少子高齢化の先にある未来

少子高齢化の先進地に住んでいます、kazenoyaです。

 

夏休み中、長野県の、わが家よりさらに田舎にある、夫の母親の家へ帰省してきました。

 

 

往路の途中、辺鄙な場所にあるスーパーに立ち寄りました。

(とは言ってもメイン道路沿いの、その近辺では大きいだろうところです)

私は気がつかなかったのですが、夫曰く人材募集していたと。

 

その文言は

「65歳以上でも元気な方求む。 時給1000円」

 

だったそうで…

 

わが家のいま住んでいる場所より「時給がいい」と。

 

「そこかい!」と脳内で突っ込みつつ私は、

 

「いまは仕事がないけど、これからは働き手『も』いなくなるんだな」

 

と感じて怖くなってしまいました。

 

いま、わが家の住む地域は就職難です。仕事探しに苦労します。

 

だから若手は都会や周辺の少し便利な場所に働きに行ったり、引っ越したりしてしまいます。

 

そして高齢化率がすごいことになっています。

(老人だけはたくさん住んでいる、ということです。なので地域としてはある程度賑わっている感があります)

 

かのスーパーもそんな、同じような地域にありました。きっとさらに上を行く場所なんだと思います。

 

一家の主が)働く場所もないけど、(若い世代がいないから)働き手もいない。仮にいても(家をやしなうほどの収入にはならないから)65歳以上(年金もらってる人)が働き手のターゲット。

 

ってことなのかなと。

 

大変だな、と思いつつ。他人事ではない。

 

労働世代が減っているのはわが地域も一緒です。

事実、労働世代の多くを構成しているであろう子育て世代が減っていて、息子の行く予定の小学校は、年々児童が減っています。ことしの1年生は1クラス20数名でした。息子が1年生になるころには、20人いないかもしれません。

 

そのさらに数年後にはこれと同じスピードで中学生、高校生が減って行くんですよね。新成人も減って労働人口が減って…理屈では知っていたことだけれど、なんだか現実を目の前に突きつけられたような、そんな気持ちにさせられる募集要項だなぁと思いました。

 

まぁ、現実にはAIやロボット化して仕事量も減るんでしょうけれど。

 

そして…

 

少子高齢化初期には少ない若手が多くの高齢者を支えるキビシい時代がくるんでしょうけど、(いまのわが地域がここですね)それでも高齢者は、客にもなり得ます。でもいずれ、商品やサービス、情報などを受取る側も減るんですよね。

 

息子たちが生きる時代は、どんな世の中になるのでしょうか?

 

団塊ジュニア世代(しっぽのところの世代です。私は)には、想像を絶する世界かもしれませんね。

 

仕事的には「人手はないけど、まとまった収入が得られる仕事もそう多くはない」

(家計を支えるには副業必須?)

人口的には「隣の家まで数㌔な、アメリカの片田舎的な感じ」になるのかな?

(映画やドラマでしか知らない世界だけど)

 

これからを生きるための意識、というか?いろいろ考えを考えないといけない時代に来ているのかもしれませんね。