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馴れ合いの“甘え”の弊害

bylines.news.yahoo.co.jp

 

こんな記事を読みました。

特別養子縁組の子どもの方が「自分自身に満足している」「親から愛されていると感じる」割合が、一般の子どもに比べて、とても高いという調査結果だそうです。ちなみに中3。

 

なぜ良い結果が出たのかのヒントになるデータとして、特別養子縁組家庭の収入が高い点があげられています。

 

これを読んで私は思うのです。高収入家庭ってだけの理由で自己肯定感が他の子どもより高いのかな?って。そうじゃないところにも理由があるように思えてなりません。

留学経験を通して知った、馴れ合いの“甘え”の弊害

私には留学経験があります。それも、英語圏ではなく、かなりマイナーな言語を話す北方の国です。その経験から学んだことの中で、人生において大切なことだな、と思うことは、それまでの人間関係がかなりの“甘え”で成り立っていた、という気づきです。

同じ日本人同士、価値観も「きっと一緒だろう」という無意識の思い込みから、他者への想像力が欠如した状態というのでしょうか。

私が通った学校は、キリスト教の協会が運営する学校で、移民などの外国人を一定数受け入れなければならない決まりがありました。私はその学校の外国人枠で入学したのです。20年も前の話しです。日本人も私の他にもう一人、アメリカ人、イギリス人、オランダ人などのほか、パレスチナ人とロシア人、ヴェトナム人なども一緒に学び、楽しい友好関係を築いていました。今考えるとちょっとびっくりです。

言語も違う、育った環境も違う。宗教なんて、キリスト教の学校でラマダンをする生徒までいるんですから!そんな中でさえ「違う」という前提に立って相手を慮り、気持ちを言葉で(つたない現地の言葉で、です)伝え合うことで人間関係が成り立っていました。

子どもへのイライラも一種の“甘え”

日本へ帰ったばかりの頃は、そんな気持ちもちゃんと覚えていましたが、時と共に風化するものです。同じ地域の男性と知り合い結婚し、自分の子どもが生まれ育児に奔走していると、やはり馴れ合いの甘えが出てきてしまう。子どもには逐一「言葉で伝えることの大切さ」を教えるようにしてはいますが、自分がちゃんと出来ているのか不安になることもあります。

「こんなこと、言わなくても通じる」と思うことが一番の弊害ではないでしょうか。子どもの身勝手さにイライラしてしまうことも一種の甘えだと思うのです。親が「何時までに家を出たい」「これを食べてくれないと栄養が心配」と考えていても、それは考えているだけでは伝わらないのです。「時間に遅れない」「ちゃんと食べる」は、親の育ってきた環境から来る「あたりまえ」であり、なんの「あたりまえ」もまだない、子どもには無関係なことのですから。

愛情表現もそう。「親が子どもを愛するのはあたりまえ」じゃなく、噛み砕いて、子どもに通じる言葉で正確に伝えることが大切です。

伝えることを手抜きしない関係性

私は実の親に育てられ、実の子どもを育てています。だから想像することしか出来ないのだけれど、養子を迎えるということはかなりの覚悟が必要なんじゃないでしょうか?「この子を理解してやれるのか」「愛情を持って育てたとして、それがちゃんと伝わるのか?」「本当に幸せにしてあげられるのか」そんなことを考えに考えて、そして新しい家族になるのではないのか?と思うのです。そんな、伝えること、相手へ心を向けること、相手の気持ちを見逃さない、手抜きしない関係性が、子どもの満足度や自己肯定感を育むことにつながっているのか、と思うのです。