ピンポンダッシュは本能か

 

朝から天気がいいので、家族で揃って庭に出て外仕事。

 

私は、1週間ほど前からキッチンで根っこ出ししていたブライダルベールを植え付けたり、旦那は車をいじったり。息子は虫探しやボール蹴り。

 

相手をさせられそうになるのをかいくぐりながら日曜のお日様を楽しむ幸せ。

 

あんまり気持ち良いのでバーベキューでもしようと言うことになり、私だけ準備のために室内に戻っていたら…

 

「ピンポーン」

 

外から聞こえる

「逃げろ!」

 

 

何にも教えていないのに…。

まだ年中。友だち同士でピンポンダッシュする機会もきっとない。

まさか保育士が教えるはずもない。きっと誰にも教わっていないはず。

 

そうか、ピンポンダッシュは男児の本能なのか。文化だと思っていたよ。

 

朝が来るのが恐ろしく、夜が来ることを受け入れられなかった…息子の乳児時期を振り返る。

通常の3倍、手のかかる息子を育てています。kazenoyaです。

 

最近、だいぶ楽になってきたので、一番ツラかった乳幼児時代を振り返ってみようと、やっと思えるようになりました。長いですが、よろしければおつきあいください。

 

産んですぐ、産院で。

 

よく動く

「新生児はほとんど動きません」と育児書で読んだ記憶があります。ですが、息子はよく動きました。黄疸で治療器に入っていたのですが、中の上下移動可能な台の端っこまで移動し、ガラスケースとの間に挟まりそうになっているところを何度も救出しました。

だいたい、生まれたてで乗せられた台の上でゴソゴソしていて、母と義母が「落ちる」って話していたのを私、産後の処置をされながら聞いていましたから。

よく何かから落ちずにここまで育ったものだと、今考えると恐ろしい。

 

 

 退院が怖い

難産だったからか(陣痛室40時間、分娩室7時間の末吸引分娩でした)母乳の出が悪く、息子も飲むのが下手。でも食いしん坊で(今だから分かることだけど…)ミルクを足すも、あっという間に泣き出して新生児室からお呼出が。「こんなことなら母子同室にしてくれ」と何度も思ったけれど、もし母子同室ならそれも大変だったのかな?その病院は2人目以降しか母子同室をしていなかったんだけどね(スバラシイ!)。そんな状況だったので、退院して助産師さんが頼れなくなることがとても怖かったです。

でも、まだまだ普通の育児でした。

 

退院後、生後3か月まで。

 

取り説を本気で探していた

「このよくわからない小さいモノの取り扱い説明書を下さい」と病院に電話をかけようと本気で思っていました。なんなら返しに行こうかと(ひどくてスミマセン)。今考えると、この時はまだまだ序の口。泣き方もなにもかも可愛いもんだったんだけれど、初めて育児で余裕が皆無だったため焦りばかりが先にきてしまい、結構あたふたしていた記憶があります。全然、母親じゃなかった。

「母性のスイッチ」というものがあるとすれば、きっと錆び付いていたのでしょう。

 

母性のスイッチが押された生後3か月

  

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生後2か月ごろから乳児湿疹が悪化しだし、生後3か月には痒がって、夜も抱いていないとまったく寝られなくなりました。この頃から少しずつ「通常の3倍」育児になってきたような…。

 

一方、良かったことは、それまで混合栄養だったのが母乳だけで足りるようになりました。ミルクの用意や持ち運びがなくなり、時間的な余裕が出てきた。

 

吸引分娩だったため「斜頸(しゃけい)」というものが首に出来ていて、その治療のために毎週1時間かけて病院に通っていたため、これは本当にありがたかったです。

 

寝るのが苦手、起きるのも苦手な3〜7か月。

 

睡眠障害的なヘタクソさ

ひとりで全く寝られず、寝入るまでにとても時間がかかるのに、いざ“寝た!”と思い置くとすぐに起きる。7か月で「横向き寝」を編み出すまで、ひたすら抱き続けていました。朝も昼も夜も。起きていて機嫌のいい、つかのまの間だけが、息子と肌を離せる貴重な時間でした。ご飯も抱いたまま食べていた記憶が…。そして起きる時はいつも「怒り泣き」。というか、叫んで呼びつける。の後、大号泣。「どんだけ寝るのも起きるのも下手なんですか?」といつも旦那と嘆いておりました。これは5歳の今でも片鱗が残っています。泣いて起きることは少なくなりましたが。

 

その後、横向き寝を発展させ、Cの形の授乳クッションを使って寝かせる必殺技を編み出しました。まとまってひとり寝してくれる時間が出来るようになって、育児がぐんと楽になった記憶があります。

 

乳児湿疹も一番ヒドイ時期。

判明した食物アレルギーと痛々しいアトピー肌に心を痛めていた時期。いろいろなネット情報などを読みあさっていました。

よく『スマ放置』などと非難されるけれど、こんな母もいるんだ。情報に踊らされちゃだめだけど、どんな些細なことでも、子どものためになれば!とスマホに情報を求める母親もいます。分かって欲しい。

  

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チュビファーストという人工絹糸で出来たチューブ状の包帯で顔や手足を保護していて、見た目的にも痛々しく(ある意味可愛いけど)、緊張感満載の離乳食。これも追い打ちをかけた要素のひとつ。

 

10か月でひとり座りの完成からの幸せ育児期。

 

want!のジレンマからの解放が鍵

赤ちゃんの頃の息子はとても要求値が高く、いつも怒り泣いていました。

起きている間はずっと呼びつけられている感が半端なく、息子が起きる気配に怯える朝。そして、夜は夜で、添い乳で寝ていたために何度も起こされ、ほとんど半裸で寝る毎日。朝起きると自分がガラスープをとった後の出汁ガラの鶏になったような気持ちになる。夜が半端無く疲れる。毎晩、寝かしつけの時間になるとド〜ンと沈んでいました。

今考えると息子は、いつも腹ぺこで、そして何かしたい気持ちでいっぱいだっただけなのかもしれません。

5歳の現在、40代の私よりも食べます。規定量のミルクや私の母乳だけじゃ足りなかったんだと思います。「〜したい!」の欲も同年代の子以上に旺盛です。それなのに自分では満足に動かせない体。そのジレンマでどうしょうもない気持ちだったのではないでしょうか?

状態が変わったきっかけとなったのが、ひとり座りの完成でした。それまで首座りも寝返りも順調だったのが、なかなかひとり座りが出来ず…10か月でやっとひとり座りが完成。自分で動ける範囲が増えて、呼びつけが減り、ちょっとだけ毎日がラクになった時期でした。

 

おかしなハイハイ。

 ひとり座りが出来なかったので、ハイハイも出来ませんでした。そして、ひとり座りしたかと思ったら、即、つかまり立ちを始めました。片足を立てて、ちょとちょこと移動するようなハイハイも、やっと始まりました。

ハイハイはスタイル的には座ったような姿勢のまま、手と立てた足で“いざる”ように進みます。お猿さんみたいで可愛かったのですが、ハイハイをしないのはあまり良くない。発達障害の子は、発達が順番通りでないことが多いと後に知りました。

 

ヨチヨチ歩きの可愛い1歳

 アトピー肌がかなり改善され、チュビをしないで過ごせる時間が増え始めました。可愛い笑顔を振りまいてヨチヨチ歩きする息子。靴に慣れて欲しいと芝生の公園に連れて行ったり、いちばん子育てが楽しめた時期だったように振り返ります。そんな練習が無意味だったと、すぐに思い知らされることになるのですが…。

 

暗黒期が始まった1歳半

 

幸せ育児一転

「なんだ、靴を履いて歩けるじゃん!」と思った瞬間、走り始めた息子。

当時の彼にとっては『親の手は振りほどくもの』。ハスキー犬のように、いつの時も往路しかないのです。走り去ったら戻らない。どんな危ない状況でも、手を振りほどいて一直線に逃げ去る。この状況で一緒に出掛けた叔母に「この子は普通の3倍手がかかる」と言われたのがこの時期です。

出掛ければ帰るのを嫌がり『大漁旗』状態で抱きかかえて強制撤収するのがデフォルトでした。安穏とした日々が遥か遠くに感じました。

考えてみれば、まったく自由にならなかった自分の体が、自分の意思で動かせるようになったのだから、ただただ嬉しかったのでしょう。

 

“殺さない”だけで精一杯

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 こんな抱っこをあみ出した頃。

端からは虐待に見えてたかもしれませんが、息子を殺さないための苦肉の策。

 

息子は言葉が遅かったのです。

上手に意図を汲み取ってあげられなかった母と、自分の欲求が理解されないイライラから暴れる息子。幼さ故リミッターが機能していないようで毎度マックスの力を出し切っていやがる息子。北斗シンケン的身体能力に対応できない四十路母。

私はすでに働いていたけれど、3歳まで夜間授乳を続けていたため、その間も「夜通し鶏ガラ出汁取り作業」が続けられていました。

結構ヘトヘトな四十路育児。

 

ひとりじゃ無理!発達外来へ。

 

検診でぶちまけた私

言葉が遅いことや育児困難っぷりで不安でたまらず、またもや検索の鬼と化していました。「2歳 発達障害」「2歳 言葉 出ない」で何度検索したことか。あまりに不安で、そして毎日の育児がもう限界過ぎて、行政がやっている2歳の検診でぶちまけました。「オムツ替えが戦争のよう」「指差しをしないように思える」「私の言葉も理解しているのかどうか判明できない」「虐待まがいに泣かせないとチャイルドシートに乗せられない」などなど。保健師さんがいい人、親身になって相談にのってくれ、発達外来へつなげてもらいました。

 

 専門家の助けで暗黒面から逃れた

最初に発達検査を受けたのが2歳4か月。 結果は1年1ヶ月の遅れ。そのまま行けば、知的障害のレベルです。その後伸びてきたのですが、当時はやはり落ち込みました。

しかし、医師が話しを聞いてくれたり、ST、OTの方が効果的なかかわり方や、息子の理解の助けになるようなアドバイスをたくさんくれ、また、息子もちょうどこの頃から言葉が増え始めたこともあって少しずつ暗黒面から脱してきました。

そして、2歳前に左目が時々寄ることに気がつき眼科を受診するも「もうちょっと落ち着かないと無理」と診察してもらえずにいたのですが、これも発達外来で相談し、3歳検診前に小児眼科を受診して「調節制内斜視」の診断を受けることも出来ました。

 

一般的な育児の苦労はあまりしていない

 

案外スムーズなトイトレ&卒乳

いろいろな苦労話しを書いて来ましたが、実は一般的な「トイトレ」「断乳」などの苦労はあまりしていません。トイトレは夜間も含めほとんど失敗無く、断乳ではなく、実に平和に言い聞かせ卒乳したので。

「すごい!」と言われそうですが、どちらも始めた年齢がとても遅かったのです。早めになんとかしようなどという余裕がないまま年齢を重ねていました。

他の不安要素が大きすぎて、日々が大変過ぎて、断乳やトイトレは後回しにしてきたのが良かったのかもしれません。

卒乳は3歳と2日目、トイトレ(おしっこ)完了は年少直前でした。 

 

「うんち」でつまづいたトイトレ

内弁慶というわけではないのですが…内と外の使い分けが激しい息子。かなり小さなころから「うんち」は家ですることに決めていたようです。(今ではたまに外でもするし、私の母と出掛けていてうんちすることもあるようですが)

ゼロ歳児クラス(4月生まれのため1歳直前)から保育園へ通っていたにもかかわらず、保育士が息子のうんちをほとんど見たことがない!というぐらい。なので、うんちのトイトレは年少4月時に未完了でしたが、なんとかなりました。

聞いてみると、息子はトイレでうんちするのが怖いと!うんちと一緒に落ちてしまいそうな感覚になるようなんです。

それならばと、遅ればせながらオマルを購入し、部屋の片隅を彼のトイレにしました。

そうすることでうんちのトイトレも無事完了しました。時期は忘れてしまいました。

 

早々に諦めた離乳食 

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 離乳食は、人並み以上に苦労した分野と思います。ですが食物アレルギーが判明したことも手伝って、すぐに諦めてしまいました。

食べない!と思い悩むことを止めてしまったため、精神的にラクでした。

 

ブログをやっていて、皆さんの育児の苦労話しなどを読むことが多く、少しずつですが当時のことを思い返すことが増えました。当時は本当に苦しかったけど、今となってみればすべてが良い思い出です。自分、よく乗り越えた!と褒めてあげたい。

 

これからまだまだ、育児の大変ウェーブが押し寄せることもあるかと思いますが…。

 

イオン・トップバリュが案外アレルギー持ちに便利な件

 

基本的に、プライベートブランドをあまり好きになれない、kazenoyaです。

タイトルに反しています。スミマセン。

 

若い頃は、本当に徹底的に避けていました。

要はイメージです。(自分的には)あまりちゃんとした裏付けはない。

 

ですが、というかなので、というか。

 

最近は良く使っています。

 

なぜか?それは、

 

卵なし加工品が豊富だから。

 

ごくごく単純です。

 

狙っているのかな?単にコスト的なものか?分かりませんが、わが家的にはとても助かっています。

 

ウインナーとかかまぼことかの、安〜いヤツが、なんと卵不使用。

 

かまぼこの卵不使用なんて、あるの、息子のアレルギーで初めて知りました。びっくり。出来るんですね〜。

 

そしてわが家、さらに、旦那がお腹が弱い。

というか、潰瘍性大腸炎という難病指定されている疾患持ちです。

 

潰瘍性大腸炎は、原因不明ということで難病なんだそうですが、うちの旦那の場合は、いわゆる「チャイニーズレストラン症候群」的な?外食のラーメンでテキメン、約30分後にはトイレにこもる!という分かりやすさ。

 

他の要因は分かりませんが、多分、アミノ酸調味料がダメなのは確定です。ということで、出来る限りアミノ酸調味料も避けています。

 

これも、トップバリュで見つけました。

お好み焼きソースの化学調味料不使用。

 

焼きそばソースもそうみたいです。

買わないけど。

 

なんだかんだで、化学調味料不使用って少しずつですが増えてますよね。

 

最近、トップバリュのポジションが、自分の中で上昇中です。

怖い絵本「くいしんぼうのあおむしくん」

見つけました!コワイ絵本。近くの図書館で。

 

怖い絵本と言えば、少し前に話題になっていましたね。

「たべてあげる」。

nlab.itmedia.co.jp

作者は子どもに向けて、意図して怖くしたと書かれています。

「本来、日本の昔話にせよグリム童話にせよ、子ども向けの話というのは相当に怖いです。自分の理解を超えたものを信じさせます。実際の世の中は、そんなことばかりだからです。だからこそ、個人的には、絵本にはあまり大人の世界のコンプライアンス的配慮を持ち込まない方が良いのでは? と思います。なまはげ万歳です。親が怖い。先生が怖い。絵本が怖いというのは、とても健全なことな気がしますね」(ふくべさん)

確かに童話も昔話も、ちょっとコワイもの、多いですよね。

普通に子ども向けの絵本にも怖いの結構あります。

 

息子は、2歳の時に、せなけいこさんの「ねないこだれだ」が怖くて絵本にハマり、未だに恐がっています。

 

そして今回見つけた絵本がこちら。

 

「くいしんぼうのあおむしくん」

くいしんぼうのあおむしくん (こどものとも傑作集)

くいしんぼうのあおむしくん (こどものとも傑作集)

 

 

 息子は青虫が大好きで、いつも私に「お手て青虫ごっこ」をせがむほど。

だから、表紙を見て「これは好きそう」と思い、息子に見せました。

 

そして「読んでみよう!」という流れに。

「それにしても、表紙の絵、青虫には見えないんだけど…」という小さな不安に目をつむり、読み進めるうちに…。

 

読み終えて隣の息子を見ると「怖かった。これ、借りない。もう読まない」と青い顔。

 

個人的には怖い絵本、大歓迎です。人の理解の及ばない物への畏怖というのか、そういうの、大事だと思います。そいういのがないまま大人にるから、生き物としての謙虚な気持ちを忘れてしまいがちなんじゃないでしょうか?今の大人たちは。自分も含め、ですけど。

 

ストーリーとしては…

主人公の帽子を食べていた「あおむし」は、いろんなものをどんどん食べて大きくなります。そんな感じ。

パパやママが食べられるあたりで息子、恐怖が始まったようですが、その後も町や国などをどんどん食べて、最後は…夢なのか?現実なのか?不思議な終わり方。

 

救いのない「ねないこだれだ」に比べると、怖いというよりは不思議。

「たべてあげる」も読んでみたいなぁ。

 

5歳の誕生日プレゼントは戦隊モノとLEGO

5歳誕生日の話しを書こう書こうと思いつつ…10日もたってしまった、kazenoyaです。

 

誕生日と言えば、子育て家庭にとって1年のうちの2大プレゼントイベントのうちの1つですよね。

うちは一人っ子同士の高齢結婚&高齢出産夫婦なので、じじ&ばばの 財産 愛情が一極集中します。ありがたいやら、申し訳ないやら。

 

息子は、それはもう、天下でも取ったようになります。

近頃は上から目線の超・傲慢男になっていて「オレすごい!何でも持ってる!オレすごい!」的な?その自信が態度にもダダ漏れで、第何回目かのプチ反抗期っぽい言動が目立ち、とてもうっとうしい。

 

とまぁ、母・息子の不和はさておき、ことしのプレゼント一覧は以下。

 

1. 宇宙戦隊キュウレンジャー・キュータマ合体DXキュウレンオー 

 

2. 宇宙戦隊キュウレンジャー・DXセイザブラスター

 

3. レゴニンジャゴー・ローニンメカ 

レゴ (LEGO) ニンジャゴー ローニンメカ M.E.C. 70592

レゴ (LEGO) ニンジャゴー ローニンメカ M.E.C. 70592

 

 

クリスマスプレゼントは子どもの希望を探りつつ、大人 サンタが頭を悩ませて、提携業者のヤマトさんに届けてもらうのですが、誕生日プレゼントは「大きいおもちゃ屋さん」ことトイザらスへ家族で出掛けて、本人が選びます。1日がかりの大イベント。

 

おもちゃの購入で息子の成長を実感した

 

「おじいちゃんからの分」と「お父さん・お母さんからの分」と「おばあちゃんからの分」です。去年まではなかなか決まらず、息子本人も目からの情報が多すぎて悩み、悩むことに苛立ち、妥協して買って帰りの車でごねる!みたいな感じだったのですが、ことしは違った。

 

戦隊モノは毎年、一旦は「ほしい」とは言うものの、これまでは結局は買わなかったのですが、ことしはほぼ即決。事前にテレビCMである程度情報を得ていたのもあり順調に3つが決定して終始和やかにおもちゃ屋さんを後にしたのでした。

そのクールさには母、びっくり。

 

もう、買ってもらうことにも慣れちゃったのかも。それはそれで、ちょっと先行きが不安。

 

帰宅後、怒濤の開封作業。

 

親は1日かかることを想定して出てきたので、ちょっと拍子抜け。息子としてはいち早く帰って遊びたい。ということで、さっそく帰宅して怒濤の開封作業です。

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最初に手にしたのはやはりというべきか、キュウレンオー。興奮しすぎていて、私のショボいタブレットでは静止画像が撮影できません。

 

ですが、すぐ飽きてしまう息子。あっという間にセイザブラスターに手を出し、これも飽き、レゴに。

 

さすがのLEGOに脱帽。5歳でも組み立てられる!

 

レゴは8歳以上対象のものでしたが、大人と一緒に組み立てられました。組み立て表?みたいな冊子がついているのですが、文字がなく、見て分かるようになっています。さすが!「これなら出来そう」と思い、一緒にやってみることに。

 

用意するパーツが最初に書いてあるので私がそのパーツを探し出し、息子に手渡しながらページを見せるとすんなり組み立てるじゃありませんか。

ただ、パーツを探すのは、目移りしやすい特性の息子にはちょっと無理そうだったので次々パーツ探しに明け暮れる私。親もけっこう忙しい作業で写真は撮れず…。

 

途中で息子が飽き出したので自分でも組み立ててみましたが、些細な向きの違いとかでミスが連発してしまう。子どもの観察力にも脱帽でした。大人は思い込みで進めてしまうのがミスの原因っぽい。

 

その組み立て冊子にはパーツ一覧みたいなのが載っていて、息子は現在その一覧にハマっているよう。登園準備を済ませた朝などに見入っています。そんなもの、なにが面白いんだろう…。

本人曰く「何に使えるのか考えている」そうで、着々とオタク気質が芽を出している。

 

戦隊モノはアクセサリー?本命はLEGO

 

10日たった今では、ほぼキュウレンオーはおもちゃ箱の中。誰かお客さんが来たときにだけ、得意げに見せるために出して来ます。そして、その後は遊ばずに放置プレーとなるため、こっそり母が片付ける。その繰り返し。

 

戦隊モノは単なる“物欲的な購入”だったことがモロわかりです。実際いつまでも遊んでいるのはLEGOの方です。自分でオリジナルのロボットを組み立てて、対戦相手に仕立て上げ、戦いごっこに余念がありません。

 

戦隊ロボットは「かっこいい!」「欲しい!」の対象。そしてお友達に自慢したい。

もう、そんな年齢なんですね。

 

これからは金銭的な観念を育てるような、お小遣い制とか?そんなかかわり方やしつけも模索していかなくては、と考えさせられました。

 

5歳児の「敬語」に考えさせられた話し

 

長らくご無沙汰しておりました。Kazenoyaです。

 

年度末からいろいろなことがありました。

携帯(ガラケー)が壊れ、洗濯機が壊れ…。なぜか床下の防カビ工事までやることになり、車検も重なり、出費がかさむ…と困惑。

悪いことばかりかと思っていた矢先、昔やっていた仕事がらみでちょっとしたお仕事を頂けることになり、久しぶりの忙しさにワタワタ。

 

そんな中、息子の進級&誕生日です。

花まつり生まれの息子は、進級した途端、あっという間にお誕生日がくるのです。

 

人間、楽しいことも、やりがいのあることも、時にはストレスになると身をもって知った。。。

 

息子の誕生日ネタはまた後日。

 

さて、本題。

 

年中クラスが始まったばかりの昨日、園テラスへお迎えに行ったら、一目散に園庭横の畑で耕耘機を使っている地域のお年寄りの元へ駆け出した息子。

 

フェンスによじ登りながら大声で「畑のおじいちゃん先生!かっこいいですね!どこで買ったんですか?」と。

 

物怖じしないというのか…母はちょっと恥ずかしい。

 

そんな母を横目にも見ずに猪突猛進な息子。

 

息子の通う園は市内でも地域との交流に恵まれた立地です。園横の畑では園児たちがサツマイモやジャガイモ、大根、夏野菜などの収穫体験などをさせてもらっています。

 

だから「畑のおじいちゃん先生」とは顔なじみなのでしょう。

 

でも、なんで敬語?

日本語自体、まだまだ怪しい息子が?

 

そこまで考えて、はたと思い当たりました。

 

「あ、きっと先生が同じようにやっているんだな」と。

 

「すみません〜!子どもたち、そちらへお邪魔させてもいいでしょうか?」とか。息子たち、園庭のコンディションが悪い時は隣の田んぼで雪遊びさせてもらったりしています。畑の横を通ってお散歩に出掛けたりもしています。

 

周囲の大人を介して「社会」を知る子どもたち

 

息子とおじいちゃん先生、しばらく話していました。そのやりとりを見ていたら「田舎で子育てしていて良かったな」っていう思いがフツフツとわき上がって来ました。

 

最近聞いた話しなのですが、東京の大きな保育園に勤務されていた保育士の方が「子どもを園庭に出す時間が決まっていて、地域住民に告知している。時間を1分でも過ぎると苦情の電話が鳴る」という…本当かどうかは分かりませんが、なにやら恐ろしい話し。

現実はどうなんでしょうか?ご存知の方があれば教えてください。

 

そんな中で働いている先生たちはきっと、地域の人にとても気を使っていることでしょう。そこの子どもたちにとって、地域社会はどんな風に映っているのか?

 

少なくとも、息子の目に映るソレとは全然違うんだろうな。

 

そんな風に考えさせられました。

 

私は、30ウン年前に、名古屋市の中心地にある、今はビルの一角に組み込まれてしまった保育園に通っていました。その頃は一応園庭があった。お散歩はテレビ塔!目の前はテレビ局!みたいな環境です。

 

子育てはやっぱり、田舎の方がいいのかな?うちはいわゆる「子育て移住」ではなく、一応は移住組ですが、結果田舎で子育てしてる感じ。でも、周囲には子どもの教育環境を考えて移住してくる人たちも多いです。自分の子どもが育つにつれ、その意味がなんとなく、実感として分かるようになりました。

 

息子がおじいちゃん先生と話しをている様子は「人間、こんな環境で育ちたいよね」と思えるもの。保育園の先生たちを介して、優しい社会観を育てている息子に、ちょっとうらやましい気持ちになりました。

子育てを仕事に置き換えてみたら、しっくり。

 

結婚や出産と無縁の人生を長らく生きてきた私。仕事は、いわゆるキャリア志向ではなかったけれど、いろいろ経験してきました。

 

子どもを産んで最初の頃は、子育てがとても特別なことに思えていたのですが、ある時気がつきました。子育ても仕事も変わらないよね?と。

 

息子を、使えない高校生バイトだと思えば…。

 

私自身がまだ、ものすご〜く使えない高校生だったころ、私はある和菓子屋でバイトしていました。接客メイン。地元ではけっこう有名な和菓子屋で、慶弔の水引の結び方とか、避けなければいけない表現や物など、ここでいろいろ教えてもらいました。

 

私は、モロ更年期!?なおばちゃんと一緒に働いていました。

 

そのおばちゃん、やっている仕事や言っていることはきちんとしていただろうし、指導だって間違っていたとは思えません。でも、いつもイライラしていたような記憶ばかりが残っています。

私はと言えば、社会人としてはまだまだ幼児レベル。右も左も分からない。敬語だって未熟。ひどい有様でした。でも、いっちょまえにおばちゃんと戦っていました。

 

だって、当時の私の言い分は

「イライラしている自分のことは棚に上げて」です。

イライラさせていたのは私だろうし、そのせいでおばちゃんが何かしらの苦労を背負ったり、ミスをしたりすることもあったのかもしれませんが…。

 

息子と自分に当てはめて考えるとちょっと滑稽です。

 

イライラしている私が、いくら“しつけ”を振りかざしても、息子の心に響く訳がない。今、当時を振り返ると、あのおばちゃんには申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

 

自分の非を認め、反省出来ない人は尊敬できない。

 

その後もいろいろな上司や部下、同僚と出会いました。

 

広告代理で働いていた時は、自分の机と私の机の間の三角地点に面倒なクライアントの案件を落としては「こんなところに置きっぱなしにして」と私に引き継がせるような、ちょっと(かなり)モラハラな上司もいました。

リゾートバイトしていた時にやってきた、家庭に問題のありそうな15歳のバイト君は、毎朝起こしにいかないと自分で目覚めることさえも出来ませんでした。

小さな制作室で主婦ばかり7〜10人ぐらいを、まとめる立場で働いたこともありました。

 

尊敬できる人、この人の下で働こうって思える人って、自分の非もちゃんと認めることが出来て、改善していける人だと思います。自分が指導する立場になった時には、下の人が言うことにきちんと耳を傾けるように気をつけていました。そこから改善策を得られるように。でも、素直に「ごめん」を言うことは結構勇気がいることだとも知りました。

 

「オレは間違っていない」って人に有能な人はいないような気がします。目下にも素直に「ごめんな」が言えて、上昇志向の人って、それだけで清々しいです。

 

子育て中のイライラは“ミス”

 

子育て中にそんなことを思い出した私。

 

「しつけは一貫性が大切」

「言うことをころころ変えない」

 

などはとても大切なことだと思いますが、時には子どもに謝る勇気も必要なのかもしれません。「カッとなってごめんね」「さっきは言い過ぎた」的なコミュニケーションでしょうか。

 

考えてみれば、自分の子どもには「ごめんなさい」が言えるように育って欲しいと考える親がほとんどなのに、自分は子どもに謝らないってのはちょっと変です。

 

親だって人間だもの。イライラすることだってあります。

 

でもそれは、間違ってイライラしているんだもの。やろうと思ってイライラしているんじゃないんだもの。たまのミスはしょうがないです。抑えきれない感情は恥ずべきことじゃない。きちんと謝って、また前を向いて改善していけばいい。そこから構築できる人間関係だってあります。日本人の苦手なところだと思います。