「発達障害」と書かない理由
個人としっかり向き合っていきたいと考えている、kazenoyaです。
ブログタイトルの「通常の3倍男子」。
不思議とオタク心をくすぐるようなタイトルですが、息子は決して通常の3倍速い訳ではありません。
通常の3倍手がかかる=育てにくい=発達に偏りがある(かもしれない)
という意味で使っています。
なので、本来のタイトルは
「発達障害グレーの息子を育てている母の雑記ブログ」ということになります。
(息子はなかなか診断名が付きません)
「発達障害という言葉に抵抗がある」と書くと障害受容が出来ないのか?という話しになるんだと思います。
まあ、ある意味そうなのかもしれません。
今現在の私の考えを書きます。
(覚え書きに。考えがころころ変わる質なので)
もしも息子が、店で奇声を上げて走り回る子どもだとして
「うちの子、発達障害なので」
とは言いたくないと考えています。
自分がそれを言われた店員だとして「だからなに?」というのが正直な気持ちだし、発達障害を盾にすることは、息子に対しても失礼なことんじゃないかと思うからです。
(誤解があるといけないので断っておくと「奇声を上げる子どもは公共の場に連れ出すな」という意味で書いている訳ではありません。ですが、個人を尊重しようと思うなら、そういった息子がイタい目線にさらされるような外出は避けたいと思うのが、親心でしょう)
どんな特性を持っていようとも、そのスペックで人生を歩んでいかなければならないのは息子です(“卵アレルギー”のスペックも持ち合わせていますし)。そして、息子はとても個性的で素直で、でもちょっと頑固で、夢にあふれた、魅力的なパーソナリティを持っています。極端にくどかったり、自分本位なところ、話を聞かないところがたまにキズですが。
だれとも違う個性を「発達障害」でくくってしまうことは、時には人生を生きる手助けになります。主に教育などで支援を受けることが出来ると、ぐっと生きやすくなるかもしれません。
関連する書籍を読んだり、インターネットで情報を集めたりすることは、息子を理解する手助けになることもあるかもしれませんが、それに偏ってしまうと、理解の妨げにもなり得ます。
一方「発達障害だ」と決めて対処法を考えることは、私的にもラクだったりします。
医者でもリハでも様々な助言をしてくれますし、その偉い先生たちが治療方針や関わり方のTip'sを指導してくれます。
でも、一度きりしかない、そしてあっという間に終わってしまうであろう幼児期の子育てでラクしていいのでしょうか?
人様の意見を聞くことも大切ですが、それより大切なことは息子を見ることなんじゃないのかな?
将来息子自身もその特性で自分自身を持て余す時が来るかもしれません。
幼児のいまのこの時期、しっかり向き合って過ごすことが、その時になにかの助けになるような情報を蓄積するための準備になるかも。そう考えています。
「まぁ、そんな肩に力を入れるなよ」と言われそうです。
「子どもなんて勝手に育つんだから」という言葉には大賛成です。
そうなのかもしれないけれど、そう簡単に諦めきれないのが「親」という生き物なんじゃないかな?と思います。