発達支援の体操教室最後の日「参観日」

過去ブログを読み直して、息子の成長っぷりに驚く、kazenoyaです。

 

年中から通っていた発達支援の体操教室が最後の日を迎え、簡単な参観日がありました。

 

思えば大爆笑したあの日が最初。

 

kazenoya.hatenablog.com

 

本当に貴重な時間を過ごさせてもらったんだと、感謝しかありません。

家では絶対にやらせられなかっただろう、危険な遊び(?)を、自分と似た特性の仲間とともに思う存分遊びつくし、先生をリスペクトして過ごした2年間は、息子にとってかけがえのないものだったと思います。

 

体幹・姿勢が驚くほどしっかりした

 

普段の家での様子は本当にトドのようで、ダラダラごろごろしているようにしか見えませんが、参観日での息子のタントラジャンプには目を見張りました。

 

お尻やお腹がクネクネすることなく、しっかりと体制を維持しながらジャンプ出来ていました。

 

それよりも何よりもの驚きは、先生の指示をちゃんと聞こうとしている姿勢。失敗してもおちゃらけたり、ごまかしたりしようとせずに、「間違えちゃった」と自分で申告する様子。どれもこれも、家とは大違いでびっくり。

 

「よろしくお願いします」「ありがとうございました」の挨拶もきっちり。

 

もちろん、キョロキョロ系も残存していますし、指示の通りにくさも残っています。

「耳天状態」なのか?マイルールなのか?判断に迷うような不思議行動も、無くなってはいません。

 

でも、難しい指示でも、先生の言葉の意味を一生懸命に理解しようとしている様子が伝わってきて、母として、「コレは誰だ」状態でした。

 

確実に、家では見せない顔でした。

 

※ちなみに、耳天は「お耳が天井に行っちゃってる」という息子本人の言葉からの造語です。最近では「お耳天井に行っちゃってた?」と聞くと「ううん、月に行ってたよ」と返す、ユーモアの成長(?)も見せてくれています。耳月か?

 

案外わかってない、子どもの得手不得手。

 

発達特性ゆえ、得手不得手の差が激しい息子。

それ自体は医者からもよく言われていて、発達検査の結果でも数値で出ているので、理解しているつもりでした。

 

ですが、実際に目で見るというのは、こんなにも違うことだと気づかされます。

 

指示の通りにくさだとか、耳天だとかに気をとられがちで、細かな得手不得手まで気がついてあげられていないんだと、気づかされました。

 

 

参観で、とてもよくわかった苦手さ・得意なことを、覚え書きにしておきたいと思います。

 

【苦手なこと】

・後ろ向きで行うこと(タントラ後ろジャンプ、平均台後ろ歩き、後ろ向きでのでんぐり返し)

・手首足首が硬い。

・人の動きの真似(空間的な認識?どんな形なのか)

・股関節が硬い。(体が硬い)

 

【得意なこと】

・全体像の把握(先生が何を指示をしようとしているのか)

・トランポリン(脚力が強い)

・腹筋・腕の力は、思っていたより、付いてきている印象。

・出来るまでチャレンジする姿勢

 

全体像を把握するのはチョッパヤなのですが、それ故、「あ、わかったわかった!」的に突っ走ってしまうことが多く、注意を受けていました。そんな時はもちろん「耳月状態」です。叱るのではなく、よい方向に伸ばしてあげたいものです。

 

息子が帰ってきたら、チャレンジする姿勢や、先生の言葉を理解しようとする頑張り、トランポリンの上手さ、腹筋や腕の力で高いところに登れるようになったことを、思いっきり褒めてあげたいと思います。

 

 親とは違う大人と関わって、育つこと

 

体操教室の先生は、若い男の先生です。

 

わが家は高齢夫婦で、父母はおじさんとおばさん(笑)。

保育園の先生は、男の先生もいましたが、今は女性の保育士です。

 

体操の先生は、保育士とはまた全然違い、時に厳しく、時に息子と近い目線で関わってくれる、貴重な存在だと感じました。

 

自分の経験から、成長の早い大柄な子は、ぐんぐん伸びることで筋力が追いつかなくなること、それによって運動苦手意識を持ってしまう子がいることなどを教えてくれました。

 

息子も、かっこよくなんでも出来る先生(体操の選手を育成する教室の先生が本業なので)にリスペクトしている様子でした。

 

私が確実に怒るようなこと(危険なこと!)も、ここではOKだし、先生だって、やっちゃいます。

 

昔なら、近所のガキ大将が教えてくれたようなこと。

 

今の生活では、もう無理なこと。

 

背丈以上の深い「スポンジプール」で体全体を使ってもがき苦しむ(笑)ことだとか。

(昔の子は野山で駆けずりまわったり、代掻きとかで泥にまみれて経験したことかも)

 

本当に貴重な成長の経験だったのだと知り、よい参観になりました。