朝が来るのが恐ろしく、夜が来ることを受け入れられなかった…息子の乳児時期を振り返る。

通常の3倍、手のかかる息子を育てています。kazenoyaです。

 

最近、だいぶ楽になってきたので、一番ツラかった乳幼児時代を振り返ってみようと、やっと思えるようになりました。長いですが、よろしければおつきあいください。

 

産んですぐ、産院で。

 

よく動く

「新生児はほとんど動きません」と育児書で読んだ記憶があります。ですが、息子はよく動きました。黄疸で治療器に入っていたのですが、中の上下移動可能な台の端っこまで移動し、ガラスケースとの間に挟まりそうになっているところを何度も救出しました。

だいたい、生まれたてで乗せられた台の上でゴソゴソしていて、母と義母が「落ちる」って話していたのを私、産後の処置をされながら聞いていましたから。

よく何かから落ちずにここまで育ったものだと、今考えると恐ろしい。

 

 

 退院が怖い

難産だったからか(陣痛室40時間、分娩室7時間の末吸引分娩でした)母乳の出が悪く、息子も飲むのが下手。でも食いしん坊で(今だから分かることだけど…)ミルクを足すも、あっという間に泣き出して新生児室からお呼出が。「こんなことなら母子同室にしてくれ」と何度も思ったけれど、もし母子同室ならそれも大変だったのかな?その病院は2人目以降しか母子同室をしていなかったんだけどね(スバラシイ!)。そんな状況だったので、退院して助産師さんが頼れなくなることがとても怖かったです。

でも、まだまだ普通の育児でした。

 

退院後、生後3か月まで。

 

取り説を本気で探していた

「このよくわからない小さいモノの取り扱い説明書を下さい」と病院に電話をかけようと本気で思っていました。なんなら返しに行こうかと(ひどくてスミマセン)。今考えると、この時はまだまだ序の口。泣き方もなにもかも可愛いもんだったんだけれど、初めて育児で余裕が皆無だったため焦りばかりが先にきてしまい、結構あたふたしていた記憶があります。全然、母親じゃなかった。

「母性のスイッチ」というものがあるとすれば、きっと錆び付いていたのでしょう。

 

母性のスイッチが押された生後3か月

  

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生後2か月ごろから乳児湿疹が悪化しだし、生後3か月には痒がって、夜も抱いていないとまったく寝られなくなりました。この頃から少しずつ「通常の3倍」育児になってきたような…。

 

一方、良かったことは、それまで混合栄養だったのが母乳だけで足りるようになりました。ミルクの用意や持ち運びがなくなり、時間的な余裕が出てきた。

 

吸引分娩だったため「斜頸(しゃけい)」というものが首に出来ていて、その治療のために毎週1時間かけて病院に通っていたため、これは本当にありがたかったです。

 

寝るのが苦手、起きるのも苦手な3〜7か月。

 

睡眠障害的なヘタクソさ

ひとりで全く寝られず、寝入るまでにとても時間がかかるのに、いざ“寝た!”と思い置くとすぐに起きる。7か月で「横向き寝」を編み出すまで、ひたすら抱き続けていました。朝も昼も夜も。起きていて機嫌のいい、つかのまの間だけが、息子と肌を離せる貴重な時間でした。ご飯も抱いたまま食べていた記憶が…。そして起きる時はいつも「怒り泣き」。というか、叫んで呼びつける。の後、大号泣。「どんだけ寝るのも起きるのも下手なんですか?」といつも旦那と嘆いておりました。これは5歳の今でも片鱗が残っています。泣いて起きることは少なくなりましたが。

 

その後、横向き寝を発展させ、Cの形の授乳クッションを使って寝かせる必殺技を編み出しました。まとまってひとり寝してくれる時間が出来るようになって、育児がぐんと楽になった記憶があります。

 

乳児湿疹も一番ヒドイ時期。

判明した食物アレルギーと痛々しいアトピー肌に心を痛めていた時期。いろいろなネット情報などを読みあさっていました。

よく『スマ放置』などと非難されるけれど、こんな母もいるんだ。情報に踊らされちゃだめだけど、どんな些細なことでも、子どものためになれば!とスマホに情報を求める母親もいます。分かって欲しい。

  

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チュビファーストという人工絹糸で出来たチューブ状の包帯で顔や手足を保護していて、見た目的にも痛々しく(ある意味可愛いけど)、緊張感満載の離乳食。これも追い打ちをかけた要素のひとつ。

 

10か月でひとり座りの完成からの幸せ育児期。

 

want!のジレンマからの解放が鍵

赤ちゃんの頃の息子はとても要求値が高く、いつも怒り泣いていました。

起きている間はずっと呼びつけられている感が半端なく、息子が起きる気配に怯える朝。そして、夜は夜で、添い乳で寝ていたために何度も起こされ、ほとんど半裸で寝る毎日。朝起きると自分がガラスープをとった後の出汁ガラの鶏になったような気持ちになる。夜が半端無く疲れる。毎晩、寝かしつけの時間になるとド〜ンと沈んでいました。

今考えると息子は、いつも腹ぺこで、そして何かしたい気持ちでいっぱいだっただけなのかもしれません。

5歳の現在、40代の私よりも食べます。規定量のミルクや私の母乳だけじゃ足りなかったんだと思います。「〜したい!」の欲も同年代の子以上に旺盛です。それなのに自分では満足に動かせない体。そのジレンマでどうしょうもない気持ちだったのではないでしょうか?

状態が変わったきっかけとなったのが、ひとり座りの完成でした。それまで首座りも寝返りも順調だったのが、なかなかひとり座りが出来ず…10か月でやっとひとり座りが完成。自分で動ける範囲が増えて、呼びつけが減り、ちょっとだけ毎日がラクになった時期でした。

 

おかしなハイハイ。

 ひとり座りが出来なかったので、ハイハイも出来ませんでした。そして、ひとり座りしたかと思ったら、即、つかまり立ちを始めました。片足を立てて、ちょとちょこと移動するようなハイハイも、やっと始まりました。

ハイハイはスタイル的には座ったような姿勢のまま、手と立てた足で“いざる”ように進みます。お猿さんみたいで可愛かったのですが、ハイハイをしないのはあまり良くない。発達障害の子は、発達が順番通りでないことが多いと後に知りました。

 

ヨチヨチ歩きの可愛い1歳

 アトピー肌がかなり改善され、チュビをしないで過ごせる時間が増え始めました。可愛い笑顔を振りまいてヨチヨチ歩きする息子。靴に慣れて欲しいと芝生の公園に連れて行ったり、いちばん子育てが楽しめた時期だったように振り返ります。そんな練習が無意味だったと、すぐに思い知らされることになるのですが…。

 

暗黒期が始まった1歳半

 

幸せ育児一転

「なんだ、靴を履いて歩けるじゃん!」と思った瞬間、走り始めた息子。

当時の彼にとっては『親の手は振りほどくもの』。ハスキー犬のように、いつの時も往路しかないのです。走り去ったら戻らない。どんな危ない状況でも、手を振りほどいて一直線に逃げ去る。この状況で一緒に出掛けた叔母に「この子は普通の3倍手がかかる」と言われたのがこの時期です。

出掛ければ帰るのを嫌がり『大漁旗』状態で抱きかかえて強制撤収するのがデフォルトでした。安穏とした日々が遥か遠くに感じました。

考えてみれば、まったく自由にならなかった自分の体が、自分の意思で動かせるようになったのだから、ただただ嬉しかったのでしょう。

 

“殺さない”だけで精一杯

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 こんな抱っこをあみ出した頃。

端からは虐待に見えてたかもしれませんが、息子を殺さないための苦肉の策。

 

息子は言葉が遅かったのです。

上手に意図を汲み取ってあげられなかった母と、自分の欲求が理解されないイライラから暴れる息子。幼さ故リミッターが機能していないようで毎度マックスの力を出し切っていやがる息子。北斗シンケン的身体能力に対応できない四十路母。

私はすでに働いていたけれど、3歳まで夜間授乳を続けていたため、その間も「夜通し鶏ガラ出汁取り作業」が続けられていました。

結構ヘトヘトな四十路育児。

 

ひとりじゃ無理!発達外来へ。

 

検診でぶちまけた私

言葉が遅いことや育児困難っぷりで不安でたまらず、またもや検索の鬼と化していました。「2歳 発達障害」「2歳 言葉 出ない」で何度検索したことか。あまりに不安で、そして毎日の育児がもう限界過ぎて、行政がやっている2歳の検診でぶちまけました。「オムツ替えが戦争のよう」「指差しをしないように思える」「私の言葉も理解しているのかどうか判明できない」「虐待まがいに泣かせないとチャイルドシートに乗せられない」などなど。保健師さんがいい人、親身になって相談にのってくれ、発達外来へつなげてもらいました。

 

 専門家の助けで暗黒面から逃れた

最初に発達検査を受けたのが2歳4か月。 結果は1年1ヶ月の遅れ。そのまま行けば、知的障害のレベルです。その後伸びてきたのですが、当時はやはり落ち込みました。

しかし、医師が話しを聞いてくれたり、ST、OTの方が効果的なかかわり方や、息子の理解の助けになるようなアドバイスをたくさんくれ、また、息子もちょうどこの頃から言葉が増え始めたこともあって少しずつ暗黒面から脱してきました。

そして、2歳前に左目が時々寄ることに気がつき眼科を受診するも「もうちょっと落ち着かないと無理」と診察してもらえずにいたのですが、これも発達外来で相談し、3歳検診前に小児眼科を受診して「調節制内斜視」の診断を受けることも出来ました。

 

一般的な育児の苦労はあまりしていない

 

案外スムーズなトイトレ&卒乳

いろいろな苦労話しを書いて来ましたが、実は一般的な「トイトレ」「断乳」などの苦労はあまりしていません。トイトレは夜間も含めほとんど失敗無く、断乳ではなく、実に平和に言い聞かせ卒乳したので。

「すごい!」と言われそうですが、どちらも始めた年齢がとても遅かったのです。早めになんとかしようなどという余裕がないまま年齢を重ねていました。

他の不安要素が大きすぎて、日々が大変過ぎて、断乳やトイトレは後回しにしてきたのが良かったのかもしれません。

卒乳は3歳と2日目、トイトレ(おしっこ)完了は年少直前でした。 

 

「うんち」でつまづいたトイトレ

内弁慶というわけではないのですが…内と外の使い分けが激しい息子。かなり小さなころから「うんち」は家ですることに決めていたようです。(今ではたまに外でもするし、私の母と出掛けていてうんちすることもあるようですが)

ゼロ歳児クラス(4月生まれのため1歳直前)から保育園へ通っていたにもかかわらず、保育士が息子のうんちをほとんど見たことがない!というぐらい。なので、うんちのトイトレは年少4月時に未完了でしたが、なんとかなりました。

聞いてみると、息子はトイレでうんちするのが怖いと!うんちと一緒に落ちてしまいそうな感覚になるようなんです。

それならばと、遅ればせながらオマルを購入し、部屋の片隅を彼のトイレにしました。

そうすることでうんちのトイトレも無事完了しました。時期は忘れてしまいました。

 

早々に諦めた離乳食 

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 離乳食は、人並み以上に苦労した分野と思います。ですが食物アレルギーが判明したことも手伝って、すぐに諦めてしまいました。

食べない!と思い悩むことを止めてしまったため、精神的にラクでした。

 

ブログをやっていて、皆さんの育児の苦労話しなどを読むことが多く、少しずつですが当時のことを思い返すことが増えました。当時は本当に苦しかったけど、今となってみればすべてが良い思い出です。自分、よく乗り越えた!と褒めてあげたい。

 

これからまだまだ、育児の大変ウェーブが押し寄せることもあるかと思いますが…。