息子のADHD気質は、わが母からの贈り物だったようだ。

闇の乳幼児期を乗り越え、息子の特性が愛しくて愛しくて…心配な、kazenoyaです。

 

家族性のある困った特性は、もはや息子自身でもあり、私の課題でもあり…。

 

息子のことはもちろん、自分自身や夫、母、義父などを良く知る努力を怠らず続けることで、より完璧な「息子のトリセツ」にして大きくなった息子に渡そう。自分の命が果てるまでに。そう、日々心がけています。

 

面白い記事をみつけました。

 

http://hattatu-matome.ldblog.jp/archives/55306105.html

 

利他的動機づけ

 

まさにコレ、わが母のことだぁ。驚き。

 

「誰かのためなら頑張れる」

「自分の利を取る行動が出来ない(それには脳が働かない)」

「謎の正義感」

 

わが母は幼い頃、棒きれを持って、いじめ子と戦っていたそうで。。。

 

息子は、、、

 

子どもを叱るよその母親を見つけたとき、その母親に向かって「叱っちゃダメ」と挑んでいく、困った特性を持っているのですが、それを、わが母は、さも困ったという風に私に言うのですが…

 

それ、キミからの贈り物だから…っ!

 

と声を大にして言いたい。

 

他人の笑顔や感謝の言葉のような社会的報酬が期待されるときには健常児童よりも大きく改善する 

 

わが母のADHD気質

 

母は幼い頃、実家の家業がミシンの加工場だったため、よくミシンを分解して遊んでいたと聞いています。

 

幼児期には、教えてもいない百人一首をすべて諳んじるようになり、愛知県の田舎町では「神童降臨」ともてはやされ、小学生から一人で電車に乗って名古屋市内の学習塾に通ったという経験もあるそうです。(当時出来たばかりの「スガキヤ」で小倉アイスを食べるのが楽しみだったとか)(高IQタイプのADHD

 

そして、4人兄弟の長女だったため、学校が終わると小さな妹弟を背負ってよく働き、弱いものいじめをするガキ大将に向かっていくような、超のつくほど真面目で正義感の強い少女に成長しました。(謎の正義感)

 

高校はデザインの勉強がしたくて工業系に進み、先生に「なんでお前みたいな頭のいいやつがこんな学校へ来た」と言われ、さらに卒業時に「デザインのセンスまるで無し」と書かれた上に、知人男性2人とともにデザイン系の会社を立ち上げ、最終的には社長にまでなりました。(書いた教師は一生恨むとまで、言っていました笑)(集中力)

 

 自分の幼い頃の記憶の中の母は、まさに「スーパーウーマン」です。

 

取引相手の電話番号はすべて脳内にインプットされ、3つ4つのタスクを常に同時進行するような女性でした。(脳内の多動)

 

母をよく知る人は母の事を「回遊魚」と呼んでいました。止まると死んでしまうかのような働きぶりでしたから。

 

会社は最終的に倒産しましたが、全社員の再就職先まが決まるまで、ずっと寄り添い続け、職探しの面倒を見るような人でした。(人のためなら頑張れる)

 

現在はリタイア人生を謳歌!と思いきや、

「私って自分の事は全然やる気が起きないの。誰か私に『コレやって』って言ってくれないかな?そうしたら絶対成果出すまでものすごい勢いで働くと思うんだけど」が口癖です。(利他的動機付けによる脳の活性化)

 

 母は幸せだったのか?

 

そういう生き方なので、人から慕われることも多く、遠方の知人友人が多いです。今でも、緩和されたとは言え、結構忙しそうです。

 

息子の子守などを頼みたくて連絡する時でも

まず一声は「今どこにいるの?」と聞かねばなりません。

 

東京だったり、名古屋だったり、海外のことも多々。

 

飛び歩いているのに、本人の脳内は暇なようで、

口癖は「暇。誰か私に何か頼んで」です笑。

 

でも、友人は多いのに、私にはよく愚痴をこぼしていて、いつも謎の『理解しあえない感』を感じているように思います。母はきっと〝よく発達したADHD〟でしょうが、それでも特性は特性なんだな、と思います。

 

息子に渡すトリセツに、この部分の解決法を記載することは、本当に難しいことなのかもしれません。

 

息子と母の類似点と相違点

 

息子の場合は高IQタイプではないです。(境界域)

 

ですが、小さな頃からDVDのパッケージを見て長いタイトルを一字一句間違わずに諳んじたりと、似たエピソードも多いです。この部分はいわゆる聴覚に特化した認知特性の「ラジオタイプ」というものなのかな?と思います。

 

車の後部座席から道を覚えてしまうことも多く(視覚優位)、これは話し出す前からあり、子育てをやっかいにする一因でもありました。

 

謎の正義感は本当に強く、4歳の時には「世界を守るヒーローです!」と自己紹介し、トイレで見えない敵と戦っていましたし、今では、迷子を保護しようとしたり、子どもを叱る親を叱ろうとしたり、自然保護系の動画を見ては「地球さんが泣いてるよ。ゴミは捨てないでリサイクルしてね」と懇願するような子どもに育ちました。

 

違う点と言えば

 

息子は、利害が絡むと理解が良くなるタイプで、「自分の利を取る行動が出来ない(それには脳が働かない)」ということはないような気がしています。(文字は覚える気がなさそうなのに、数字の理解が結構ある(表記も含め)のは『自分がもらえる量(回数・時間)』を把握するため)

 

人のためなら頑張れる 

 

でもやはり、人のためなら頑張れる!という部分は、少なからず持っているような気がします。

 

朝の支度も遅く、学校から帰ると、グダグダに疲れてしまい目はYouTubeに釘付け。

耳天(お耳は天井に行っているんだよ〜)な聞いていない態度(最近はよく月まで行っています笑)は、自分で制御出来ないことも多そうですが、そんな彼が自ら動く時には、少なからず『他人』が関わっているような気がします。

 

「先生が『○○』って言ってた。今日は宿題やらなくちゃ!」

「今日は○○君と学校に行くんだ。遅刻しないように準備する」

「お母さんの車ピカピカに洗うね」

「お手伝いするね」

 

コレは…やはり利他的動機付けに他ならず、上手に育児に生かしたいゾ。と思います。

 

他人の笑顔や感謝の言葉のような社会的報酬が期待されるときには健常児童よりも大きく改善する 

 

とりあえず、手っ取り早く母のやれることとして、まず笑顔を増やそう笑。