みんな『おかず』なくしては、生きられない

世界中の子どもたちに幅のある未来を残したいと願う、kazenoyaです。

 

動物がおかずだとかおかずじゃないとか、いろいろ賑わっているようなので、これまで40年間温めてきた、自分の気持ちを書きたいと思います。

 

動物にしろ野菜にしろ、社会的な利便性にしろ、すべては自然や発展の上に成り立っていて、人は自然や社会の恩恵なしには生きられない生き物なんだと観念し、より良くなるように努力を惜しまずにいたい。きょうはそんな話しです。

 

面倒くせ〜こと書いてるなよ!と思われる方はスルーでお願いします。

 

こだわりの多いkazenoyaの本心

 

私は、生活に根ざしたこだわりが実に多いです。

逐一付き合ってくれている夫には、本当に頭が上がりません。

 

・できるだけ近くで生産されたものを買う(フードマイレージ

野菜は可能な限り地場産&信州産。私的には、輸送にもちゃんとしたコストを!という意味でのチョイスすが、輸送したものを買うのを避ける傾向が強いので、トラックドライバーをしていた夫が、友人と話す時にネタにされます笑。

 

・できるだけ抗生物質を添加しない飼料で育てられた食肉を買う(耐性菌)

腸活由来です。腸内細菌(自分の)をできるだけ殺さないことに加え、耐性菌を生まない社会を目指すために、買いません。たった一人(一家庭)の努力ですが、一人一人の力が社会を動かすと信じ、続けています。家計にはツライですが。

 

・できるだけ継続可能な漁や養殖で作られた魚介類を買う

動物や野菜は野のものを食べることは少ないのに、お魚だけは自然資源に頼る部分も大きく、資源の枯渇がヤバい状況のようです。これは最近知りました。

 

・できるだけ生産者の生活向上につながる商品を買う(フェアトレード

夫の今の仕事は製造業。給料が少ないです笑。と、いうことは、シンプルに考えれば(不祥事的な流出部分には目をつぶっての場合)物の値段はもっと上がったほうが良いということですよね。と、いうことで、出来ることからコツコツと。買える範囲で労働力を尊重し続けることで、息子たちへ残す社会が少しでも良い方向へ。

 

他にもありますが、単純に健康のためを思ってやっていることは表記しませんでした。

 

 菜食主義や自然派な人が寄ってくる

 

こんなこだわりを持ち始めると、菜食主義の方、自然派な方と接点が増えます。さらに生まれた息子はアレルギー持ちで、卵除去なんてやってると、本当にそういったお母さん方とお話しする機会が多くなりました。

 

でも、そんな自然派のお母さんたちとの会話に、なんだか違和感が生まれるようになってきて…。

 

結局、距離を置くようになってしまいました。そして、自分のこんなこだわりを素直に話せる相手も夫だけになってきてしまっています。

 

この違和感の正体をずっと探っていたのですが、最近ちょっとわかったような気がしています。

 

肉さえ食べてなければ、正義なのか?

気にすべきは自分と子どもの心身だけなのか?

  

お肉を食べなくても、卵や牛乳は畜産製品です。

野菜だってお米だって、命です。

スマホだって使うでしょう?

 

私は植物が好きで、植物を育てているとよく動くことに気がつきます。芽は、太陽に向かってぐんぐん大きくなるし、鉢の方向を変えればたった一日で芽の方向も逆になります。切り取られれば生きようと、灰汁を作って腐敗を免れようとします。収穫後の作物だって、冷やせば凍らないように、糖を蓄えます。

 

植物に気持ちや痛覚がないなんて、誰が確かめたのかしら?と思ってしまいます。

 

昔のおばあちゃんたちは畑の作物を収穫する時、「取ってくる」とは言わず「いただいてくる」と言ったそうです。そんな感覚を大事にしたいなぁ。

 

たしかに、動物を食べるときにはその動物が食べた分の食物も一緒に消費するわけで、地球資源の無駄遣いにはなるのかもしれません。

 

でも、道路やライフラインなど、発展した社会の利便性に頼らなければならない現状は変えられません。自然派の方も、パソコンやスマホは使う人が多いでしょうし、銀行に預金もするでしょう。

 

発展した社会やそこで働く多くの労働人口があってこそ、今の便利な生活があり、自然派だとか、菜食主義だとかがやれている。

 

とりあえず今の便利に感謝して、その上で、今あるさらなる課題をみんなでクリアして行こうよ!と思うのです。

 

諦めずに一生懸命、一員を続ける。

 

気のめげるようなニュースを見ても諦めないで、未来を選択するメンバーを止めないでいたい。

 

泥臭くても、かっこ悪くてもいいじゃないか。

おしゃれな自然派ママにならなくてもいいじゃないか。

 

感じていた違和感の正体は、、、

 

あなたたちが諦めちゃった、その社会の未来を生きるのはあなたたちの子どもたちかもしれないじゃない?

 

って事でした。

 

うるさいババァですみません。最後まで読んでくださった方に感謝します。