「字は、もう読めないと思ってるんだ」と泣いた彼。

子に寄り添うことへの本当の理解を、突きつけられている気がしています。kazenoyaです。

 

ディスレクシアを疑ったばかりの息子。

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 息子本人もやはり、文字に対しての苦手意識や劣等感を、もうすでに感じていると分かりました。 

 

昨日の宿題での出来事。

 

普段は、読めないことを取り立てて指摘するでもなく、私が文を読んで、息子が解くという方法で宿題をしています。

 

しょうがないと思っているし、いつか読めるようになると思っているからです。

 

ですが、それがさも当たり前という態度を取られると、なんか違う。そんな意地悪心が芽生える時もある。母だって人間ですから。

 

まず、私が逸脱しました。

 

「ねぇ、もう読めないもんと思っちゃってない?頑張ってみる気、ないでしょう」

 

 と。

 

息子

「あるよ。読もうと頑張ってるもん」

 

 

「じゃあ、チャレンジしてみる?」

 

そこからしばらく、教科書からの拾い読みタイムになだれ込みました。

 

感情崩壊したように話し出す息子

 

しばらくして、そっぽを向いて膝を抱え始めた息子。

 

泣き出しながらとつとつと話し始めました。

 

「もう1年2組はみんな、6年生よりも上手な字が書けるんだよ。僕だけなんにも得意なことがない」

 

その時になって初めて、私は息子がひとりで〝抱えて〟いたことに気がつきました。

気がつかないフリをして、頑張っていたけど。不安だったんだろうな。

 

すぐに気がつける母じゃなくてごめん。

 

「ねぇ、みんな誰でも苦手なことや得意なことがあるよ」

 

息子

「みんな苦手なことなんか、ないよ。僕だけ出来ない」

 

文字が苦手だと、どうしても学習の最初の躓きは大きいです。自分が何にも出来ないと思いやすいのだと、そういうことだと。

 

「あなたは、文章理解力はみんなよりスゴイと思ってる。でも、それが分かるのは、もうちょっと先。たぶん3〜4年生ぐらいから」

 

息子と私は今、夜の読み聞かせで「こわれた世界」を読んでいます。

マインクラフト こわれた世界

マインクラフト こわれた世界

 

 書店で自分から、「はじまりの島」を買ってほしいと言いだし、2冊目です。

 

「こわれた世界」は、冒頭部分を読み始めたばかりですが、交通事故に遭ったティーンエイジャーが状況が飲み込めないままにストーリーが進む、ほぼ心理描写しかない展開が延々と続いています。

 

日中突然に

「あの話、どうなるんだろうね」

「交通事故、怖いね」

 

などと言い出すので、息子はほぼ理解しているようです。

単純に「すごいな〜」と感じていました。

 

そんな話しや、物語を作るのが得意なこと(年長時にいきなり「七つのリング」という物語をつくり出し、流れるように話し出したことがあります)、マインクラフトのレッドストーン回路を、独学で作れるようになったこと(簡単なものだと思いますが、私と夫は、全く分からず、先日攻略本を買ってきたところです)などをあげて褒めました。

 

褒めている最中もそっぽを向いて膝を抱え込んだままだった彼ですが、突然こちらを振り向いて

 

「本当は、もう字は、ずっと読めないと思ってる」と号泣し始めました。

 

ちょっとショックな母。分かっちゃいたけど、7歳がここまで思い詰めていたなんて。

 

ケロリとしてしまうところが7歳児

 

「大丈夫、いつか絶対に読めるようになるから。お母さんだってお父さんだって、字は汚いし、お母さんは子どもの頃は、算数が壊滅的だった。方向音痴だって、やばいレベル。でも今はお買い物できるできるでしょ?だから一緒に頑張ろう」となだめ、彼の仕事にしているお風呂掃除に送り出しました。

 

そうこうしているうちに夫が帰り

 

いつも通りの日常へ。

 

帰った夫を捕まえて

自分がマインクラフトのモッドを作りたいだとか、(脳内ですでに作っていて)「ねぇ、導入してみたい?やってみる?面白いでしょ?僕が作ったモッド。どうだった?」と、彼ワールド内の理解不能トークを、マシンガン発射し続け…。

 

もうケロリとしているじゃないか。いつも通りだぞ。

いまおセンチメンタルだった君は何処へ?

 

母は「良かった〜」と、これまた普段通りの日常に戻って行きましたとさ。

 

「折り合いをつける」まで、どう寄り添うか。 

 

彼は、どこまで字を読めるようになるのでしょうか?

 

私にも、ディスレクシア的はなところがあります。

子どもの頃、脳内の思考に鉛筆が追いつかないことがよくありました。書く文字をいくつも飛ばしてしまうのです。今でもメモが汚いとか、簡単な文字をど忘れしてしまうとか。算数がダメだったのは、今では、ディスカリキュア的な、重度な理解不能だった可能性も高いと思っています。

 

でも、文章も書くことが出来るようになり、本も読めるようになっています。

 

ディスレクシアの程度は、個人差があります。

 

レオナルド・ダ・ビンチのように、大人になっても鏡文字を書いていた人もいます。

 

そして、ある程度成長してからじゃないと、それらとの付き合い方を身につけるのは難しいと思います。

 

息子はまだまだ、

どんな人にも得手不得手があることか、それぞれの得意を生かして輝くとか、まだそんなことさえ、理解出来る年ではないです。

苦手な部分から目をそらすことが出来ずに、先へ進めなくなっています。

 

いろいろな事をこれから、彼の脇に立って教えていかなければならないんだと、襟を正した次第です。

 

ノルウェーの11歳女子に聞いてみた、スクールデモの話し。

昨日の夕方、急遽、ノルウェーからの来客がありました。

親子3代続く、家族ぐるみのお付き合いです。

 

元々、わが母の幼なじみがあちらへ嫁ぎ、その子どもが私と同世代。

私は10歳の時と19歳の時に滞在経験があり、私と同世代の母の友人の娘とは、少々交友を深めました。

 

息子の1〜2歳上の男の子(?不確かでスミマセン)がいて、私の息子が生まれてからは、お下がりをもらったり、クリスマスプレゼントを交換しあったりと、折に触れてお付き合いが続いています。

 

今はガタイが息子の方がデカくなり、お下がりはもらえなくなりましたが(笑。

 

ノルウェーは今の時期、秋の連休で、その一家が毎年遊びに来ます。

わが母は、幼なじみの娘を歓迎しようと、迎えに行ったり、いろいろなところに連れて行ったりと、完全につきっきりでお世話をするのが恒例になっているのです。

(人のためなら頑張れる!なんなら動力源にだれかに何か頼んでもらわないと、動けない!ADHD気質満載の母です(笑)

 

わが家は3世代同居で主婦の私が忙しいこともあり、いつも直前に打診があって、ふらりと数時間立ち寄るだけの交流です。

 

その一家の、長女ちゃんは、向こうで言う6年生、日本では5年生です。

気になったので聞いてみました。

 

「スクールデモって、みんなやってるの?」

 

「う〜ん、私はやってない。でも、みんなみんな大勢がやってるよ」

 

とのこと。

 

その際の彼女の顔は、ちょっと微妙な雰囲気。

 

ちょっと、一癖ある子たちが、やってるのかしら?

それとも彼女の方が一癖あるタイプなのかしら?

  

ノルウェー語発音で彼女は

 

「グレータ・トゥーンベルグ」といい、よく知っている風で話してくれました。

話しぶりから、かなりの有名人のようです。

 

「私は、やらない」そんな風に話す姿には、多勢に簡単には染まらない、自分の意見を持ち、発言出来る強さや国民性を感じました。

 

多感な年頃の女性なので、「ああ、あれね」的な、クールな対応ではありましたけど(笑。

 

確か、最年少は5歳男児と書かれていたこともありましたが、考えて見たら、まだ彼女も11歳なので、これからの年頃なのかも知れません。

 

ですが、

 

日本に比べたら、スクールデモが身近なスカンジナビアの小学生。

そんな中でも反対派や中立派も、もちろんいると知れて、ちょっと興味深かったです。

 

自分の考えをしっかりと持ち、イエスもノーも臆さずに主張出来る子どもに、日本の子どももなって欲しいです。

 

トゥンベリさんの言っていることと、人々の批判に思うこと。

批判に明け暮れて、目指すべき場所を見失わないで欲しいと願う、kazenoyaです。

 

消費増税には念入り過ぎるぐらいに備えるのに、来る「かもしれない」地球の危機には目をつぶって備えないなんて、ちょっとナンセンスすぎませんか?

 

過激派は苦手だけれど…

 

先日息子が、友人と賑やかに話しながら帰宅しました。

聞けば「環境について話しながら帰って来た」そうで…。

 

まぁわが家では、常識の範囲内でゴミを分別し、フードマイレージに気を配り、慎ましやかに暮らしてはいるものの、そのような活動をしていません。

 

移住者の多い田舎ですから、周辺にはかなり偏った家庭もあって、でもkazenoyaは、実は(こっそり)そういう家庭に疑問を持っています。

 

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息子にも、聞かれれば自分の考えを話すけれど、息子自身もなんとなく、「母は自然を愛しているらしい」ぐらいにしか、認識していないと思います。

 

人間は進化の過程にいる

 

文明が発達し、自然を破壊しているのかもしれません。

 

ですが、ここまで発展したからこそ、次へ向かえるのじゃないでしょうか?

トゥンベリさんプラスチック使ってるじゃん!帰りは飛行機じゃん!とか批判している人がいるようですが、発展も、転換も、便利な世の中だからこそ、なんじゃないかな?

 

例えば、

 

わが家だけが菜食主義を選択し、車もスマホもない生活を実践し、人里離れたところでエコライフのお手本みたいな生活をしてあちこちで発信してみたところで、同じようなエコライフに興味のある人たちには受け入れられるでしょうが、「なんだか特殊な人たち」で終わってしまう気がします。

 

日本のおざなりな保育システムに活を入れたのも、毒のある一言でしたね。

(まだまだ変換の途中ですけど)

 

毒というのは、ある種のカンフル剤的に働きます。

 

「もしかして」に備えることのリスクなんてある?

 

発達障害のある人は、時にギフテッド的な特殊能力や、驚異的な集中力を持つことがあります。

 

トゥンベリさんがどうなのか?は計りかねますが、もしかして、驚異的な集中力で膨大な文献や資料を読み解いて、その数字から、地球の未来が「見えて」いるのかも、しれません。

 

もしかして、親や周囲の大人に利用されているだけなのかも、しれません。

 

もしそうだとして、その周囲の大人が、何を目指して子どもを操っている?のかさえ、想像の範囲を出ません。

 

でも、

 

トゥンベリさんどうこうじゃなくて、世界中の子どもたちに広がっている活動なんだから、中には自分で考えて行動している子どもだって、いると思うのです。

 

子どもたちが、反射的に行動を起こしている事実だけ見ても、当事者世代の切実さを垣間見ることが出来るような気がしませんか?

 

「もしかして」危機が迫っているなら、とりあえず備えればいいじゃないですか。みんな災害に備えて備蓄しているでしょう。

 

備えて困ることなんかないんだから。

 

もしかしてが来なければ、ラッキー!ぐらいに考えて。

 

これだけ騒がれただけで案外成功だったのかも

 

もしかして、裏に黒幕がいるとしたら、実はこの騒ぎ自体が、思うつぼなのかも。

 

こうやって世の中は変わっていくのかもしれませんね。

 

男性の性と、男性解放の話し。

※下ネタ苦手な人はスルーしてください。

 

 

 

「生理前ってイライラする」のと「たまるとムラムラする」って同じじゃない?と思うのですが…kazenoyaです。

 

避難所で生理用品を配る時に、「汚らしい。生理なんて我慢すればいいんだ」と言ったオジサンがいるとか、いないとか。

批難されるぐらいだから、現代では少数派と信じたい。

 

でも、

 

男性たちは、自分たちの性をひた隠しにしなければならない現状を生きているんじゃないか?と思うことがあります。

 

下ネタ話して、引かれるとか。

 お金もリスクもいっぱい払って、いかがわしいお店に行くとか。

 

時代が求めるのは草食系で、淡泊なカップルが増えている昨今ですが。

 

女性が、

 

「今生理前でイライラするんだよね」と言うぐらい軽く

 

「たまっててムラムラするんだよね」と発言出来るぐらいの男性の性の解放があってもよかろう。

 

男女ともに、会社とかではぜひ言って欲しくないけれど。

 

家庭内では気遣っていたわり合えるぐらいの相互理解が進めばいいのに、と思う。

 

女性の女性性からの解放は、一見かなり進んでいるように見えます。

選挙権がなかった時代とかから考えると、かなり。

 

でも、家事分担や働く現場などではまだまだなところもあって、あと一歩のところがなかなか進まないのは、男性が男性性から解放されていないからなんじゃないかな?と思うのです。

 

「稼ぐのは男性」

「男らしく」

「女性には優しく」

 

 

昼間っから子どもおんぶしてスーパーでおむつ買えるパパさんも増えたとは思いますが、若年層。

 

ジジが孫おんぶして、おむつ買えるようになれば、かなり変わるんだと思う。(心理的な抵抗感という意味で)

 

ニュージーランドの議会では議長がベビーシッターをして、それが板に付いていたと話題でした。

https://www.bbc.com/japanese/49430117

 

1年生の息子ももういろいろ毒されているところを見ると、これは日本の社会毒。きっと。 

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女性も、身近な男性に「男性らしさ」を押しつけていないか?考える時が来たんじゃないかな。

 

電磁調理器は嫌いだけれど、オール電化にすべきだろうか?

次世代へ残す地球の真実を、ちゃんと教えてください。kazenoyaです。

 

https://www.afpbb.com/articles/-/3245899

 

スウェーデンで始まったスクールデモです。世界へその活動が広まっています。

長野県白馬の高校生が、日本で初めての活動を呼びかけ、実施しました。

 

やっと、日本にも届いています。

 

 

四十路の私は批判される側。

 

〝できる限り〟と言い聞かせて、つつましく生活をしているつもり。

必要なものを必要なだけ、買おう。

きちんと環境に配慮された製品をできるだけ買おう。

 

お財布が許す範囲でしか出来ないけど。

 

電気も、太陽光と蓄電池を導入しました。

 

でも、ボタンは

「経済優先」のまま。

調理はガスのまま。

 

ねぇ、本当にヤバい状況なら、今すぐに生活そのものが覆っちゃうぐらいの行動を起こさないと、いけないんじゃなかろうか。

 

最低限、

スイッチを「環境優先」に切り替えて。

オール電化にすべきだろうか。

 

小さな小さな一家庭が、どれだけ頑張ったところで、何も変わらないかもしれないけれど、一人一人がやらなきゃ、それこそ何も変わらない。

 

でも、

 

今の生活の何をどう変えれば、負荷を減らせるのか、何にも知らない。

何にも知らないまま、もがいている。

 

分かっているつもりで、頑張ってきたけど。

独学じゃ、地球のことなんか手に負えないよ。

 

だからちゃんと教えて欲しい。

トゥンベリさんが言う科学者の人たちには、一人一人が取るべき行動の正解が分かっているのなら、それを提示して欲しい。

 

ちゃんと次世代にあやまり、行動を改めますから。

 

「ディスレクシアなんか怖くない!」自主勉強中の読書感想文

ディスレクシアについて自主猛勉強中です、kazenoyaです。

 

息子の特性について、ディスレクシアなんじゃないか?と思うのですが、診断には至りませんでした。なので、ネットや書籍で、診断未満の今、出来ることを模索しています。

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思ってたんと違うけど…良い本でした。

 

図書館で見つけて読みました。

ディスレクシアなんか怖くない!家庭で出来る読み書きLD解決法

ディスレクシアなんか怖くない!

ディスレクシアなんか怖くない!

 

「家庭で出来る」ということで、手軽に生活の中で子どもの学びのヒントとなる声かけなんかが知れるかしら?と手にとったのですが、当事者研究者による、めっちゃ本格的で高度なメソッドの紹介本でした。

 

それも、英語圏がベースになっていて、メソッドを取り入れるのは難易度高めでしょう。

 

ですが、この著者の「ロナルド・D・デイビス」という方自身がディスレクシアで、ディスレクシア自体を、障がいという概念からではなく、脳の使い方の特徴であって、才能とも言える部分もあるとしている点。

自分の脳の使い方との、上手な付き合い方や取り扱い方を身につけることを最終目標として、メソッドを作り上げたという点で、かなり勉強になる本でした。

 

本によると、ディスレクシアの子は生後3ヶ月ごろからすでに、独特の外界の判断方法を身につけるということです。

 

これにより、多動で好奇心旺盛だが、注意力散漫な子どもに成長する。

就学後、文字の理解をする際に、これまでの治自分の判断方法が通用せず、混乱してしまう。

 

「自分のやり方は間違っているんだ」と自信喪失してしまう。

 

おおむね、こんな感じだったと記憶しています。

 

思考する時に言語を使わない

 

ディスレクシアの人は、脳内で思考する時に言語を使わず、想像したことを、あたかも体験したかのように記憶するそうです。

 

私自身13歳の時に、ものを考える時、脳内で言葉にして考える時とそうじゃない時があることに気がついた瞬間がありました。

 

きっとそんな感じでいつも考えているのがディスレクシアの子なんじゃないかな?と思います。

 

息子とよく似た特性を持つうちの母は、テレビで見たことを、本当に自分が経験したと、真面目に思い込む人です。例えば、登山をしたことがないのに「私は雷鳥を見た!」と言い切ったり。指摘すると「テレビだったかも」と言いますが。

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ディスレクシア的傾向のある脳を持つ赤ちゃん

 

第2章の「ディスレクシア的傾向のある脳を持つ2歳児の場合」という文に、かなり衝撃を受けました。まさに息子の事が書いてあったのです。

 

流し台の下からたんすの中、洗濯物を入れる籠まで、とにかく自分の周囲にあって入り込めそうな場所には、ところかまわず突進していきます。手の届く範囲に置いてある箱やビンは、中身を取り出してしまいます。

 

息子は、自分の衣類を引っ張り出すことを日課としていて、わが家ではわざとやりやすいように、カラーボックスにふたを着けて自由に出来る位置に設置していました。

 

片付けるたびに、全部をひっくり返す。仕事のように繰り返していました。

 

さらに段ボールや洗濯かごに入った写真も数多く残っています。

(めちゃ可愛いのです。当時は「猫?」と思っていました)

家具の隙間にもよく入り込んでいました。

 

また、ボール状にまるめたぬいぐるみを見て、(脳内で)各パーツごとに認識して、予測を立て、即座にぬいぐるみと把握したりするそうです。

(これに関しては息子の行動で記憶に残っているものはありません)

 

息子の場合は、言葉を話すより先に道をよく覚えていて、これから自分がどこに向かうのかを、車の後部座席から予測し、予測が外れると、怒っていました。

 

すごくいろいろな事をよく分かっているような行動をするので、本気で「赤ちゃんに見えるけど、本当は中に小さな大人が入っているんじゃ?」と、思っていました。

(行動自体がおっさんくさかったのも大いにあります↓)

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 粘土で文字を作るメソッド

 

というのが最後の方に紹介されていました。

「シンボル・マスター法」と記載されていました。

 

粘土で細長い紐状のものを作って、印刷に沿って文字を作り、声かけなどのアプローチを通して、一緒に文字の特徴などを覚えていく方法です。

 

これなら出来そうかな?とも思いましたが、正しい方法は、これまた手順や声かけが微細で、難しそうです。

 

でも、粘土細工はあそびでやってみても楽しいかもしれませんね。

毒にはならなそうなので、暇な時にでもチャレンジしてみても良いかな?と感じました。

 

他害する子を、どうするか問題に発言してみる。

本音と建て前、あっちゃダメですか?まだまだ半人前ママの、kazenoyaです。

 

他害をするお子さんに悩んでいるママと、他害するお友達に悩んでいるママたちが、ネット上で荒れているのを見かけました。

 

なんか…モヤモヤが止まらないので書きます。

 

乳幼児にいろいろ求めすぎ。親にもいろいろ求めすぎって思います。

 

しつけの基本は〝やって見せる〟ことじゃないか?

 

わが家の3倍男児は、それはもう大変でしたが、他害はありませんでした。

と言うより、大変すぎて集団には連れて行かれなかったので。

 

多動故、悪気無くいろいろやってしまうんじゃないかと、連れている時は常時気を張り巡らせていたことは確かです。

 

私もいつも周囲に謝り続けていました。

 

結果7歳の今、3倍息子は

「ごめんなさい」

「ありがとう」

 

がどんな時でも言える、「ごめんなさい」の大安売り大感謝セールのような子どもに育っています。

(これはこれで…と、今は「有言実行」を教えている最中です)

 

「やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば人は育たず」と昔の人は言いました。

 

いつも周囲に謝っている私を見て、そう育ったんじゃないか?と思っています。

 

最初からそうだったわけではありません。

 

「ごめんなさいはっ!!!!」と鬼気迫って追い回したことも、息子が小さい頃はありました。が、やめました。

 

その代わり、独り言のように、言い続けることにしました。

 

すぐの変化を期待せずに。

 

だってまだ「野の物とも山の物とも判断しかねる」

 

生き物だと思ったからです。

 

言葉を選ばず言うのならば、人間未満。野生動物に近い。宇宙人かも。

人らしい気遣いを期待するほうが無理難題。

 

その場で、自分(母)の思い通りに動かせる訳はないのです。

 

言って聞かせるのは、もう少し先。そう思いました。

※実際に3歳後半頃からは「言って聞かせる」ようにしました。

 

だから、息子に謝らせようとは思わず、代わりに私が平身低頭。

息子がちょっと人のおもちゃをとっても「ごめんなさい」と私が言う。奪い取って返して、連れ去る。

(ここまでやると、相手は「気にしなくていいよ〜」と、逆に返してくれることもありました)

 

日々の生活では、 

 

「ご飯は投げちゃダメだよ〜」

「危ないよ〜。落ちたらどうなるんだろう?痛いよね」

「たたかれたら、ぬいぐるみさん泣いちゃうよ〜」

 

と、歌うように言いつつ(怒っていうと、自分が自分の感情にのまれるため)、ご飯を拾う、茶碗を拾う。それでも続けるなら食事を止めさせる。

落ちないように抱き上げる。

ぬいぐるみを保護するように息子の手の届かないところに移動させる。

 

そんな対応を続けていました。

 

息子には「叱る」?「褒める?」

 

子どもの行動が目に余って「ごめんなさい」と謝ってその場から退散する場合、そのママさんが子どもの乱暴な行動を叱るのではなく、「怖かったんだよね」と代言する場面があって、それが、被害者となった子どものママさんの気持ちを逆なでしてしまったようでした。

 

よく、子どもの気持ちに寄り添いましょうと言われます。

 

でも、寄り添うのは、子どもと親の秘密事項で良くないですか?

ママだって表裏、本音と建て前あっていいんじゃないでしょうか?

 

裏表もない、お手本のような「聖母ママ」を、期待しすぎでは?最初から完璧な母親なんているわけがないのに、どれだけマザコン(死語?)が多いのか?

 

その、修羅場からタイムアウトして

静かなところで子どもと二人きりになったら…

 

「怖かったからつい手が出ちゃったんだよね」と子どもの心理を代言すると同時に「でもね、いきなりたたかれたらお友達びっくりしたよ。痛かったよ!」と相手の気持ちも、キツく代言して欲しいと思います。

(私は、危険が生じるような事をした場合には、ある程度感情を出して「怒ってるゾ〜!母は!!!」と伝えることも大事だと思っています。よく息子は鬼の形相の私を見て号泣しておりました(笑。)

 

一番大切なのは、子どもの行動を予測して未然に止められたときにこそ、(ママが止めたとしても)「きょうは止められたね」と褒めることじゃないでしょうか?

 

 

子どもの前で「背伸び」して

 

私にはひとつ、気をつけていることがあります。

子どもの成長途中で、「やってみよう!」と始めました。

 

それは息子に〝謝ること〟と、〝自分の弱さをさらけ出す〟ことです。

 

ついカッとなってイラだって、怒ってしまった時に「しまった!やり過ぎた!」という反省を、言語化して伝えるようにしました。

前述の「鬼の形相」の後にも。

 

実際の自分は、プライドが高く謝ることも苦手です。

 

ですが、無能な部下にでさえ、自分の非を認めて成長しようと頑張る背中を見せられる、「社内一上司にしたい有能な女性」像を描き、背伸びしてみました。

 

「アナタと一緒にこの仕事を大成功させたいの」と語れるようなステキな上司を。

 

文字にすると、めっちゃ恥ずかしいですが(笑。

(最近息子が「中二病」という言葉にハマっていますが、まさに私が「中二病」だ)

 

建前では、今でも「ごめんなさい」を連発していたあの頃のままです。

先生たちにはいつも「ごめんなさい。いつも本当にありがとうございます。息子をよろしくお願いします」と日々平身低頭しています。

 

でも、子どもと私の秘密事項、本音では…

わが家の使えない無能バイトだった3倍男子は、7最現在、着々と成長しております。

(本当にヒミツ、ここだけの話ですよ!よろしくお願いします)