子どもの「いじめ」「不登校」に親はどう対処すべきか

子どもは小さい大人じゃないんだと、最近つくづく考えます。kazenoyaです。

 

その昔、ノッポさんが子どものことを「小さい人」と呼んでいて、ちょっと憧れていました。敬意を持って接することはやっぱりとても素敵だと思っていますが、子どもというのは、発達段階で大人とは全く違った感じ方、考え方をしながら成長していくものだと、育児を通して日々感じています。

 

先日、たまに話し込むことのあるお母さんと、子どもの「いじめ問題」について話しました。kazenoyaは高齢出産組なので、同年代の母親たちは子どもがすでに小学生以上になっている人が多いです。

 

そのお母さんは信頼されるタイプで、最近よく相談を受けるそうで…

 

少人数の田舎の学校でも増えている「いじめ」「不登校

 

移住促進に力を入れておきながら、そして「田舎でのびのび子育て」と歌っておきながら、特に移住者を中心に様々な問題も出ている。そこまではまぁ、想定内。

 

でも学校へ伝えても「いじめはない」の一点張り。

 

子どもたちも外へは見せないようで。

 

でも実際に学校へ行けない子どもたちが出ている。

 

知り合いママは「根が深いというか、難しいのよね。本当に相談されることが多くて、こんなにたくさんの子が困っているなんて、知らなかった」と悲しんでいました。

 

子どもの残酷さを否定していいのだろうか

 

kazenoyaは思います。いじめってなくならない。

 

子どもって、とても残酷な生き物で、その残酷な生き物を出来るだけ社会に適応するよう一つずつ教えていくのがしつけであり教育だと思っています。

 

ここ信州の田舎の小中学校では「人権教育」に力を入れているらしく、あちらこちらで「人権講演会」なるものが開かれたりしています。

 

目の見えない人や体の不自由な人、外国の人などを講師に招いて話を聞くのです。

そして子どもたちの意見発表では「いじめをなくそう」「いじめはダメ」と子どもたち自身が書いた作文を読み上げます。

 

一見とてもいい感じに聞こえますが、これにいつも違和感を感じていました。

 

知り合いママさんと「いじめ」「不登校」について話し込んでいるうちに、その違和感の正体にピンと来ました。

 

これって、子どもの残酷性に単にフタをしているだけだと。

 

大人社会の課題をそのまま子どもに押し付けている?

 

もちろん、いじめはダメです。良いわけありません。あらゆる人の人権に配慮して行動出来る「大人」であるべきです。

 

そうです。これは大人の課題です。

 

ジェンダーの問題であれ、女性差別であれ、まだまだ私たち大人もいろいろな問題を抱えています。大人だって完璧に出来てはいない。

 

障害者施設での残酷な犯罪がニュースに上ったり、#me too での発言が活発になって、これまで見えなかった社会問題にやっとスポットがあたるようになったり。

 

 

子どもはまだまだ成長段階です。いろいろな体験を通して大人になっていく過程です。

 

本当は仲良くしたいのに、上手に関われなくて仲違いをしてしまったり、けんかをしつつも、その中から相手の気持ちを考えることを学んだり、いろいろなことがあるでしょう。

 

その度に周囲の大人が「それはダメ。残酷だよ。やめなくちゃ」とばかり言っていたら、子どもは自分の残酷性を隠すようになるんじゃないのかな。

言わなくなっても子ども自身のストレスだったり、 問題だったりが解消されるわけではないから、陰に隠れて続ける。そんな構図が見えました。

 

いじめる側もいじめられた側も自己否定へまっしぐら

 

子どもにとって周囲の大人は社会そのものだと思います。その大人が「やったらダメ」ということをやめられない、いじめる側。

 

そして、いじめられている側からしても、本当にいじめられているのに「ない」と否定される無力感。

 

社会から抹消されているぐらいの、そんなぐらいの、やさぐれた気持ちになっても不思議ではありません。

 

これじゃ自己否定へまっしぐらです。

 

「いじめ撲滅」とか「いじめのないクラス」とかをスローガンにすることは、そんな危険性をはらんでいるのではないのかな?と思うのです。

 

問題が小さいうちに解決法を教えたい

 

一方、家庭で出来ることは?と考えると、小さいうちからの積み重ねしかないのかな、と思います。

 

子どもが中学生になって、先生から呼び出しをくって「息子さんがいじめを行っています」と言われてから、子どもの行動に寄り添いつつも指導していくって至難の技です。

 

だって、すでに「やっちゃいけない」いじめをしているわけですから。

 

でも例えば保育園児のうちに、関わろうとするとどうしても暴力的になってしまったり、苦手なお友だちに否定的な発言をしているうちに、その行動に寄り添いつつ、少しでも建設的な考え方を教えていくことは、中学生に教えるよりは、容易いはずです。

 

少なくとも「きょうお友だちの水筒壊しちゃったけど、ママに言っても否定はされなかった」という経験を少しでもたくさん積ませてあげたい。そうすれば、ちょっと大きな問題を抱えた時にも親に相談出来る子に育つことでしょう。

 

日々追われる育児では難しいこともあるし、やっぱり「あ〜あ、ダメなことしちゃったね」的な対応になってしまいがちだけど、日々振り返って「ああすれば良かった」と思うことだらけだけれど、少しでも良い対応を出来るよう気をつけたいです。

 

「やっちゃいけない」ことを大人に隠れて抱えている…自分のツラさをなかったことにされている…そんなかわいそうな経験だけは、未来を背負う子どもたちには、絶対にさせたくないです。