子育てを仕事に置き換えてみたら、しっくり。

 

結婚や出産と無縁の人生を長らく生きてきた私。仕事は、いわゆるキャリア志向ではなかったけれど、いろいろ経験してきました。

 

子どもを産んで最初の頃は、子育てがとても特別なことに思えていたのですが、ある時気がつきました。子育ても仕事も変わらないよね?と。

 

息子を、使えない高校生バイトだと思えば…。

 

私自身がまだ、ものすご〜く使えない高校生だったころ、私はある和菓子屋でバイトしていました。接客メイン。地元ではけっこう有名な和菓子屋で、慶弔の水引の結び方とか、避けなければいけない表現や物など、ここでいろいろ教えてもらいました。

 

私は、モロ更年期!?なおばちゃんと一緒に働いていました。

 

そのおばちゃん、やっている仕事や言っていることはきちんとしていただろうし、指導だって間違っていたとは思えません。でも、いつもイライラしていたような記憶ばかりが残っています。

私はと言えば、社会人としてはまだまだ幼児レベル。右も左も分からない。敬語だって未熟。ひどい有様でした。でも、いっちょまえにおばちゃんと戦っていました。

 

だって、当時の私の言い分は

「イライラしている自分のことは棚に上げて」です。

イライラさせていたのは私だろうし、そのせいでおばちゃんが何かしらの苦労を背負ったり、ミスをしたりすることもあったのかもしれませんが…。

 

息子と自分に当てはめて考えるとちょっと滑稽です。

 

イライラしている私が、いくら“しつけ”を振りかざしても、息子の心に響く訳がない。今、当時を振り返ると、あのおばちゃんには申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

 

自分の非を認め、反省出来ない人は尊敬できない。

 

その後もいろいろな上司や部下、同僚と出会いました。

 

広告代理で働いていた時は、自分の机と私の机の間の三角地点に面倒なクライアントの案件を落としては「こんなところに置きっぱなしにして」と私に引き継がせるような、ちょっと(かなり)モラハラな上司もいました。

リゾートバイトしていた時にやってきた、家庭に問題のありそうな15歳のバイト君は、毎朝起こしにいかないと自分で目覚めることさえも出来ませんでした。

小さな制作室で主婦ばかり7〜10人ぐらいを、まとめる立場で働いたこともありました。

 

尊敬できる人、この人の下で働こうって思える人って、自分の非もちゃんと認めることが出来て、改善していける人だと思います。自分が指導する立場になった時には、下の人が言うことにきちんと耳を傾けるように気をつけていました。そこから改善策を得られるように。でも、素直に「ごめん」を言うことは結構勇気がいることだとも知りました。

 

「オレは間違っていない」って人に有能な人はいないような気がします。目下にも素直に「ごめんな」が言えて、上昇志向の人って、それだけで清々しいです。

 

子育て中のイライラは“ミス”

 

子育て中にそんなことを思い出した私。

 

「しつけは一貫性が大切」

「言うことをころころ変えない」

 

などはとても大切なことだと思いますが、時には子どもに謝る勇気も必要なのかもしれません。「カッとなってごめんね」「さっきは言い過ぎた」的なコミュニケーションでしょうか。

 

考えてみれば、自分の子どもには「ごめんなさい」が言えるように育って欲しいと考える親がほとんどなのに、自分は子どもに謝らないってのはちょっと変です。

 

親だって人間だもの。イライラすることだってあります。

 

でもそれは、間違ってイライラしているんだもの。やろうと思ってイライラしているんじゃないんだもの。たまのミスはしょうがないです。抑えきれない感情は恥ずべきことじゃない。きちんと謝って、また前を向いて改善していけばいい。そこから構築できる人間関係だってあります。日本人の苦手なところだと思います。