子どもの好き嫌いって直さなくちゃいけないんだろうか

子どもの「食」は本能だと思っています、kazenoyaです。

 

先日会った、園長先生を退職された女性がこんなことを話していました。

 

「いまの子ってなんであんなに野菜食べるの?昔の子の方がもっと好き嫌いあったよ。いまの子たちはみんなきれいに食べてて驚く」

 

こんな内容でした。

 

kazenoyaはブログを始めたばかりのころにこんな記事を書いています。

 

kazenoya.hatenablog.com

 

昔の子育てはもっと鷹揚だったのかも

 

その方は自分が子どもの時、牛乳が飲めず学校給食で苦労したのだとか。

 

「当時は飲むと吐いていたの。当時の担任の先生が空瓶を1本用意してきて『自分の分は持って帰って家の人に飲んでもらいなさい』と指導してくれたから、今こうして牛乳が飲めるようになった」

 

と話してくれました。

 

その昔の先生、あっぱれ。グッジョブ。

 

その方はこうも言っていました。

 

「今の子は本当におとなしくて、食事の時もいつでも、ちゃんと座ってる。言う事もみんなよく聞く。昔の子の方がもっとわんぱくだった。今の子たちはみんなどこで発散しているんだろう。きっと家で発散してるんだろうね。だって子どもだもの、どこかで発散しなきゃ」と。

 

それを聞いて思いました。いまの大人は子どもを押さえつけているのかも。

昔はもっと子育てや小さな子に鷹揚だったのかな?と。

 

食べ物の好みは年齢とともに変わる

 

子育てしていると、子どもって放っておいても「成長したい」という本能を持っているんだなぁ、と感じること、とても多いです。

 

子どもたちは、だれも好き好んで、好き嫌いしているわけじゃないと思います。

 

出来る事なら全部ピカピカに食べてほめてもらいたい!

ヒーローやプリンセスみたいに素敵になりたい!

 

それが本心じゃないでしょうか。

 

大人のようにスレていない。純粋なものです。(2〜3歳児が家にいる家庭なら心当たりありますよね)

 

その子どもが食べたくないんなら、それ相当の理由があるはずで、その理由が取り除かれれば、自然と食べるものです。

 

その理由は、食物アレルギーだったり、接触性のアレルギーだったり(口がピリピリするとか?かゆいとか?)、あとは見た目とか?発達特性上こだわりがあったりして食べられないものがある子もいるでしょう。

 

ですが子どもは成長します。発達します。

 

幼児食というのは本来、永久歯に生え変わる7歳ごろまで続けるのが理想だと聞いた事があります。きっと他の消化器だって、まだまだ完全じゃないのかもしれません。

 

息子も、その時々で食べられる物が少しずつですが増えてきました。3歳で嫌いなものが、その後ずっと嫌いなわけじゃない。

 

トラウマになったものはずっと食べられない

 

一方でkazenoyaの夫のように、学校給食で無理に食べさせられ、トラウマになった嫌いな食べ物って、その後もずっと食べられなかったりします。

 

体も心も成長して、アレルギーもなくなって、なのに心の問題で食べられないなんて、ちょっと不憫です。

 

でもそういう人って、現代の日本では多いように思います。学校給食の闇かもしれません。居残ってでも食べさせる先生、kazenoyaの小さいころは普通にいました。掃除の時間中ずっと泣きながらトマト食べていた同級生の姿が、未だに忘れられません。

 

息子は海老フライを食べてもどしたことがあります。

無理強いしたわけではありませんが、形状的に魅力的にうつったようで、パクつき、そしてもどしてしまいました。

 

苦しかったんでしょう。いまもあまりエビが好きじゃないです。食べれるんですけどね。

 

泣きながらトマト食べていた同級生はきっと、オエってなりながら食べていたと思うと…無理に好き嫌いを直さない方が、長期的に見て良いように思えるのです。

 

なんで無理に好き嫌いを直させるのか?

 

食べ物の好き嫌いだけじゃなく、子どもが小さいうちから、大人の事情というのか、大人の理想の子ども像というのか…を“しつけ”する。そんな場面、子育てでは多いですよね。

 

kazenoyaも、それが当たり前だと思っていました。

 

・好き嫌いなく食べて欲しい

・お友だちと仲良く遊んで欲しい(いじめっ子、いじめられっ子にならないで〜)

・早寝早起きしてほしい

・約束の守れる子に

 

書き出したらきりがないですけど。どれも全部、親の率直な願いですから。

 

ですが、元園長先生の話を聞きながら、ふと、ちょっと待てよと思ったわけです。

 

子育てって「待つ」スタンスが大切なのかも。

 

上に書いたような理想的な子どもの姿って、一朝一夕に出来るものじゃない。言ってすぐに変えられるものでもない。

地道にコツコツと伝え続けて、気がついたらそういう子になっていた、というような種類のものだと思います。

 

それには子どもの成長を横で見守りつつ「待って」、必要な時に必要な手助けをする。助言をする。

 

難しいことだけど。わかっちゃいるつもりだけれど、どうしても「いま」「すぐに」やって欲しくて、ついつい酸っぱくなる口です。

 

昔の教育者、昔のお母さんはそれが自然に出来ていたのかもしれませんね。憶測ですが。

 

「あぁ、ピーマン嫌いなんだね。苦いんだね。」

 

これをいつでもサラッと言える自信があるわけじゃないですけど。「食べてみたら?ちょっとだけでもさ。おいしいかもよ」といつも言ってしまうけど。

 

でも、本能で避けているわけですから、いつかを食べれるようになると子どもを信じて待ちたいな、と思うのです。