「字は、もう読めないと思ってるんだ」と泣いた彼。
子に寄り添うことへの本当の理解を、突きつけられている気がしています。kazenoyaです。
ディスレクシアを疑ったばかりの息子。
息子本人もやはり、文字に対しての苦手意識や劣等感を、もうすでに感じていると分かりました。
昨日の宿題での出来事。
普段は、読めないことを取り立てて指摘するでもなく、私が文を読んで、息子が解くという方法で宿題をしています。
しょうがないと思っているし、いつか読めるようになると思っているからです。
ですが、それがさも当たり前という態度を取られると、なんか違う。そんな意地悪心が芽生える時もある。母だって人間ですから。
まず、私が逸脱しました。
「ねぇ、もう読めないもんと思っちゃってない?頑張ってみる気、ないでしょう」
と。
息子
「あるよ。読もうと頑張ってるもん」
私
「じゃあ、チャレンジしてみる?」
そこからしばらく、教科書からの拾い読みタイムになだれ込みました。
感情崩壊したように話し出す息子
しばらくして、そっぽを向いて膝を抱え始めた息子。
泣き出しながらとつとつと話し始めました。
「もう1年2組はみんな、6年生よりも上手な字が書けるんだよ。僕だけなんにも得意なことがない」
その時になって初めて、私は息子がひとりで〝抱えて〟いたことに気がつきました。
気がつかないフリをして、頑張っていたけど。不安だったんだろうな。
すぐに気がつける母じゃなくてごめん。
私
「ねぇ、みんな誰でも苦手なことや得意なことがあるよ」
息子
「みんな苦手なことなんか、ないよ。僕だけ出来ない」
文字が苦手だと、どうしても学習の最初の躓きは大きいです。自分が何にも出来ないと思いやすいのだと、そういうことだと。
私
「あなたは、文章理解力はみんなよりスゴイと思ってる。でも、それが分かるのは、もうちょっと先。たぶん3〜4年生ぐらいから」
息子と私は今、夜の読み聞かせで「こわれた世界」を読んでいます。
書店で自分から、「はじまりの島」を買ってほしいと言いだし、2冊目です。

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「こわれた世界」は、冒頭部分を読み始めたばかりですが、交通事故に遭ったティーンエイジャーが状況が飲み込めないままにストーリーが進む、ほぼ心理描写しかない展開が延々と続いています。
日中突然に
「あの話、どうなるんだろうね」
「交通事故、怖いね」
などと言い出すので、息子はほぼ理解しているようです。
単純に「すごいな〜」と感じていました。
そんな話しや、物語を作るのが得意なこと(年長時にいきなり「七つのリング」という物語をつくり出し、流れるように話し出したことがあります)、マインクラフトのレッドストーン回路を、独学で作れるようになったこと(簡単なものだと思いますが、私と夫は、全く分からず、先日攻略本を買ってきたところです)などをあげて褒めました。
褒めている最中もそっぽを向いて膝を抱え込んだままだった彼ですが、突然こちらを振り向いて
「本当は、もう字は、ずっと読めないと思ってる」と号泣し始めました。
ちょっとショックな母。分かっちゃいたけど、7歳がここまで思い詰めていたなんて。
ケロリとしてしまうところが7歳児
母
「大丈夫、いつか絶対に読めるようになるから。お母さんだってお父さんだって、字は汚いし、お母さんは子どもの頃は、算数が壊滅的だった。方向音痴だって、やばいレベル。でも今はお買い物できるできるでしょ?だから一緒に頑張ろう」となだめ、彼の仕事にしているお風呂掃除に送り出しました。
そうこうしているうちに夫が帰り
いつも通りの日常へ。
帰った夫を捕まえて
自分がマインクラフトのモッドを作りたいだとか、(脳内ですでに作っていて)「ねぇ、導入してみたい?やってみる?面白いでしょ?僕が作ったモッド。どうだった?」と、彼ワールド内の理解不能なトークを、マシンガン発射し続け…。
もうケロリとしているじゃないか。いつも通りだぞ。
いまおセンチメンタルだった君は何処へ?
母は「良かった〜」と、これまた普段通りの日常に戻って行きましたとさ。
「折り合いをつける」まで、どう寄り添うか。
彼は、どこまで字を読めるようになるのでしょうか?
私にも、ディスレクシア的はなところがあります。
子どもの頃、脳内の思考に鉛筆が追いつかないことがよくありました。書く文字をいくつも飛ばしてしまうのです。今でもメモが汚いとか、簡単な文字をど忘れしてしまうとか。算数がダメだったのは、今では、ディスカリキュア的な、重度な理解不能だった可能性も高いと思っています。
でも、文章も書くことが出来るようになり、本も読めるようになっています。
ディスレクシアの程度は、個人差があります。
レオナルド・ダ・ビンチのように、大人になっても鏡文字を書いていた人もいます。
そして、ある程度成長してからじゃないと、それらとの付き合い方を身につけるのは難しいと思います。
息子はまだまだ、
どんな人にも得手不得手があることか、それぞれの得意を生かして輝くとか、まだそんなことさえ、理解出来る年ではないです。
苦手な部分から目をそらすことが出来ずに、先へ進めなくなっています。
いろいろな事をこれから、彼の脇に立って教えていかなければならないんだと、襟を正した次第です。