。

 

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臭み取りに味噌を入れています。

 

冷凍のエノキはとても便利なので常備しています。そのままお味噌汁の具にも使えます。

 

春休みで専業主婦しているうちに、主婦らしく料理でもアップしてみようかな?と張り切りました。が、慣れないことで…。スマホ写真もイマイチ。若いお母さんのマメさ加減に脱帽します。

 

主婦って、しっかりやろうって思うほど不満度が高くなる気がする

 

息子の春休み。

絶賛、期間限定専業主婦しています。

 

「しっかりやろう」

「頑張ろう」

 

そう考えるほどに、周囲への不満が多くなる気がする。

 

わが家の場合、大型休みは旦那と息子の日にちがほとんどかぶるのですが、春休みは別。そしてなんと10日もある。きょうがやっと折り返し地点です。

 

気がついたのですが

 

自分だけが休みと思うと、旦那への気兼ねというのか、掃除ぐらいしっかりやらなきゃとか、ご飯は手抜きできないよね。とか、そんな気持ちがむくむくと顔をもたげてきます。

 

そこで主婦業をしっかり頑張ると

 

 

 

なんだかイライラ。不満がつのる。

 

だから、「旦那に悪いわ〜」ってぐらいダラダラ過ごすしてみると、これがびっくり!優しい母で、妻でいられる。

 

旦那にイライラしてる主婦のみなさんは、主婦業とっても頑張ってるってことなのね!と今更ながらに気がつきました。

 

残り5日、ゆる〜く過ごしていきたいと思います。

 

 

どんな赤ちゃんも、ひとつのパーソナリティだよね

 

高齢出産で、未知の育児に翻弄された毎日も、そろそろ丸5年になろうとしています。

 

5年目にして思うのは、

“赤ちゃんは”とか“2歳児は”ってカテゴライズすると、分け分かんなくなっちゃうよね。ってこと。

 

息子は結構いろいろな意味で規格外なので…。

 

もう、新生児室からして

育児本で読んだ

「新生児はほとんど動きません」

 

 ↑

これ、ウソでしたから。息子の場合は。

生まれたてで乗せられた台の上でゴソゴソしていて、母と義母が「落ちる」って話していたのを私、産後の処置をされながら聞いていましたから。

 

でもね。ネットで検索しちゃう訳です。

「生後7か月 発達」とかって。

 

すべてが無意味だったとは思いませんが。

 

 

でも、今になって思うのは、その膨大に費やした時間の何割かでも、息子のパーソナリティを理解することに使ってあげた方が、なんぼか建設的だった。

 

息子はよく動きます。よく食べます。これだけでも、赤ちゃんのうちから知っていたら、どれだけ精神的に救われたことでしょう。

 

「なんで授乳間隔が開かないんだろう」じゃなくて、

「おうおう、よく食べるいい子」と思った方が母的にも楽。

 

「いつも走り回って、大丈夫かしら?」と思うより

「さすが男の子。すごい運動量。きっとどれだけ食べても太らないし、これだけ身体機能が発達しているなら、なにかのプロ選手にでもなるのかしら?」と思っていた方がよっぽど建設的だし、子どもの自己肯定感を育てるのにもいいと思うんですよね。

 

発達障害って、出来ないことをなんとか人並みに出来るようにするアプローチだと、出来るようになってもやっぱりどうしても人並み以下で、自信にはつながりにくい。自分を顧みてもそうなんです。

それよりも、苦手なことは苦手なことと意識して、なんらかの手だて(工夫や技術)を習得し、時には「やらない」選択肢も用意するぐらいにして、その分の時間を有意義に使って得意なことを伸ばしてあげた方がいいのじゃないか?と考えるようになりました。

 

なんで「赤ちゃん」ってだけで、なんでも育児書通りじゃなきゃ不安になってしまうのか。誰かの軌跡を追うだけの育児なんてつまんないんじゃないか。

 

子どもが小さい頃に旦那が録画してくれていた、生命の不思議的なテレビ番組。もう、ほとんど内容は忘れてしまいましたが、その中でとても印象的だったことがあります。

 

「受精卵は均等に分裂するものとしないものがある。ある受精卵は右側から、ある受精卵は一部分から」というような。。。

 

受精卵って2つに分裂し、それが4つになり、倍々に分かれていくって子どもの頃習った記憶があります。そうじゃないんだ!こんな頃から個性があるんだ!って衝撃的でした。

 

きっと息子は受精卵の頃から個性的だったんだろうな。

 

そんでもって、

まぁ、個性的な私と、旦那の子どもなんだから、育児書通りな訳がないんだ。

 

そう思ったら、検索回数も減りました。

 

 

子育ては子どもの個性を探す旅。

必要なのは地図のない航海に挑む覚悟。

姫路市のこども園ニュースに|日本の保育、大丈夫ですか〜?

yomidr.yomiuri.co.jp

 

息子と旦那がニュースを見ながら会話していました。

 

「こんな給食じゃお腹へって泣くよね」「これ、だれのご飯?赤ちゃんの?」

 

そこに参戦した私。

「ひどい大人がいたんだってさ。ご飯ちょっとで、ここの保育園の子どもたち可哀想だね」

 

息子「お腹ペコペコになっちゃうよ。え〜んって泣いちゃうよ」

 

なんだかね。確かにここの園長先生だかには憤りを感じます。が、

 

こんな事件が起きちゃうほどに日本の保育事情は悪化しているのかと、ちょっと…。

 

ここだけの問題にしてていいのかね。対岸の火事と傍観していていいの?

 

少子化なんでしょ?生まれてくる子ども少なくて困るんでしょ?国だって頑張ってるんでしょ?じゃあなんで保育園がこんなことしちゃって、それで、そこ通っちゃう親子が出てくるんだ。

 

私たち子育て世代がそれだけ弱い立場だってことじゃないの?そこが一番の問題なんじゃない?

 

保育士の地位も上がらないし、もちろん、家で子育てしている保育者の地位も立場も。

 

もっと、なんか…さ。うまく言えないけど。。。

 

ごめんなさい。支離滅裂で。

 

「ちょっとでいいからひとりにして」って思うぐらい頑張ってるってこと

 

子どもは可愛い。それなのに、なんで「少しでいいから自分の時間が欲しい」って思っちゃうんだろう。言葉が遅くて心配して、あんなに早くしゃべって欲しいと思っていたのに、どうして今は「ちょっとでいいから黙ってって」って思っちゃうんだろう…。

 

私、母親として大切な何かが抜け落ちてるのかも。

 

しゃべり始めた2歳後半ごろから、ずっと、息子の要求に振り回されている感が半端無く、男の子ですが、なぜか「おままごと」にハマり、延々と続く「どうぞ」「ありがとう」のループ。3〜4歳は「戦いごっこしよう」からスタートするエンドレスの「ごっこ遊び」。手の指を青虫に見立てた「青虫ごっこ」…。数えればキリがありませんが、かわいらしい遊びなのに、私はなぜか途中で疲れてしまうのです。本気で楽しんであげられない。寝顔を見ては「こんなに可愛いのに、息子との時間を心から楽しめない私は母失格」と自責の念に苛まれていました。

一生懸命にブロックを組み立てる小さな手を見ては愛おしさが溢れ「どうしてもっと息子に一生懸命になれないのか」自問自答し、自分は何かおかしいのじゃないかと。

 

そんな風に思っていました。

 

もちろん、アウトプットは良い母親を頑張っているつもりです。

生活はもう、本当に息子第一です。

発達外来や小児眼科、歯医者、皮膚科などへの通院も最優先事項です。週に何度も早お迎えで通院することも多かったです。仕事をしながらそれが出来る環境に身を置いていることは、本当に感謝してもしきれないほど。

 

でも、時折「ちょっとでいいから…」が心の中に顔を出します。多くは息子の要求が頻繁過ぎて夕食の準備がはかどらない時などに、ひょっこり出てきます。

その度に自己嫌悪。

 

発達外来に通っているから、助けられた部分も

 

2〜3歳代は本当にそんな感じで、とてもツラかったのですが、今考えると、定期的に通う発達外来での受診やリハなどで、専門家の話しが聞けることが救いになっていました。わが家の場合は、特性からなのか“自分ルール”の遊びばかりになってしまうことが多く、それも余計に疲れる要因かもしれない、と教えてもらったのも発達外来ででした。リハの先生だと、自分ルールにならずに図形あそびなどに取り組める姿を見ることで、家でのかかわり方に取り入れてみたりもできました。

この時間や情報が無かったら、もっと追いつめられていた気がします。ママ同士の愚痴の言い合いもストレス発散にはなりますが、専門家の意見を聞けたことで、自信を持って対処してこられた。5歳直前の今では、「お母さんちょっとハンバーグ作るから〜時まで待っていて。〜時になったら一緒に遊ぼう!」と時計を見せて言えば、少しだけならひとり遊びも出来るようになり、とっても楽になりました。私の提案で一緒にテレビを見たり、自分の作りたいものじゃないものを協力してブロックで作ることも出来るようになってきています(本当に楽しんでいるかは微妙(笑))。

 

振り返ると、頑張りすぎていた自分がいる

 

当時は自己嫌悪だらけだったけれど、今、振り返ってみると、私、結構頑張っていたなぁと思います。

同居家庭で、もうすぐ80のおじいちゃんの食事作り。そして息子もアレルギー対応食。晩ごはんの準備はかなりハードです。でも、もっと手が抜けたはず。もっと手を抜けば、そんなにイライラすることもなく、息子と遊べたかも…。

自己嫌悪に陥るぐらいなら、単品メニューで済ます日を作っても良かったのかも。旦那のお弁当、たまには作らずカップラーメンでも良かったのかも(笑)。

 

そしてね、自分の時間が少しずつ持てるようになって、皆さんのブログなんかを見ていると気がついちゃったのです。案外たくさんのお母さんたちが「ちょっとでいいからひとりの時間欲しい」と思っているんだって。どんなに一生懸命なママだって、いつでも聖母マリアみたいにはいられないことを知りました。

 

子どもとの時間をたくさん過ごしている証拠

 

子育てって24時間営業、年中無休。どんなに好きな仕事でも休息が必要なように、本来、ママにもお休みが必要なのかも。いや!必要なハズ!!どんなに大好きな子ども相手でも、お休みが無ければ追いつめられて仕方ないと思います。

「あ〜、たまにはひとりになりたい」と思うってことは、それだけ子どもとの時間をたくさん、真剣に過ごしているってことの証。たまに、心の中で子どもに優しくないことを思っても、それはそれと割り切った方がいいんです。そんなことで自分に無駄なペナルティを課して、逆にストレスを溜めるなんてナンセンスです。やっとそれに気づきました。でも、今だから言えること。当時の私は相当悩んでいたんです。だから、今現在悩んでいるお母さんに悩まないで、と言いたいです。

通常、たまにしか面倒を見ない父親は、たまの育児を目一杯楽しめる人が多いようです。お父さんもしっかり「主夫」している場合はやっぱり、「少しは自分の時間も欲しい」と思うのかな。そんなパパたちにもぜひ伝えたいです。子育ての悩みは男女を超えて共通だと思うので。

 

父性的関わりを増やしていこう

 

お父さんと言えば、少年期を迎えた男の子にとって「父性的」な関わりはとても重要だと私は思っています。そしてその役割は女性でも担えるものだとも。

息子ももうあと少しで5歳。なんだか急に少年らしくなりました。体が大きいので余計に幼児っぽさが抜けたように見えるのかもしれません。本人も最近は「もう赤ちゃんじゃないよ」と言うようになり、自立心も芽生え始めたように感じられます。

 

乳児は「しっかりと肌を離さず」

幼児は「肌を離して手を離さず」

少年は「手を離して目を離さず」

青年は「目を離して心を離さず」

 

こんな感じの言葉があるようです。記憶頼りなので細かい部分は少し違うかもしれませんが。

乳児〜幼児期大切なのは、しっかりと抱きしめ守る「母性」。これからは、冒険を“見守る”時期。べったりし過ぎて双方が疲弊してしまうよりも、少しずつ、息子の手を離していく時期にさしかかってきたように、普段の息子とのやりとりからも感じています。

ママもまだまだ必要な時もあるかもしれませんが、干渉しすぎず、いい距離感を保ちながら子育てしていきたいなぁと思います。