トゥンベリさんの言っていることと、人々の批判に思うこと。
批判に明け暮れて、目指すべき場所を見失わないで欲しいと願う、kazenoyaです。
消費増税には念入り過ぎるぐらいに備えるのに、来る「かもしれない」地球の危機には目をつぶって備えないなんて、ちょっとナンセンスすぎませんか?
過激派は苦手だけれど…
先日息子が、友人と賑やかに話しながら帰宅しました。
聞けば「環境について話しながら帰って来た」そうで…。
まぁわが家では、常識の範囲内でゴミを分別し、フードマイレージに気を配り、慎ましやかに暮らしてはいるものの、そのような活動をしていません。
移住者の多い田舎ですから、周辺にはかなり偏った家庭もあって、でもkazenoyaは、実は(こっそり)そういう家庭に疑問を持っています。
息子にも、聞かれれば自分の考えを話すけれど、息子自身もなんとなく、「母は自然を愛しているらしい」ぐらいにしか、認識していないと思います。
人間は進化の過程にいる
文明が発達し、自然を破壊しているのかもしれません。
ですが、ここまで発展したからこそ、次へ向かえるのじゃないでしょうか?
トゥンベリさんプラスチック使ってるじゃん!帰りは飛行機じゃん!とか批判している人がいるようですが、発展も、転換も、便利な世の中だからこそ、なんじゃないかな?
例えば、
わが家だけが菜食主義を選択し、車もスマホもない生活を実践し、人里離れたところでエコライフのお手本みたいな生活をしてあちこちで発信してみたところで、同じようなエコライフに興味のある人たちには受け入れられるでしょうが、「なんだか特殊な人たち」で終わってしまう気がします。
日本のおざなりな保育システムに活を入れたのも、毒のある一言でしたね。
(まだまだ変換の途中ですけど)
毒というのは、ある種のカンフル剤的に働きます。
「もしかして」に備えることのリスクなんてある?
発達障害のある人は、時にギフテッド的な特殊能力や、驚異的な集中力を持つことがあります。
トゥンベリさんがどうなのか?は計りかねますが、もしかして、驚異的な集中力で膨大な文献や資料を読み解いて、その数字から、地球の未来が「見えて」いるのかも、しれません。
もしかして、親や周囲の大人に利用されているだけなのかも、しれません。
もしそうだとして、その周囲の大人が、何を目指して子どもを操っている?のかさえ、想像の範囲を出ません。
でも、
トゥンベリさんどうこうじゃなくて、世界中の子どもたちに広がっている活動なんだから、中には自分で考えて行動している子どもだって、いると思うのです。
子どもたちが、反射的に行動を起こしている事実だけ見ても、当事者世代の切実さを垣間見ることが出来るような気がしませんか?
「もしかして」危機が迫っているなら、とりあえず備えればいいじゃないですか。みんな災害に備えて備蓄しているでしょう。
備えて困ることなんかないんだから。
もしかしてが来なければ、ラッキー!ぐらいに考えて。
これだけ騒がれただけで案外成功だったのかも
もしかして、裏に黒幕がいるとしたら、実はこの騒ぎ自体が、思うつぼなのかも。
こうやって世の中は変わっていくのかもしれませんね。