主婦になって「お金への感情」が変わりました
やっと自分の労働へねぎらいの気持ちを持てるようになりました、kazenoyaです。
先日母親と話していて、心に引っかかってしまった言葉が、ずっとツラいです。
母はいわゆるキャリアウーマンで働く母親でした。経営者でもありました。
「お金なんて」
まぁ、幼いころからお金では苦労したと聞いています。経営者になってからも苦労していたのを見ながら、kazenoyaは育ちました。
「どうでもいいと思っているし。足りればね。足りないと困るね」
私自身、母のこういう言葉は聞き飽きるほど聞いています。
でもこんなに引っかかったのは始めてです。
私の中でお金への感情がシフトしている
なんでだろう?と考え始めて気がつきました。
「お金が可哀想。そのお金を働いて得た母自身も、そんな言い方したら、可哀想だ」
という感情が自分の中に芽生えていることに、です。
労働してお金を得るということは、本来とても素晴らしいことで尊いものです。
でも、母はそうは思っていません。
「どうでもいい」と思っていて、でも、
「1円でも足りないと役に立たない」という経験も積んできていて。。。
お金にはいろいろ振り回されていたのかな?と今の私なら推測出来ます。
親の価値観というものは、子どもの情緒の発達にとても深く影響するものだと、身をもって実感しています。
どうして変わったのか。主婦という立場。
何があったのか?どうして変化したのか?
自分自身でも不思議でなりませんでした。
大好きだった母を、尊敬していた母を「可哀想」なんて思うなんて。
ものすごく個人的なことですが、kazenoya家は去年、経済的に厳しい年度でした。
親族の結婚式や息子の七五三、家電が壊れたり、車をぶつけたり…
思い返しても笑っちゃうぐらい、いろいろありました。
「どうでもいい」と思っている母に育てられたkazenoyaの家計管理はいわゆる〝どんぶり〟いや、ザルか?といった有様だったので、まぁ、散々な年になりました。
夫の稼いだお金を大事にしたい
ザルの目をザアザア流れて行くお金たち。
もったいない。無駄にしたくない。
夫が身を粉にして、家族のために働いてくれたお金なのに。
そんな気持ちが生まれました。
だれかの稼いだお金で暮らすということ
もちろん、専業主婦ではないので、自分自身でも稼いでいるのですが、全て自分の稼ぎで暮らしていた過去から、夫の稼ぎを当てにする生活に変わったというのは、大きな転機だったように思います。
ひとは、こと〝自分〟のこととなると、評価が低くなってしまいがちです。
自分の時間を使って稼いだ金額を時給換算して「最低賃金以下だ!」と憤ることはあっても「生活のため」と腹もくくれる。
でも、ひとの頑張り、ひとの時間を無駄には、し難いでしょう?
ましてや大好きな人の大切な労働や時間を無駄には出来ません。
そういう気持ちを、結婚後ひとつひとつ積み重ねてきて、そして、変わったのだと思います。
自分自身も、そうやって尊重される「頑張り」や「時間」を紡いでいるということに、気がつけるようになりました。