ただいま喪中・愛猫を亡くしました

今日はブログ趣旨に関係ない内容ですが、ある猫の一生を振り返り、追悼にしたいと思い、書くことにしました。暗い話になりますので、苦手な方はスルーをお願いいたします。

 

 

 

 

アイコンに使用している、愛猫を亡くしました。

ニャンニャンニャンの猫の日(2月22日)の早朝でした。

 

猫好きたちの有志で、命拾いした猫生でした

 

ある日、分離帯の植え込みの根元で小さな猫が震えていました。

 

拾ったのは、結婚を控えた若い女性でした。

夫となる人は猫アレルギーで、困った彼女は上司に相談したそうです。

 

当時、わが母は、飼っていた猫が死期を悟ったのか逃走し(それまで外に出たことのない猫でした)何週間も何ヶ月も、毎夜探し歩いて疲れ果て、諦めなければならないのかと、心労を重ねていた時でした。

 

相談を受けた上司は母の知り合いで、母がペットロス状態ということを知っており、「飼ってほしい」と、助けを求めました。

 

一方、拾われた子猫は、動物病院に運ばれていました。

猫風邪をひどくさせていて、目は白濁し、獣医には「もし助かっても一人でキャットフードを食べることが出来ないかもしれません。目が落ちてしまう可能性もあります。どうしますか?」と、心ない言葉で決断を迫られている最中でした。

 

母の心は揺れ動いていました。

 

有志の〝猫基金〟で入院費を持参してやってきた

 

2匹の猫を飼っている高齢の子どものない女性がいました。

 

その人は、「私がもし先にいってしまったらこの子たちをお願い」との願いを込めてお金を積み立てていました。

 

頼まれた人たちは数人いてその猫たちのための基金を作っていました。(話の前後は忘れてしまいましたが)結局、その基金には、いくばくかの金額が余剰していたのです。

 

彼女たちから「このお金を使ってこの子を救ってほしい」と頼まれ、持参金付きで母のもとにやってきたのが、そもそものいきさつでした。

 

ガリガリに痩せ、うつろな白い目と、ネズミのような細い尻尾でした。

夜探し回ることになったときに、次は気兼ねなく名前を呼べるようにと、人間でもおかしくない名前を考え「亜海(あみ)」と名付けました。

 

早く治るようにと、食べさせすぎた!

 

キャットフードは、入院中に食べていたものと同じものを用意することで、嗅覚が弱くても帰宅後も自力で食べられるようになりました。

早く良くなって!元気になって!と、とにかく食べさせました。

 

少しずつ回復し、白濁していた目も元通りになり、尻尾もふさふさに。

 

ただ、親心が徒となったということでしょう。

次第に丸々と太り、顔が小さかったのでシルエットとしてはまるでトトロのような見た目になりました。

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2008年の写真。まるでトトロ

 

執事付きの別荘としての、わが家

 

そんな折り、母が定年を迎えます。

海外などに遊びに行く機会も増えます。

 

「ペットOKのアパートへの引っ越しを面倒見るし、家賃の差額も払うから、君のうちで面倒みてくれない?」と、半ば強引にわが家に来ることになった亜海。

 

その日から私と亜海との生活が始まりました。

時折、海外へ行きっぱなしになる母のためにとブログで日々の報告も、少しだけですが、していました。

ameblo.jp

 

猫アレルギーと、子どもと、猫との同居生活は

 

kazenoyaは猫アレルギー。

さらに小さな子どもも生まれました。

猫との暮らしはどうなるの?

 

散々模索した結果わが家が選択したのは〝住み分け〟でした。

kazenoya.hatenablog.com

 

わきまえていた「お姉さん亜海ちゃん」

 

それまでは人の拳をかむのが大好きだった亜海でしたが、赤ちゃんが家に来たとたん、とってもお利口さんになりました。

 

もはや立派な〝おねえちゃん〟

 

かむことも、爪を出すことも、私に甘えてくることさえもなくなりました。

(息子が3〜4歳ごろからまた甘えるようになりましたが)

 

歩き出した息子に、とんでもない場所をつかまれ、とんでもない格好で、引きずられながら耐えている姿は、見ていて泣けてきました。

 

愛猫を家で看取るということ・腎臓病を疑う

 

最初に異変があったのは、2月6日でした。

これまでも、度々食欲がなくなることはあり、でも、数日でまた食べるようになっていたので、年も年だし(猫の平均寿命は15年ほどなのでしょうか?)、こうして徐々に年老いていくのだろうと、心配ながらも、どこか心の準備をしていました。

 

でも、そのときの食欲不振は長く、もうすぐ1週間になるな、と心配していたところでした。朝、異変を感じて亜海を見ると、震え初めていました。とっさに「けいれんかな?」と思いました。

 

近寄って体を支えると、怖がっているように目をキョロキョロさせながら何かから逃げるような仕草を見せます。それが2度ありました。

 

 ネットで調べると、腎臓病の末期にせん妄状態になることが多いという情報に行き着きました。

 

獣医師推奨のキャットフードのみで暮らしてきたので、まさか腎臓?と思いましたが、室内飼いの猫のほとんどが最後は腎臓を患うようで、完治はせず、治療は透析のみということ。

 

悩んだあげく、しばらく家で様子を見ることにしました。

 

結果あ、けいれんはその日だけでした。

 水はたくさん飲むし、おしっこもたくさんする(最後は粗相ばかりでしたが、ちゃんとトイレまで行こうと頑張っていました)。腎臓じゃないのかも、と思い始めました。

 

日に日に軽く、弱々しくなっていく

 

けいれんを起こした日に、母には伝え、度々見に来てほしいとお願いしていました。

私がこれまで知っていた猫で一番の長生きさんは23歳。なので、亜海も23歳まで生きると、なんとなく思っていました。

 

でも、調べてみると平均寿命は約15歳で、幼い頃のことを考えると「よく頑張った」と言えるのかもしれないな、と感じ始めました。

 

けいれんは治まりましたが、その後も、2日に一度小さじ1杯ほどのヨーグルトを私の指から舐める他は、固形物は受け付けませんでした。

 

ピーク時は7キロ(!わが家に来てから、ちゃんとダイエットさせました(笑))ほどあった巨体だったはずなのに…と悲しくなるほど軽くなっていきました。

 

とうとう、歩くことさえままならなくなった亜海。ヨタヨタする姿に息子は大号泣。本当に最後かもしれないと母を呼び、一緒に語らった翌朝、起きるとお星様になっていました。

 

悩んだ葬儀は、地元広域連合の火葬場で

 

当日は、息子を水族館に連れて行く約束のために、休日をとっていた日でした。

 

遠方まで行くために早起き。

寝床で丸まって動かなくなっている亜海を見て、呆然として、しばらくなにも考えられませんでした。心の準備は出来ていたはずなのに。。。

 

もし今夜が最後になろうとも、できるだけ普段通りに過ごして看取ろう。

そんな気持ちで毎日夜を迎えていました。

だから、なんの準備もなんの話し合いもしていませんでした。

 

レジャーの予定もそのまま。

 

悩みながらもようやくスマホに手を伸ばし、夫に「どうしようか」と言うも、体は動かず。ぼんやりしたまま時間だけが過ぎていきました。

 

結局、予定を半日ずらして、水族館には出かけました。

早朝のスーパーに駆け込んで(開いてて良かったイオン!)生花を買って亜海の周りを飾り、きれいに整えて母のところへ連れて行きました。

 

1晩母のところで過ごしてもらい、翌日地元広域連合の火葬場を予約して、火葬してもらいました。

 

火葬場に着くと裏口に案内され、小さな祭壇が用意されていました。

お線香もあげられ、家族で一言ずつお別れの言葉も伝えられました。

お骨上げまで、しっかりさせてもらえて、市民割引で1万円。

 

「このぐらいは出させて」という母の気持ちをいただき、お空に見送ってあげることが出来ました。

 

葬儀は残された人たちのためのものなんだと感じた。

 

インターネットで調べると、ペットの火葬は、専用の火葬車に家まで来てもらってお骨上げまで出来るところや、引き取りのみのところなど様々。

庭など所持している土地に土葬する人もいるようでした。

 

せわしなく土葬したり、業者に引き取ってもらうのはやっぱりさみしさがつきまといます。

 

だからと言って、お星様になってしまった亜海を一人置いて遊びに行くことも考えられませんでした。

 

でも、このお休みは息子と約束したお休み。(前回夏休みに行ったらあまりの混雑に息子は大人のお尻を見て帰ってきた、といういきさつがあります)

 

葬儀の方法と時期については、本当に悩みましたが、結果この方法で良かったな、と感じます。

 

母も亜海との最後の時間を過ごせ、私たちもちゃんと見送ってあげることが出来ましたた。

 

 

そして今は、いつも亜海のいた場所にいつものご飯とお水、写真、お骨。

そして母の友人から「お供えに」といただいた、なぜかの「ツナ缶」。(いつものフードしか食料とみなしていなかった亜海だけど、お星様になったから食べられるでしょうか?)

 

息子は「これでまだ亜海ちゃんと一緒にいられるね」と涙を拭きました。

小さな花やしぼんだ風船ともさよなら出来ない息子なので、心配していましたが、人はこんな風に自分の気持ちとの決着の付け方を学ぶんだと、感じました。

 

骨の一部を持ち帰った母も、今朝電話したら

「初七日だからね。お花とお水をあげた」と話していました。

 

薄情な性格ゆえ大丈夫だと思っていた私の方も、まだ生活の中に亜海の気配を探してしまい、思ったよりも参っています。お骨があって良かった。

 

長文失礼しました。

亜海の猫生を書き残せて、良かったです。

読んでいただいた方に感謝いたします。