ディスレクシア・読み書き障害を疑う|幼児期の特性もあるみたい

ADHDだろうとLDだろうと息子は息子です、kazenoyaです。

 

こんなサイトを見つけて、息子の特徴、自分の子どもの頃の記憶にあてはめて、ディスレクシア(LD・学習障害)の特徴とあまりにもぴったりなので、目からウロコが落ちまくっています。

 

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/access/dyslexia/adfs/index.html

 

日本障害者リハビリテーション協会というところのサイトのようです。

 

思い返せば、自閉症を疑った乳児期、ADHDを疑った幼児期。学童期に入ってLDを疑うようになりました。診断がつくまでに、母の脳内にいろいろな知識が蓄積していきます。

 

就学以降より前に兆候のあるディスレクシアの特徴

 

文字の読み書きや計算の理解に障害が出るので、多くは就学以降、2〜3年生時に親が不安に思い始め、高学年・中学生になって診断されることが多いようです。

大人になるまで気付かれないことも多いそう。

 

知的には問題がなくとも、文字や読み書きが難しいために、自分や周囲が「勉強の出来ない子」と認識します。

 

LDというと、幼児期に診断されることは少ないという情報から、発達障害的な特徴はないものだと決めつけていましたが、そうでもなさそうです。

 

このサイトに書かれていた就学前の特徴で息子に当てはまるもの

 

・話を読んでもらうのは好きだが、文字や単語には興味を示さない。

・注意散漫だとよく叱られる。

・上手に服を着たり、靴を左右間違えずに履くことがいつも大変。

話し言葉の発達が遅い

 

7項目中4つがドンピシャ。あとは、「球を捕ったり、蹴ったり、投げたりや、跳んだり跳ねたりが下手」という項目中の後半部分。「跳んだり跳ねたり」はとても不器用で、保育園の運動会でのサーキット競技などで笑いをこらえるのに苦労した記憶があります。「単純なリズムで拍手する」の項目も、あまり確かめたことはないけれど、苦手だろうなぁと思います。

 

自分の小学生時代とLD(学習障害)の兆候

 

・方向音痴で左右がごっちゃになる

(今もです!ヤバい感じの方向音痴(笑。)

・表出性言語と受容性言語の違い

(これは息子にも感じることが多々あります)

・短期記憶の限界。例えば、九九、アルファベットまたは教室での指示を覚えるのが苦手。

(九九の暗証が苦手でした)

・行を省略する、または、同じ行を繰り返す

・テキストで読んでいる場所が分からなくなる

・自分が読んだことを理解するのが困難

(これも今もです)

 

11項目中6項目。海外の人の事例が多いようで、綴りなどの問題は英語のため、判断に迷います。ただ、私はカタカナの読み間違えは子どもの頃は特に多かったと記憶しています。

 

あと、

・作品が汚い

の項目は、息子のお絵かきは他の子と比べて白ままの部分がものすごく汚れています。

 

私は、 

今はこうしてパソコンで文を書いていますが、小学生の頃は「作文」がとても苦手でした。脳内をどうまとめて文章にしていいのか分からず、「私は、」とだけ書いた原稿用紙を、最前列に移動させられた机にのせたまま、下校時まで困惑し続けているような子どもでした。

 

漢字も覚えるのに苦労し、疑問の「疑」などを覚えるときに「ヒ」「矢」「マ」「定」などと音にして脳内で読み上げながら覚えた記憶があります。

うちの子は字が書けない (発達性読み書き障害の息子がいます)

うちの子は字が書けない (発達性読み書き障害の息子がいます)

 

 この本の中に同じようなエピソードがあるようなので、一度読んでみたいと思います。

 

もうひとつ読み書きではないですが、算数で。

 

私は算数がとても苦手で、小学1年生1学期にもらった人生初の通知表を母親に「算数と相性が悪いみたい」と悪びれた様子もなく渡したとは、40年近く伝説のように言われ続けている事実です笑。

 

1年生6月現在の息子の文字に対する様子 

 

まず、文字に興味が薄いように見えます。

 

学校では意欲的に授業に参加し、学ぼうとする姿勢は標準以上と支援級の先生には言われています。が、毎日ひらがなの宿題プリントを一緒にやっていて、そのときは「これは『に』だよ」と分かったように見えても、実際にチラシなどの文字を1文字さして(大きいもの、周囲を隠したりしても)正解率は1%未満です。

 

まったく、覚えない訳ではないけれど、すぐに忘れてしまうようです。

 

・短期記憶の限界

 

というヤツでしょうか。

 

私も、子どもの頃はとっさにひらがなやカタカナの形が思い浮かばなくなる瞬間がありました。当時は当たり前のの事かと思っていましたが、どうやら違うのかもしれません。

 

読み書き出来ない大人はいない。

 

知り合いの先輩ママさんにに相談に乗ってもらっていたら、こう励まされました。

私自身も、ゆっくりと発達し、文章が書けるようになりました。

(紙に書くのは今でも苦手です)

 

発達性読み書き障害の人も、時間がかかるだけで、まったく読めないとかまったく書けないという訳ではなさそうです。

 

今はタブレットやAIなど便利なものもたくさんあります。

 

ADHDと診断されるのか?LDと診断されるのか?もしLDならば低学年での診断は難しいでしょうから、おうように構えて、息子の成長を楽しみに過ごすことにします。

 

診断名が変わったところで、目の前にいる息子自体は何一つ変わるわけじゃないのですから、焦る必要もないですよね。今はやれることを一つずつやるだけです。

 

音で記憶するのか?画像で記憶するのか?

 

私が「ヒ」「矢」「マ」「定」と音で記憶したのは、私がラジオタイプの認知特性が強いからです。

 

カメラアイという、見て覚えるタイプもいます。

 

息子はどっちでしょう?

 

結局、ディスレクシア発達障害の1つなので、治るものではなく、一生付き合っていくもの。トレーニングでは、その子その子の認知特性に合わせた方法で、少しずつ読み書きを上達させていきます。

 

息子の認知特性は、視覚優位なのか?聴覚優位なのか?

息子にあったトレーニングを早期から開始できるよう、見極めて行きたいと思います。

 

知識のシェア|最加速時はGがかかって足が動かない!

きょうは夫の知識のシェアです。

 

近頃、心痛む悲惨な交通事故が続いています。

今朝ニュースを見ていると夫が一言。

 

「最加速時はGがかかって足が動かせなくなる。経験者じゃないとわかんないと思うし、ましてや年寄りは筋力も弱ってる」

 

そういうことか!と納得。

夫は若い頃、モータースポーツを趣味にしていました。

 

ブレーキと間違えて踏むアクセルは〝最加速〟

 

危険回避の場合は多くは急ブレーキです。

急ブレーキのようにアクセルを踏めば、ぐっと踏み込むことになり、それは最加速したときと同じ状態になります。

 

車の種類にもよるのだそうですが、パワーに比較して車体が軽い車種の場合はかなりの加速になるそう。

 

夫自身、初めてそういう車で最加速を経験した時は、アクセルからブレーキに踏み換える時、ものすごいGを感じたんだそうです。

 

 

意識せずGがかかった状態でパニックに

 

意識してアクセルを踏み込んだ場合でも、けっこうな抵抗があるそう。

 

「今度やってあげるよ。手も動かしづらいよ」

って、言われました。

 

丁重にお断りしましたけど笑。

 

筋力が弱っていて、さらに、突然の状況だと

 

「あれ!?足が動かない」とか、

「ペダルが戻らない!?」

 

みたいな感覚になりかねない。そういうことらしいです。

 

そりゃ、パニックにもなりそうですよね。

 

Gって普段、あまり感じることないですけど。

飛行機の離陸時とか?遊園地のジェットコースターとか?

 

踏み間違えないのが一番なんですけど

 

でも、もしそうなったら、Gのことをちょっと思い出して、火事場のなんとやらで踏ん張って力を込めてください。

 

特に高齢の方、歩くのもやっとのような筋力では…。

普段からGに耐えられるぐらい鍛えてから運転して欲しいものです。

 

ここまで書いて私も、、、

怖がらずに、一度Gを経験させてもらっとこうかな?と思い直しています笑。

 

支援級・通級の利用意味|入学後2ヶ月(わが家の場合)

まだ1年生だよ?ゆっくりでいいよねぇと思う、kazenoyaです。

 

昨夜の入眠中に、息子がボソボソと話し始めました。昨日の学校は疲れたようです。

 

逃げ場になっている支援級クラス

 

息子とのやりとりから、昨日はクラス担任が不在だったことから、授業編成がイレギュラーだったと判明しました。

 

入学前の教育相談で「支援級スタート」と決めていたのですが、いざ授業が始まってみたら国語と算数のみの通級でした。学校判断です。通常1年生の場合はよほどの事が無い限り、授業ごとの通級から始めるのだそうです。

 

 ※以下は、教育相談の関連ブログです。

 

kazenoya.hatenablog.com

kazenoya.hatenablog.com

kazenoya.hatenablog.com

kazenoya.hatenablog.com

 

息子にとって支援級クラスに行ける国語と算数が、初めてだらけの学校生活の中で、ちょっとした癒やしになっているようでした。

 

「これでもう3回目だよ」

 

とうんざりした顔で話す息子。

 

息子の言い分では〝先生のミス〟で、自分たちが支援級クラスに行くはずの国語や算数の時間なのに、行けなかったことが、2ヶ月の間に〝もう3回も〟あったのだとか。

 

お便りによると、その日はクラス担任が出張でした。

 

息子にかかると〝先生のミス〟になっちゃうところが、かわいいじゃないですか。大人の都合なんて、子どもにとったら単なるミスなんですよ笑。

面白いじゃないか、子どもワールド。

 

「だって、勉強終わったら遊べるんだよ?」

 

私は「支援級そんなに楽しいの?」と聞くと、上記の返答。

 

「おもちゃもあるし、先生といろいろ話せる」

 

支援クラスの先生は育休明けの、とても優しく愛あふれる女性教諭です。最初から感じのいい先生だなぁと、kazenoyaも感じていました。

 

その先生といろいろ話せるのが楽しいらしい。

 

一方でクラス担任は(たぶん)30代後半の男性教諭。ことしのクラスは元気のいい男児が多く、(参観日の様子からは)振り回されて疲労しているように見えました。

でも、とても楽しく面白い先生で、こちらも入学当初から好感を感じる先生です。先生と子どもたちが一緒になってはしゃげる授業シーンなどが多くなれば、とても楽しいクラスになるだろうなぁと、希望を持って見ています。

 

 

ですが、まだまだ余裕のないスタート間もない時期です。30人近い元気な7歳児を相手に「あわわわ」となっていて、子どもたちを楽しませる余裕もないまま1限が終わってしまう授業だってあるでしょう。

 

園児の頃は、年長さんで最年長。保育士も余裕を持って保育出来るクラス運営だったでしょうから、それはそれは毎日楽しかったことだと思うのです。

 

それが「先生といろいろ話せる」の一言に集約されている。(気がする)

おもちゃの方は、ICT教育で使うタブレットや、知育系の道具、楽器類のことかと思います。

 

1年生と年長さんでは(大人側の事情が)ホントいろいろ違うのだと感じる、息子とのやりとりでした。

 

支援級の不安・勉強について行けなくなる?

 

 支援級クラスは1・2年生合同で6人です。

 

人数的な余裕もあるし、時間も、息子の言葉を真に受ければ、後半は遊びに費やすほど、余裕があるということでしょう。

 

支援級への親の不安として、授業について行けなくなることをあげる保護者も多いです。

 

わが家の場合も、息子は文字への苦手意識がまだまだ強く、家庭訪問時の支援クラスの担任によると、ものすごく意欲的に文字を学んでいるそうですが、家では強情を張ってあまり勉強してくれません。不安もありますが、LDでなければそのうち読めるようにはなるでしょうし、LDならば、なるようにしかならない。と腹をくくることにしました。

 

支援クラスの担任は「1年生の間にみんな必ず文字を覚えます」と断言してくれたので、彼女を信じて、おおらかな気持ちで待つことにしたのです。

 

みんな〝うらやましい〟

 

以前、息子の友達が遊びに来たことがありました。

 

私と2人になった時、支援級って何?どうして息子だけ行けるの?と聞かれ、ちょっと驚きました。

※実際には「○○組ってなに?」とクラスの名前で聞いています。

 

知り合いの、別の学校に、当時3年生の娘さんを通わすお母さんにも、同じような事を聞きました。

娘さんに「支援級のが楽しそう。支援級に行きたい」と相談されて困ったことがあるのだそうです。

支援級に行く子はきっと、楽しそうに支援級に移動するんだろうな。それが伝わっているんだと思います。子どもは気配に敏感です笑。

 

まずは「学校楽しい」が大前提

 

義務教育だし、頑張って行かなきゃならないのかもしれないけれど、楽しく通える可能性があるのなら、楽しんで通って欲しいものです。

  

学校が

 

〝頑張って我慢して勉強する〟場所になっちゃうなんて、ツラすぎる。

 

 

かあちゃんは、支援級に決めて良かったよ」と、心底思った夜なのでした。

 

動物感覚アニマル・マインドを読み解く|記憶をたぐった【読書感想文】

 まだまだうるさいババァモードが続いています、kazneoyaです。

 

今朝は、おかず・おかずじゃない論争の争点は、「動物の苦痛」に問題があるんだよ、というエントリを読んで昔読んだ本を思い出したので紹介してみます。

 

【動物感覚アニマル・マインドを読み解く】テンプルグランディン

動物感覚 アニマル・マインドを読み解く

動物感覚 アニマル・マインドを読み解く

 

 

自閉症当事者が書いた書籍

 

自分の過敏な体感覚を、動物のそれと近いとして、仕事として生かして、活躍されています。

 

畜産の現場で、〝普通の人〟が気がつかない、動物目線の困った場所を探し当てて、農場経営に役立てているのです。

 

例えば、

 

牛が言うことを聞かずに「パニック状態」になってしまい、搾乳や放牧などの仕事に困難をきたしている牧場に出向き、導線上の黄色のレインコートなどに要因を見出して、見事トラブルを解消してしまったりするらしいのです。

 

家畜の苦痛を出来るだけ排除する搾乳や屠殺(とさつ)方法なども手がけているとし、米大手ファーストフードチェーンでも彼女の方法を取り入れていると書いてあったと記憶しています。

 

個人的には、少しだけ食べる派。

どうせ食べるなら、おいしい!と感謝して

 

畜産は、地球資源を無駄遣いしているのだと思うし、本当は、環境のためを思ったら、スーパーでは、何にも買えなくなってしまうような気がしています。

 

著者の方も、一度は肉を食べないことにチャレンジしたようですが、体質的に肉を食べなければならないと気がつき、それならば苦痛を減らそうと思った、みたいな記載もあんあんじゃなかったか?うろ覚えですけど。

 

彼女と馬とのエピソードは本当に感動的で、彼女が動物へ愛情を注いでいるのが感じられる本でした。

 

息子は最近、

 

「地球さんが泣いている」とうるさいです笑。

 

母としては

 

泣いてても、私たちも生きていかなきゃならないし肉だって食べるでしょう?あなた好きでしょう?それに、あなたのその肌身離さず見続けているswitchも、文明の功績なんだよ、と思うわけです。

 

だったらば、お財布の許す範囲内で、本当においしい!と思える、可能な限り全うな育てられ方をしているお肉や、可能な限り石油原料を使わないで育てられて運ばれている、野菜を使うしかないじゃないですか。

 

そして、調理した物や買ったものは、余さず「ありがとう。いただきます」と言って残さず食べるしかないじゃないか。と思うのです。

 

動物の感覚を知れることに感謝したい

 

書籍に書かれていることが100%事実なのか?は置いておいて、知りようもない感覚をこうして文にしてもらい、思いを馳せることが出来るということは、なんと素晴らしいことだと感じます。

 

自閉症という特性は、彼女にとってみれば、動物と人とを通訳するための、持って生まれた試練であり役目だったのかな?とさえ感じてしまいます。

 

彼女自身は生きづらさもあるのだろうし、本当は大変なのかもしれませんけれど。

 

でも、

 

・動物の感覚

・地球の感覚

 

なんかに理解が及ぶようになれば、もう少し、人間という集団としての生き物が、何かに優しい存在になれる気がします。

 

みんな『おかず』なくしては、生きられない

世界中の子どもたちに幅のある未来を残したいと願う、kazenoyaです。

 

動物がおかずだとかおかずじゃないとか、いろいろ賑わっているようなので、これまで40年間温めてきた、自分の気持ちを書きたいと思います。

 

動物にしろ野菜にしろ、社会的な利便性にしろ、すべては自然や発展の上に成り立っていて、人は自然や社会の恩恵なしには生きられない生き物なんだと観念し、より良くなるように努力を惜しまずにいたい。きょうはそんな話しです。

 

面倒くせ〜こと書いてるなよ!と思われる方はスルーでお願いします。

 

こだわりの多いkazenoyaの本心

 

私は、生活に根ざしたこだわりが実に多いです。

逐一付き合ってくれている夫には、本当に頭が上がりません。

 

・できるだけ近くで生産されたものを買う(フードマイレージ

野菜は可能な限り地場産&信州産。私的には、輸送にもちゃんとしたコストを!という意味でのチョイスすが、輸送したものを買うのを避ける傾向が強いので、トラックドライバーをしていた夫が、友人と話す時にネタにされます笑。

 

・できるだけ抗生物質を添加しない飼料で育てられた食肉を買う(耐性菌)

腸活由来です。腸内細菌(自分の)をできるだけ殺さないことに加え、耐性菌を生まない社会を目指すために、買いません。たった一人(一家庭)の努力ですが、一人一人の力が社会を動かすと信じ、続けています。家計にはツライですが。

 

・できるだけ継続可能な漁や養殖で作られた魚介類を買う

動物や野菜は野のものを食べることは少ないのに、お魚だけは自然資源に頼る部分も大きく、資源の枯渇がヤバい状況のようです。これは最近知りました。

 

・できるだけ生産者の生活向上につながる商品を買う(フェアトレード

夫の今の仕事は製造業。給料が少ないです笑。と、いうことは、シンプルに考えれば(不祥事的な流出部分には目をつぶっての場合)物の値段はもっと上がったほうが良いということですよね。と、いうことで、出来ることからコツコツと。買える範囲で労働力を尊重し続けることで、息子たちへ残す社会が少しでも良い方向へ。

 

他にもありますが、単純に健康のためを思ってやっていることは表記しませんでした。

 

 菜食主義や自然派な人が寄ってくる

 

こんなこだわりを持ち始めると、菜食主義の方、自然派な方と接点が増えます。さらに生まれた息子はアレルギー持ちで、卵除去なんてやってると、本当にそういったお母さん方とお話しする機会が多くなりました。

 

でも、そんな自然派のお母さんたちとの会話に、なんだか違和感が生まれるようになってきて…。

 

結局、距離を置くようになってしまいました。そして、自分のこんなこだわりを素直に話せる相手も夫だけになってきてしまっています。

 

この違和感の正体をずっと探っていたのですが、最近ちょっとわかったような気がしています。

 

肉さえ食べてなければ、正義なのか?

気にすべきは自分と子どもの心身だけなのか?

  

お肉を食べなくても、卵や牛乳は畜産製品です。

野菜だってお米だって、命です。

スマホだって使うでしょう?

 

私は植物が好きで、植物を育てているとよく動くことに気がつきます。芽は、太陽に向かってぐんぐん大きくなるし、鉢の方向を変えればたった一日で芽の方向も逆になります。切り取られれば生きようと、灰汁を作って腐敗を免れようとします。収穫後の作物だって、冷やせば凍らないように、糖を蓄えます。

 

植物に気持ちや痛覚がないなんて、誰が確かめたのかしら?と思ってしまいます。

 

昔のおばあちゃんたちは畑の作物を収穫する時、「取ってくる」とは言わず「いただいてくる」と言ったそうです。そんな感覚を大事にしたいなぁ。

 

たしかに、動物を食べるときにはその動物が食べた分の食物も一緒に消費するわけで、地球資源の無駄遣いにはなるのかもしれません。

 

でも、道路やライフラインなど、発展した社会の利便性に頼らなければならない現状は変えられません。自然派の方も、パソコンやスマホは使う人が多いでしょうし、銀行に預金もするでしょう。

 

発展した社会やそこで働く多くの労働人口があってこそ、今の便利な生活があり、自然派だとか、菜食主義だとかがやれている。

 

とりあえず今の便利に感謝して、その上で、今あるさらなる課題をみんなでクリアして行こうよ!と思うのです。

 

諦めずに一生懸命、一員を続ける。

 

気のめげるようなニュースを見ても諦めないで、未来を選択するメンバーを止めないでいたい。

 

泥臭くても、かっこ悪くてもいいじゃないか。

おしゃれな自然派ママにならなくてもいいじゃないか。

 

感じていた違和感の正体は、、、

 

あなたたちが諦めちゃった、その社会の未来を生きるのはあなたたちの子どもたちかもしれないじゃない?

 

って事でした。

 

うるさいババァですみません。最後まで読んでくださった方に感謝します。

 

息子のADHD気質は、わが母からの贈り物だったようだ。

闇の乳幼児期を乗り越え、息子の特性が愛しくて愛しくて…心配な、kazenoyaです。

 

家族性のある困った特性は、もはや息子自身でもあり、私の課題でもあり…。

 

息子のことはもちろん、自分自身や夫、母、義父などを良く知る努力を怠らず続けることで、より完璧な「息子のトリセツ」にして大きくなった息子に渡そう。自分の命が果てるまでに。そう、日々心がけています。

 

面白い記事をみつけました。

 

http://hattatu-matome.ldblog.jp/archives/55306105.html

 

利他的動機づけ

 

まさにコレ、わが母のことだぁ。驚き。

 

「誰かのためなら頑張れる」

「自分の利を取る行動が出来ない(それには脳が働かない)」

「謎の正義感」

 

わが母は幼い頃、棒きれを持って、いじめ子と戦っていたそうで。。。

 

息子は、、、

 

子どもを叱るよその母親を見つけたとき、その母親に向かって「叱っちゃダメ」と挑んでいく、困った特性を持っているのですが、それを、わが母は、さも困ったという風に私に言うのですが…

 

それ、キミからの贈り物だから…っ!

 

と声を大にして言いたい。

 

他人の笑顔や感謝の言葉のような社会的報酬が期待されるときには健常児童よりも大きく改善する 

 

わが母のADHD気質

 

母は幼い頃、実家の家業がミシンの加工場だったため、よくミシンを分解して遊んでいたと聞いています。

 

幼児期には、教えてもいない百人一首をすべて諳んじるようになり、愛知県の田舎町では「神童降臨」ともてはやされ、小学生から一人で電車に乗って名古屋市内の学習塾に通ったという経験もあるそうです。(当時出来たばかりの「スガキヤ」で小倉アイスを食べるのが楽しみだったとか)(高IQタイプのADHD

 

そして、4人兄弟の長女だったため、学校が終わると小さな妹弟を背負ってよく働き、弱いものいじめをするガキ大将に向かっていくような、超のつくほど真面目で正義感の強い少女に成長しました。(謎の正義感)

 

高校はデザインの勉強がしたくて工業系に進み、先生に「なんでお前みたいな頭のいいやつがこんな学校へ来た」と言われ、さらに卒業時に「デザインのセンスまるで無し」と書かれた上に、知人男性2人とともにデザイン系の会社を立ち上げ、最終的には社長にまでなりました。(書いた教師は一生恨むとまで、言っていました笑)(集中力)

 

 自分の幼い頃の記憶の中の母は、まさに「スーパーウーマン」です。

 

取引相手の電話番号はすべて脳内にインプットされ、3つ4つのタスクを常に同時進行するような女性でした。(脳内の多動)

 

母をよく知る人は母の事を「回遊魚」と呼んでいました。止まると死んでしまうかのような働きぶりでしたから。

 

会社は最終的に倒産しましたが、全社員の再就職先まが決まるまで、ずっと寄り添い続け、職探しの面倒を見るような人でした。(人のためなら頑張れる)

 

現在はリタイア人生を謳歌!と思いきや、

「私って自分の事は全然やる気が起きないの。誰か私に『コレやって』って言ってくれないかな?そうしたら絶対成果出すまでものすごい勢いで働くと思うんだけど」が口癖です。(利他的動機付けによる脳の活性化)

 

 母は幸せだったのか?

 

そういう生き方なので、人から慕われることも多く、遠方の知人友人が多いです。今でも、緩和されたとは言え、結構忙しそうです。

 

息子の子守などを頼みたくて連絡する時でも

まず一声は「今どこにいるの?」と聞かねばなりません。

 

東京だったり、名古屋だったり、海外のことも多々。

 

飛び歩いているのに、本人の脳内は暇なようで、

口癖は「暇。誰か私に何か頼んで」です笑。

 

でも、友人は多いのに、私にはよく愚痴をこぼしていて、いつも謎の『理解しあえない感』を感じているように思います。母はきっと〝よく発達したADHD〟でしょうが、それでも特性は特性なんだな、と思います。

 

息子に渡すトリセツに、この部分の解決法を記載することは、本当に難しいことなのかもしれません。

 

息子と母の類似点と相違点

 

息子の場合は高IQタイプではないです。(境界域)

 

ですが、小さな頃からDVDのパッケージを見て長いタイトルを一字一句間違わずに諳んじたりと、似たエピソードも多いです。この部分はいわゆる聴覚に特化した認知特性の「ラジオタイプ」というものなのかな?と思います。

 

車の後部座席から道を覚えてしまうことも多く(視覚優位)、これは話し出す前からあり、子育てをやっかいにする一因でもありました。

 

謎の正義感は本当に強く、4歳の時には「世界を守るヒーローです!」と自己紹介し、トイレで見えない敵と戦っていましたし、今では、迷子を保護しようとしたり、子どもを叱る親を叱ろうとしたり、自然保護系の動画を見ては「地球さんが泣いてるよ。ゴミは捨てないでリサイクルしてね」と懇願するような子どもに育ちました。

 

違う点と言えば

 

息子は、利害が絡むと理解が良くなるタイプで、「自分の利を取る行動が出来ない(それには脳が働かない)」ということはないような気がしています。(文字は覚える気がなさそうなのに、数字の理解が結構ある(表記も含め)のは『自分がもらえる量(回数・時間)』を把握するため)

 

人のためなら頑張れる 

 

でもやはり、人のためなら頑張れる!という部分は、少なからず持っているような気がします。

 

朝の支度も遅く、学校から帰ると、グダグダに疲れてしまい目はYouTubeに釘付け。

耳天(お耳は天井に行っているんだよ〜)な聞いていない態度(最近はよく月まで行っています笑)は、自分で制御出来ないことも多そうですが、そんな彼が自ら動く時には、少なからず『他人』が関わっているような気がします。

 

「先生が『○○』って言ってた。今日は宿題やらなくちゃ!」

「今日は○○君と学校に行くんだ。遅刻しないように準備する」

「お母さんの車ピカピカに洗うね」

「お手伝いするね」

 

コレは…やはり利他的動機付けに他ならず、上手に育児に生かしたいゾ。と思います。

 

他人の笑顔や感謝の言葉のような社会的報酬が期待されるときには健常児童よりも大きく改善する 

 

とりあえず、手っ取り早く母のやれることとして、まず笑顔を増やそう笑。

 

ママたちよ!リラックスを!!!

今朝腸活関連の読書をしていて、世のママ・パパたちにぜひ知ってもらいたい一文を見つけたので、書きます。

 

腸活をと出会い早、2年近く経とうとしていることに驚きです。 

kazenoya.hatenablog.com

kazenoya.hatenablog.com

kazenoya.hatenablog.com

 

今回読んだのは、こちら。

腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するか
 

これまで読んだ本より格段に難しい気がする。まだ読み途中です。

読破したらまた、感想文を書きたいと思っているのですが…読破しても、ちゃんと理解出来るかな?と、不安に思いながら読んでいます。

 

この本は主に脳腸相関(脳と腸のコミュニケーション)について書かれています。面白いです。

 

幼少期のストレスも腸内環境に関係するよ〜という書き始めのところを今、読んでいたのですが、そこの一文に

 

 

(幼児期の経験が、どう成長後のストレス耐性と関係するのか?という、ラットを用いた実験の結果に関する文です。)

※ 抜粋

ストレスに起因する母親の行動の変化を通じて、子どもの脳がストレスに過敏に反応する方向にプログラミングされ 〜(中略)〜 母親にかかるストレスが強ければ強いほど養育態度は悪化し、元来は養育に長けた母親でさえ、ずぼらになったのだ。ストレスを受けた母親は養育に十分な時間をかけず、なめたり寄り添ったりすることがあまりなく、子どもを踏みつけることもあった。

 

じゃじゃ〜んと脳内でなった気がしました。

 

やはり、虐待は個人の問題ではなく、社会問題だなと。

 

ストレスを受けると腸内環境が悪化すること、逆に腸内環境がうつなどの発症に関わっていることも、近年研究が進んでいるようです。

 

すべては相互関係なのかな。

 

ママさんたちがストレスなくリラックスして子育て出来る社会環境を!

心の底から祈ります。

 

私ももちろんストレス、多いです。

夫の残業や休日出勤、義父との同居、母とのけんか…。

 

全部はなくなりませんけど。

 

でも、

 

息子の支度の遅さや〝耳天〟状態(お耳は天井にいるんだよ〜)の聞いてない態度などに、イライラしてしまうこと、止めたいです。

 

ストレス上手に発散出来るようになったら、イライラ叱るの減らせるのだろうか。上手に〝伝える〟育児を続けられるのだろうか。

 

そんなことを思いました。もう幼児期を過ぎてしまった息子ですが、今からでも出来ることは続けていきたいな、と思います。