ハーネスもいいけど…「Bluetooth」に助けられた赤ちゃん育児

ハーネスでもスマホでも、使えるものは使った方が勝ち!だと思っています、kazenoyaです。

 

息子が小さかった頃に育児で使い始め、今でもずっと手放せないツールがあります。

それは「Bluetoothヘッドセット」というもの。

こんなやつ。

 

息子を抱いたままでも電話に出られるので、育児ツールとして、本当に助けられました。

 

トラック運転士の仕事をしていた夫に勧められた

 

息子は赤ちゃんの頃、寝るのも起きるのも苦手な手のかかる子でした。

 

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生後6ヶ月頃に「授乳クッション横向き寝」を編み出すまで、それこそ肌身離さず、ずっと抱きっぱなしだった頃のことです。

 

夜間も抱いたままだったので横になることも出来ず、本当に疲れ果てていました。

 

お昼寝ももちろん、抱いたまま。ソファに座ることが出来れば、そのまま自分も座ったまま、つかのまの睡眠をとっていました。そんなときに限って電話が鳴る。そして、せっかく眠った息子、起きる。

 

電話を取ることももちろん出来ないし、再度の寝かしつけ。

 

そんな悩みを夫に話したら勧められたのがコレでした。

 

夫は過去にトラックを運転していたことがあり、当時からBluetoothヘッドセットを使い続けていました。

 

私がワンオペ中は夫は、バスを運転していたのですが、泣く私に「コレ使ったら」と置いていってくれたのが、初の私のBluetooth体験でした。

 

子育て中は案外電話が鳴る

 

思い返して見ると、子育て中って案外電話が鳴りました。

病院の予約でも、折り返しの時があったり。

 

保健センターとか。保育園とか。

 

やっと寝た!って時に電話の音で邪魔されると、本当にイライラ。

 

さらに、起きると怒濤のように忙しくなるので、折り返し電話が出来ず…夫が帰ってきた頃に、やっとのことでかけ直すと「担当者は帰りました」と言われ。。。

 

ただでさえ過酷な育児期間に、いらないストレスが増える原因のひとつになっていました。

 

Bluetoothヘッドセットを購入した後は、一気に楽になりました。

寝かしつけ時にBluetoothを耳にセット。電話が鳴っても音が外に漏れないのがいいです。

 

片手でポチっで電話がとれる。

 

小さな声で話している限り、息子も起きませんでした。

 

よいツールを授けてくれた夫に感謝しかありません。

 

イヤイヤ期・ウロチョロ期にも活躍した!

 

その後、すくすくと成長する息子に、闇の記憶しかないほどに大変だったイヤイヤ期が訪れます。

 

大柄なうえに大漁旗の鯛のように暴れる息子。

 

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皆さん、ハーネスの利用を考えるお年頃かと思います。わが家ももちろん、買いました。使いました。

 

でも、案外使用頻度は低かったように思います。

 

理由のひとつに、兄弟がいなかったことがあげられると思いますが、それ以上にこのBluetoothヘッドセットの利用が大きい理由になるのではないかな?と思います。

 

まず、両手が空く。

 

電話を探している間に→逃走!

 

という、危険がない。

 

レジ中に→逃走!

 

の方の危険には、キャッシュレスの支払いを徹底しました。レジ中ももちろん、手は離さず。

あと、早くから保育園に入れていたため、日々の買い物は保育園中に済ませるなどの工夫も出来ました。

 

リアル警察ごっこ!?な、夫との協力戦も

 

夫ももちろんBluetooth、使っています。

 

息子は、さらに大きくなると、体力も力も増して、つないでいる手を振り払って逃走することも出てきました。

 

買い物中に逃走を図る息子を捕獲するため、夫と電話をつなげたまま連携しながら店内を駆け巡った(走ってはいません、もののたとえです)ことも数多。

 

警察モノのドラマみたい!なんて思いつつ、捕獲した暁には、ちょっとワクワクしてしまったり笑。捕獲するまでは気が気ではありませんけどね。

 

慣れてしまったらもう手放せない

 

そんなこんなで使い続けているBluetoothヘッドセット。もうかれこれ3・4代目といったところでしょうか。

 

私は高級なものは使わないので、ひとつ、2000〜3000円で買えるのもうれしい。

 

一度使うと、手放せなくなります。

 

「どこ!?」って、鞄の中をゴソゴソしなくていいし。

 

料理しながらでも電話を受けれる&料理も続けられる。

 

パソコン打ちながらでも話せる。便利です。

(デザインの仕事は、言語系統とは脳内が別なので案外はかどります笑) 

便利なツールは活用すればいいよね。

 

今はアプリなどで赤ちゃんのお世話を管理できるものがあったりしていろいろ便利。

実際に、それを夫婦で共有しているという知人も多いです。

 

外出時に嫌な思いをしたり、「怒鳴らない子育て」なんてハードルもあったりして、子育ての環境は昔に比べて良くなっているとは言いがたいけど、

 

どうしても泣き止まない時とか、見せられるスマホや動画があったり、かわいい天使の羽付きハーネスが売っていたり、ハード面では、昔よりも改善されていることも多い。

 

「昔も今も、案外トントンなんじゃない」と割り切れば、お年を召した方が潜める目も、案外気にならなくなるんじゃないでしょうか?

 

さらに、オリジナルな「育児お助けツール」を持っている方って、案外多いような気もします。良ければ教えてください。

 

女が職場で迷惑がられるのはしょうが無い。社会が変わって欲しい。

子育ては社会を維持する〝本能〟なくさずに生きていきたいと思う、kazenoyaです。

 

今朝、夫が

「今日は残業と思う」と言い出しました。

 

早く帰ってきて欲しいのが本心の私は、少し残念に思いながら話を聞いていました。

 

「なんでか、今日明日あさってと休みが多いんだよね。孫が生まれるとか生まれたとかで」

 

ちなみに夫も、明日あさってと休みをとっています。(子のためではなく、家の工事のため)

 

だって、本能は〝子どもを育てたい〟んだもの。

 

kazenoyaは春休み中、あまり働けませんでした。

息子が春休みだったからです。

 

会社は忙しかったようですが…

 

契約で、お給料としてお金をもらっているわけではない、外部の身。

「仕事したい」気持ちと「息子の育ちに貢献したい」気持ちの間で揺れ動きはしましたが、断然後者の気持ちのが有利です。

 

私の担当をしている正職から

「午後動ける〜?」と、若干ヘルプ気味の電話がかかってきても、色よい返事ばかり出来ていたわけではありませんでした。

 

春休み中に会社に顔を出した際に、弱りまくっている彼の顔を見て、申し訳なさでいっぱいになりました。

 

まあ、家で息子の相手してても、パソコンで出来る仕事をしたり、入学準備に忙しくて、べったり子育てしていたわけではないけれど。

 

でも、息子のためにお弁当作って公園に行ってみたり、普段は出来ないおやつ作りとか、一緒にしたいし…って、脳内完全お花畑状態でした(笑)

 

「ママさんは責任ある地位に就きたがらない」とか言われ、役職などに抜擢されづらかったりするのも、ホント、頷けます。

 

 みんな、そうやって育てられてきたんだよ!

 

でもね。

 

迷惑がっている同僚も、嫌みを言う上司も、政治家だって、今の社会を動かしている、みんなみんな、そうやって育ててもらってきたんです。

 

両親が忙しければ、祖父母や近所のばあちゃんが手を出して。

赤ちゃんが身近に生まれたら、手を出したいのが本能。

 

〝子育て〟っていう本能がヒトから欠落してしまえば、どうやって子どもが育つのさ。

 

新生児が道に落ちてたら、本能は「拾いたい」の一択なんだと、思うのはkazenoyaだけでしょうか?

 

〝子育ての本能〟が薄れている時代。 

 

現代は本能だけで暮らせないし、出世や家計など、いろいろ考える。それぞれの夢だってある。

 

人口減少とか少子化とか言うけど、人口も多分、地球的に考えると、もう少し減った方がベターなのかもしれない。

 

だから子育ての本能は薄れている時代なんだと思うのです。

 

でも

子ども産めとか、総活躍とか、経済復興とかいうなら、この本能を否定しちゃダメじゃない?会社の負担にも、目をつむっちゃダメじゃない?って思います。

 

社会のシステム変えて欲しい。

子育てで(介護もですよね!)人員欠落しても、会社に負担が行かないようにサポートして欲しい。

 

kazenoya家の知り合いがたくさん住む北欧のノルウェーという国では、企業はバンバン人を切ります。切られても、一家の主さえも案外ひょうひょうとしています。(困らない訳ではありませんが)

 

企業は企業の成長を目指せばいい、伸びしろのある企業には国もドンドンつぎ込む。ダメなら国も企業を切る。切られた企業は人を切る。そんな構図なんだと、知り合いが話してくれました。

社会保障がしっかりしている国だからこそなんだと、感じました。

 

もう日本も、それぞれの企業や現場が負担する時代はおしまいにしなければならないのかもしれませんね。

 

朝からいろいろ考え、書いてちょっと、スッキリしました。

暴言、お目汚し、大変失礼いたしました。

 

1年生になりました!〝親の通学の不安〟と〝子どもの順応力〟

こっちが変化について行けないよ〜!と叫びたい、kazenoyaです!

 

息子が昨日、小学生になりました。

 

五体満足で生まれ、〝通常の3倍〟大変な育児を経て、立派に個性豊かにすくすくと育った息子ですが、コミュニケーションが独特です。

時折制御不能状態になる(脳内がテンパった状態)こともあります。

なので、教育相談を経て、支援級でのスタートを決めました。

 ※関連ブログは多すぎるので最下部に貼りました。興味のある方はそちらをご覧ください。

 

特に通学(片道30分かかります)は、一緒に通ってくれるお友達探しと、交通事故への不安が拭えませんでした。

 

当面の間、私が一緒に学校まで歩こう(片道30分!)と心を決め、「ゆっくり行けばいいや〜」とのんびり準備をしていたら、突然のピンポン。

 

なんと!今朝の初登校、近隣の高学年〜1年生の子どもたちが早朝から息子を迎えに来てくれました。

その時点で、まだ着替えていない息子。バタバタと準備をさせて、5分で送り出しました。

早朝からやけに静かな自宅に、私の方が、変化について行けない気分でブログを書いています。

 

 息子の個性を受け入れてくれる子どもたちに感謝

 

優しいところがあり、発達指数がグレーゾーンということもあり、実年齢より幼く、かわいらしいところもあります。

 

ですが、極度の自分本位なコミュニケーションがたまに(かなり?)キズ。

 

 母であるkazenoya的には、息子と息子ルールで遊ぶのは、かなりの苦痛です。

 

保育園のお迎え時や、出先で他の子と遊ぶ姿を見ていても、露骨に嫌がられる事も多く、その点は心配していました。

 

ですが、お迎えに来てくれた高学年の子たちの様子を見て思うのは、学校には様々なキャラクターの子がるのだろうな。ということでした。息子もそんな個性豊かなレアキャラの一人、ぐらいの感じなのかな?と。

 

保育園から同じクラスの子も一緒に登校するようで、親しげに「急がないと間に合わないよ」「防犯ブザーのボタンはここだよ」などと、面倒を見てくれるような発言をしていて、頼もしく感じました。

 

 親が心配するよりも、周囲にその個性を受け入れられ始めているのかもしれません。

 

思ったより出来ていた入学式 

 

家にいると、グダグダゴロゴロで、人の話も耳に入っているのか?入っていないのか?かなりひどい状態なのですが、担任の先生の質問にもその都度、きちんと反応していてかなり頑張っていました。

 

入学式でも、時折常道運動をするものの、1時間弱の式を邪魔することなく案外落ち着いて参加出来ました。

 

心配していたような惨状にならなかったことにひとまず「ほっ」と肩をなで下ろし、成長を感じて感無量です。

 

 準備や支度が苦手です

 

その一方で、ランドセルの片付けなど「今やらなければならないこと」に注意を向けるのが苦手です。

 

朝の支度もそう。

 

「遅刻したくない」気持ちと、タスクをこなすだけのモチベーションの維持の難しさの間で、息子自身、ジレンマを感じているようです。

 

常時横で「次は○○」と言い続けていないと、すぐにぼーっとしてしまうのです。

あまり言い続けていると切れるので、やっかいです(笑)

 

ですが学校では、個人で動かなければならないことは、格段に増えるでしょうし、ぼーっとしていたら置いて行かれてしまいます。

 

支援級なので、手厚い支援があるとは思いますが、それでも、息子にとって学校生活は疲れる日々となることでしょう。

子どもたちの中でもまれながら、さらなる成長をしていって欲しいと願います。

 

 

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子ども|「YouTubeが問題」なんではなく「どう見るか」なんじゃない?

〝ウザがられる〟その日が来るまで、息子の興味を一緒に追求したい、Kazenoyaです。

 

 テレビばっかり見てると

 

「悪い影響を受ける」

「目が悪くなる」

 

と〝親が〟言われていた世代です。

 

今は「テレビ」のところが「YouTube」に変化しましたね。

 

超テレビっ子だった子ども時代と、今

 

kazenoyaは母子家庭で育ち、その母は経営者で、よく働いため、いわゆる「鍵っ子」育ちです。鍵っ子って今時、死語でしょうか?(笑)

 

学童から歩いて帰り(5時頃)、家で母の帰りを待つ間、ほぼずっとテレビを見ていました。帰ると、まずテレビのスイッチをつけるのが日課

 

今になって、当時の母の帰宅時間は何時頃だったのか?と考えますが、夜早く寝ていた記憶があるので、案外早かったのかもしれません。

だとすると、視聴時間は1日2〜3時間でしょうか。

ただ、高学年の時には学童へ行っていなかったので、さらにテレビの視聴時間は長くなったんじゃないかな?と思います。

 

そのkazenoyaですが、今、自発的にテレビを見ることはほぼゼロです。

 

夫が撮っておいてくれる録画を、たま〜に一緒に見るぐらい。あとは息子と映画などを見るぐらい。

20歳頃には、テレビのない生活も体験しています。

基本、あまりテレビが好きではありません。

 

一方的に流されるニュースも、バカ騒ぎ的な悪ノリが目立つバラエティも、苦手です。テレビの悪影響は受けていないように思います。子どもの頃は、あまり深く考えずに毎日のように見ていたんですけどね。

 

 息子はどうYouTubeを見ているのか?

 

kazenoya家で今YouTubeを見られるのは、夫、kazenoya、息子のそれぞれのスマホタブレット)と、夫、kazenoyaのパソコン、それとリビング・おじいちゃんの部屋のテレビです。 

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夫とkazneoyaのスマホタブレット、パソコンは個人的なものなので、息子は見ません。

 

息子が見るのは、おじいちゃんの部屋のテレビとリビングのテレビ、それと自分のタブレットです。

(おじいちゃんの部屋では、自分のタブレットからいきなり転送して見始めるので、おじいちゃんに嫌がられています(笑)

 

このうちタブレットにはYouTubekidsアプリをインストールして見ています。子ども向けの、いわゆるE●レみたいな感じのヤツをよく見ています。好きなのは「まめきゅん」で、韓国で作られた教育アニメだそうです。

 

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テレビでは、YouTubekidsアプリの設定が、なぜか出来ないので、大人向けのを見ているため、ゲーム実況(マイクラにハマり中)などを見ていて、母であるkazenoyaによく嫌がられています。好きなのは、いわゆるYouTuber的なものではなくて、アニメっぽいヤツです。VTuberってヤツでしょうか。

 

母としては、タブレットをあまり見ていると目が心配です。なので長く見ないように注意しています。時間を決めて上から「ダメ」と言うことはできるだけ避け、「目が悪くなっちゃうからそろそろやめよう」と言っています。

 

テレビで見る時は、可能な限り一緒に見て

「ここがスゴイ」

「こんなのは見たくない」など、親としての感想を伝える場にしています。

 

親の価値観、社会の価値観、自分の価値観など、それぞれの価値観があることが分かり始める年頃だと思うし、いろいろな価値観を知ったうえで、自分の思いを主張出来るように育って欲しいという思いがあります。

 

現実も映像も、体験を共有する。

 

絵本だって、勝手に読ませていたらどんな本を読むか?わかったもんじゃありません。怖い絵本に出会ってしまった時、親が近くにいなかったり、いても「忙しいから後にして」と、気がつかなかったりしたら、トラウマになる。

 

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怖い物語に出会ったり、いきなり怒られたり大失敗をしでかしたりして怖い思いをしたり。

それって、リアルでもバーチャルでも一緒のことだと思います。

 

悪い影響になるのか、はたまた次に同じようなことに遭遇した時、自分を守れるようになる、価値ある体験となるかは、そこに同席した大人次第。だからこそ、どんな体験も保育者と共有し、保育者からのサポートが受けられることが、子どもにとって大切なことじゃないかな。

 

「怖かったね」などと声をかけてもらって、その経験を消化する。そんな簡単なことで、次に進めるか?トラウマになるのかが変わってくるんだと思うのです。

余談ですが、災害時などの子どものトラウマも、大人側に余裕がなく、傷ついた子どもの心のケアを後回しにしてしまうことが大きなリスクになるんだそうです。

 

手がかかる息子で良かったのかも。

 

通常の3倍手のかかる〟息子ですから、テレビだって動画だって「ねぇねぇ一緒に見ようよ」です。

 

でも、それで良かったのかも。

 

手のかからないよく出来た娘なら、いろいろな経験を一人でさせてしまっていたかもしれません。

 

私がスマホに夢中でも

「ケータイばっかり見てないで遊ぼう」と言ってくれる息子で良かった。

 

出来の悪い母だから、手のかかる息子がやって来て、やっとこさ母業させてもらっているのだと思うことにします。

 

母と一緒に読書した思い出。

 

そういえば、kazenoyaは読書好き。

 

小学校高学年の時に子ども向けの文学全集的なものを定期購読してもらい、読んでいました。当時はあまりうれしくなかった。

 

しばらくして、

 

「そろそろシリーズ物を読んでみたら」

と勧められたのが、文庫版のドリトル先生でした。 

ドリトル先生航海記 (岩波少年文庫 (022))

ドリトル先生航海記 (岩波少年文庫 (022))

 

 

これにハマった。そして母もそれを読んだ。

 

これ以降、私がハマって読む普通の小説はもちろん、マンガやコバルト文庫(懐かしい!まだあるのか?)までも、「読んだら貸して」と一緒に読んでいました。

 

この、「一緒に」ってのが大切なんだろうな、きっと。

自分の興味のあるものに母親が興味を持ってくれる経験って、案外うれしいものです。「あれ、面白かったね」と言ってもらえることは、自分の〝見る目〟に自信を持つことにもつながります。

 

「アホ男子」が止まらないのは動画のせい?

 

そうは思うものの、下ネタ好きのアホ男子化が止まらない気がするのは、気のせいだろうか?とちょっと心配です。

ウ●コ、オ●リが好きなこと好きなこと!

今から二次元の女子に萌えているのも、ちょっと気になります(笑。

 

やっぱり、悪い影響は受けているのだろうか…。

 

さらに、アホ動画を見てはゲラ笑い。

 

そんな息子を見て「やっぱ男子ってアホよね」と、小学生女子のような発言をしてしまう、四十路過ぎのkazenoyaなのでした。

 

発達支援の体操教室最後の日「参観日」

過去ブログを読み直して、息子の成長っぷりに驚く、kazenoyaです。

 

年中から通っていた発達支援の体操教室が最後の日を迎え、簡単な参観日がありました。

 

思えば大爆笑したあの日が最初。

 

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本当に貴重な時間を過ごさせてもらったんだと、感謝しかありません。

家では絶対にやらせられなかっただろう、危険な遊び(?)を、自分と似た特性の仲間とともに思う存分遊びつくし、先生をリスペクトして過ごした2年間は、息子にとってかけがえのないものだったと思います。

 

体幹・姿勢が驚くほどしっかりした

 

普段の家での様子は本当にトドのようで、ダラダラごろごろしているようにしか見えませんが、参観日での息子のタントラジャンプには目を見張りました。

 

お尻やお腹がクネクネすることなく、しっかりと体制を維持しながらジャンプ出来ていました。

 

それよりも何よりもの驚きは、先生の指示をちゃんと聞こうとしている姿勢。失敗してもおちゃらけたり、ごまかしたりしようとせずに、「間違えちゃった」と自分で申告する様子。どれもこれも、家とは大違いでびっくり。

 

「よろしくお願いします」「ありがとうございました」の挨拶もきっちり。

 

もちろん、キョロキョロ系も残存していますし、指示の通りにくさも残っています。

「耳天状態」なのか?マイルールなのか?判断に迷うような不思議行動も、無くなってはいません。

 

でも、難しい指示でも、先生の言葉の意味を一生懸命に理解しようとしている様子が伝わってきて、母として、「コレは誰だ」状態でした。

 

確実に、家では見せない顔でした。

 

※ちなみに、耳天は「お耳が天井に行っちゃってる」という息子本人の言葉からの造語です。最近では「お耳天井に行っちゃってた?」と聞くと「ううん、月に行ってたよ」と返す、ユーモアの成長(?)も見せてくれています。耳月か?

 

案外わかってない、子どもの得手不得手。

 

発達特性ゆえ、得手不得手の差が激しい息子。

それ自体は医者からもよく言われていて、発達検査の結果でも数値で出ているので、理解しているつもりでした。

 

ですが、実際に目で見るというのは、こんなにも違うことだと気づかされます。

 

指示の通りにくさだとか、耳天だとかに気をとられがちで、細かな得手不得手まで気がついてあげられていないんだと、気づかされました。

 

 

参観で、とてもよくわかった苦手さ・得意なことを、覚え書きにしておきたいと思います。

 

【苦手なこと】

・後ろ向きで行うこと(タントラ後ろジャンプ、平均台後ろ歩き、後ろ向きでのでんぐり返し)

・手首足首が硬い。

・人の動きの真似(空間的な認識?どんな形なのか)

・股関節が硬い。(体が硬い)

 

【得意なこと】

・全体像の把握(先生が何を指示をしようとしているのか)

・トランポリン(脚力が強い)

・腹筋・腕の力は、思っていたより、付いてきている印象。

・出来るまでチャレンジする姿勢

 

全体像を把握するのはチョッパヤなのですが、それ故、「あ、わかったわかった!」的に突っ走ってしまうことが多く、注意を受けていました。そんな時はもちろん「耳月状態」です。叱るのではなく、よい方向に伸ばしてあげたいものです。

 

息子が帰ってきたら、チャレンジする姿勢や、先生の言葉を理解しようとする頑張り、トランポリンの上手さ、腹筋や腕の力で高いところに登れるようになったことを、思いっきり褒めてあげたいと思います。

 

 親とは違う大人と関わって、育つこと

 

体操教室の先生は、若い男の先生です。

 

わが家は高齢夫婦で、父母はおじさんとおばさん(笑)。

保育園の先生は、男の先生もいましたが、今は女性の保育士です。

 

体操の先生は、保育士とはまた全然違い、時に厳しく、時に息子と近い目線で関わってくれる、貴重な存在だと感じました。

 

自分の経験から、成長の早い大柄な子は、ぐんぐん伸びることで筋力が追いつかなくなること、それによって運動苦手意識を持ってしまう子がいることなどを教えてくれました。

 

息子も、かっこよくなんでも出来る先生(体操の選手を育成する教室の先生が本業なので)にリスペクトしている様子でした。

 

私が確実に怒るようなこと(危険なこと!)も、ここではOKだし、先生だって、やっちゃいます。

 

昔なら、近所のガキ大将が教えてくれたようなこと。

 

今の生活では、もう無理なこと。

 

背丈以上の深い「スポンジプール」で体全体を使ってもがき苦しむ(笑)ことだとか。

(昔の子は野山で駆けずりまわったり、代掻きとかで泥にまみれて経験したことかも)

 

本当に貴重な成長の経験だったのだと知り、よい参観になりました。

 

苦手な朝掃除が日課に!「箒(ほうき)」が、実はかなりズボラ向けだった

掃除でも、面倒なことをひとつでも減らしたい超ズボラな、kazenoyaです。

 

クイックル的なモップや掃除機など、いろいろ試してきました。

独身時代は、毎日のクイックルでクリアしていたのですが、育児との両立に手抜きが増え、毎日だったのが、そのうち隔日になり、さらには2日置きになり…。

後は、言わずもがな。

 

「ホコリじゃ死なないし」が口癖になり、早ウン年。

 

諦めて、週1掃除機に切り替えてみるも、今度は自分の精神が限界に。

(汚いよ〜)

 

ふと思い立って「ホウキ(箒)」を手にしてみたところ、これがなんとも秀逸でした。

 

お掃除まで「ワンステップ」

 

家の配置の形状的に、掃除機までが遠いkazenoya宅。

(田舎の昔の家は、広さだけはスゴイです!)

さらに、インドアまっしぐらの40年が、筋力の少なさに影響を及ぼし、掃除機が重い!

 

そして、クイックル的なものは、まずは、取り替えシートをつける作業が発生します。

 

でも、ホウキならワンステップ。腰が軽やか〜(笑)

 

ただ手に持つのみです。どこにでもおけるサイズだし、軽い!

 

ちなみに今置いているのは、冷蔵庫と食器棚の10センチの隙間。

近くのホームセンターで買った、腰までぐらいの、柄の短いタイプを使っています。

アズマ 『天然素材の室内用ほうき』 匠125 匠箒 短柄

アズマ 『天然素材の室内用ほうき』 匠125 匠箒 短柄

 

 

ホウキ掃除が、毎朝のルーティンに

 

あんなに面倒だった朝の掃除が、ホウキに変えてから毎朝続いています。

もうかれこれ半年ほどになりました。

 

なぜか?kazenoya的に考えてみると、一番の要因は重くないことだと思います。

 

掃除機って持ち運びも重たいですが、取り回しも案外重たいですよね。

ダイニングテーブル周りとか、掃除機で掃除すると案外疲れます。ホウキだと、それがない。

 

そして、作業を細切れにされても腹が立たないのも高ポイント。

 

あまりに忙しかったり、息子の「ねえねえ」攻撃に耐えかねたら、チョイチョイっとやったところで「今日はこのぐらい」にして、すぐに仕舞えてしまえるのも◎

 

休日や、早朝から出かける日、体調不良の日でも、このぐらいの手間なら出来る。

毎朝やるので、絶対忘れない。コレ、大事。

 

さらに、ホウキ掃除でスイッチが入った日には、その後クイックルでさっと拭き掃除をしたり。

これまでなら、1ヶ月に1回ぐらいしかやらなかった(ごめんなさい!お家さん。。。)場所まで掃除したりしています。〝ホウキ〟なら、ぐっとハードルが下がる気がしています。

 

 

〝掃除機の掃除〟がいらない!

 

さらに、これまでkazenoyaを掃除嫌いにさせていた要因のひとつが、掃除機の汚れ。

 

ヘッドに何かが絡まったり、紙パック式を使っている(息子が小さい頃買い換えた際、アレルゲン物質の除去をメインに考えて選んだらコレになりました)ため、紙パック交換の際に中のホコリも気になる。

 

でも基本がズボラなので「見ないふり」

子育て中を盾に、「見ないふり」

疲れてる、を理由に「見ないふり」

 

これがなんともまぁ、ストレスになるのです(笑)

(き、汚いよ〜)

 

でもホウキなら、掃除終わりに、手で先についたゴミなどをむしり取ったら、それでおしまい。ほぼ、掃除したことがなかったかのように、きれいなホウキに元通り〜!

 

凸凹も掃除しやすく、電気も使わない!

 

わが家は、昭和の香る昔の家。

 

「いつかは全床フローリングにして、お掃除ロボットに」なんて、憧れたこともありましたが、ホウキを手にして、そんな考えが払拭されました。

 

「お掃除ロボだって、定期的に掃除が必要だろうし」なんて考えると、私の中のズボラが騒ぎ出す。「ぜったい面倒。きっとやらない」って。

 

ホウキなら、どんな凸凹だってヘイチャラです。なんなら窓の桟でも掃ける。

 

ちょっとした隙間も、案外きれいになるし、穂先は結構丈夫で、少しぐらい厚くなったホコリもグイグイいってくれます。

 

さらに電気も使わないので、エコ。

なんでこれまで使わなかったんだろう、というぐらい便利です。

 

燃やせるゴミで捨てられるね

 

 今使っているホウキは2代目。

 

1代目は100均で購入したもので、雑貨屋さんで買えるような感じのヤツでしたが、日々使っているうちに、あれよいいう間に、ばらけてしましました。

 

ばらけたホウキを見て驚いた。ほぼ天然素材。

 

夫は、柄の部分を「何かに使えそう」と工具倉庫へ持ち込み。

後には、たき火で燃やせそうってぐらいのものしか残りませんでした。

 

過去に、ズボラには鉄のフライパンがいいかも!と気がついたことがありました。

kazenoyaは、捨てるのも苦手なのです。

 

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ズボラの掃除道具は絶対「ホウキ」がいい!

 

そういえば

 

小学校に通っていた時、給食後の掃除で使う掃除道具と言えば、箒とぞうきんでした。

 

なのに、いつのまにか掃除といえば掃除機がスタンダード…というか、家の中では、ホウキを使った掃除ってしたことがなかったかもしれません。

 

ホウキで掃除する場所といえば、玄関か外回り。

 

どうしてなんでしょうか?不思議。

 

ただいま喪中・愛猫を亡くしました

今日はブログ趣旨に関係ない内容ですが、ある猫の一生を振り返り、追悼にしたいと思い、書くことにしました。暗い話になりますので、苦手な方はスルーをお願いいたします。

 

 

 

 

アイコンに使用している、愛猫を亡くしました。

ニャンニャンニャンの猫の日(2月22日)の早朝でした。

 

猫好きたちの有志で、命拾いした猫生でした

 

ある日、分離帯の植え込みの根元で小さな猫が震えていました。

 

拾ったのは、結婚を控えた若い女性でした。

夫となる人は猫アレルギーで、困った彼女は上司に相談したそうです。

 

当時、わが母は、飼っていた猫が死期を悟ったのか逃走し(それまで外に出たことのない猫でした)何週間も何ヶ月も、毎夜探し歩いて疲れ果て、諦めなければならないのかと、心労を重ねていた時でした。

 

相談を受けた上司は母の知り合いで、母がペットロス状態ということを知っており、「飼ってほしい」と、助けを求めました。

 

一方、拾われた子猫は、動物病院に運ばれていました。

猫風邪をひどくさせていて、目は白濁し、獣医には「もし助かっても一人でキャットフードを食べることが出来ないかもしれません。目が落ちてしまう可能性もあります。どうしますか?」と、心ない言葉で決断を迫られている最中でした。

 

母の心は揺れ動いていました。

 

有志の〝猫基金〟で入院費を持参してやってきた

 

2匹の猫を飼っている高齢の子どものない女性がいました。

 

その人は、「私がもし先にいってしまったらこの子たちをお願い」との願いを込めてお金を積み立てていました。

 

頼まれた人たちは数人いてその猫たちのための基金を作っていました。(話の前後は忘れてしまいましたが)結局、その基金には、いくばくかの金額が余剰していたのです。

 

彼女たちから「このお金を使ってこの子を救ってほしい」と頼まれ、持参金付きで母のもとにやってきたのが、そもそものいきさつでした。

 

ガリガリに痩せ、うつろな白い目と、ネズミのような細い尻尾でした。

夜探し回ることになったときに、次は気兼ねなく名前を呼べるようにと、人間でもおかしくない名前を考え「亜海(あみ)」と名付けました。

 

早く治るようにと、食べさせすぎた!

 

キャットフードは、入院中に食べていたものと同じものを用意することで、嗅覚が弱くても帰宅後も自力で食べられるようになりました。

早く良くなって!元気になって!と、とにかく食べさせました。

 

少しずつ回復し、白濁していた目も元通りになり、尻尾もふさふさに。

 

ただ、親心が徒となったということでしょう。

次第に丸々と太り、顔が小さかったのでシルエットとしてはまるでトトロのような見た目になりました。

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2008年の写真。まるでトトロ

 

執事付きの別荘としての、わが家

 

そんな折り、母が定年を迎えます。

海外などに遊びに行く機会も増えます。

 

「ペットOKのアパートへの引っ越しを面倒見るし、家賃の差額も払うから、君のうちで面倒みてくれない?」と、半ば強引にわが家に来ることになった亜海。

 

その日から私と亜海との生活が始まりました。

時折、海外へ行きっぱなしになる母のためにとブログで日々の報告も、少しだけですが、していました。

ameblo.jp

 

猫アレルギーと、子どもと、猫との同居生活は

 

kazenoyaは猫アレルギー。

さらに小さな子どもも生まれました。

猫との暮らしはどうなるの?

 

散々模索した結果わが家が選択したのは〝住み分け〟でした。

kazenoya.hatenablog.com

 

わきまえていた「お姉さん亜海ちゃん」

 

それまでは人の拳をかむのが大好きだった亜海でしたが、赤ちゃんが家に来たとたん、とってもお利口さんになりました。

 

もはや立派な〝おねえちゃん〟

 

かむことも、爪を出すことも、私に甘えてくることさえもなくなりました。

(息子が3〜4歳ごろからまた甘えるようになりましたが)

 

歩き出した息子に、とんでもない場所をつかまれ、とんでもない格好で、引きずられながら耐えている姿は、見ていて泣けてきました。

 

愛猫を家で看取るということ・腎臓病を疑う

 

最初に異変があったのは、2月6日でした。

これまでも、度々食欲がなくなることはあり、でも、数日でまた食べるようになっていたので、年も年だし(猫の平均寿命は15年ほどなのでしょうか?)、こうして徐々に年老いていくのだろうと、心配ながらも、どこか心の準備をしていました。

 

でも、そのときの食欲不振は長く、もうすぐ1週間になるな、と心配していたところでした。朝、異変を感じて亜海を見ると、震え初めていました。とっさに「けいれんかな?」と思いました。

 

近寄って体を支えると、怖がっているように目をキョロキョロさせながら何かから逃げるような仕草を見せます。それが2度ありました。

 

 ネットで調べると、腎臓病の末期にせん妄状態になることが多いという情報に行き着きました。

 

獣医師推奨のキャットフードのみで暮らしてきたので、まさか腎臓?と思いましたが、室内飼いの猫のほとんどが最後は腎臓を患うようで、完治はせず、治療は透析のみということ。

 

悩んだあげく、しばらく家で様子を見ることにしました。

 

結果あ、けいれんはその日だけでした。

 水はたくさん飲むし、おしっこもたくさんする(最後は粗相ばかりでしたが、ちゃんとトイレまで行こうと頑張っていました)。腎臓じゃないのかも、と思い始めました。

 

日に日に軽く、弱々しくなっていく

 

けいれんを起こした日に、母には伝え、度々見に来てほしいとお願いしていました。

私がこれまで知っていた猫で一番の長生きさんは23歳。なので、亜海も23歳まで生きると、なんとなく思っていました。

 

でも、調べてみると平均寿命は約15歳で、幼い頃のことを考えると「よく頑張った」と言えるのかもしれないな、と感じ始めました。

 

けいれんは治まりましたが、その後も、2日に一度小さじ1杯ほどのヨーグルトを私の指から舐める他は、固形物は受け付けませんでした。

 

ピーク時は7キロ(!わが家に来てから、ちゃんとダイエットさせました(笑))ほどあった巨体だったはずなのに…と悲しくなるほど軽くなっていきました。

 

とうとう、歩くことさえままならなくなった亜海。ヨタヨタする姿に息子は大号泣。本当に最後かもしれないと母を呼び、一緒に語らった翌朝、起きるとお星様になっていました。

 

悩んだ葬儀は、地元広域連合の火葬場で

 

当日は、息子を水族館に連れて行く約束のために、休日をとっていた日でした。

 

遠方まで行くために早起き。

寝床で丸まって動かなくなっている亜海を見て、呆然として、しばらくなにも考えられませんでした。心の準備は出来ていたはずなのに。。。

 

もし今夜が最後になろうとも、できるだけ普段通りに過ごして看取ろう。

そんな気持ちで毎日夜を迎えていました。

だから、なんの準備もなんの話し合いもしていませんでした。

 

レジャーの予定もそのまま。

 

悩みながらもようやくスマホに手を伸ばし、夫に「どうしようか」と言うも、体は動かず。ぼんやりしたまま時間だけが過ぎていきました。

 

結局、予定を半日ずらして、水族館には出かけました。

早朝のスーパーに駆け込んで(開いてて良かったイオン!)生花を買って亜海の周りを飾り、きれいに整えて母のところへ連れて行きました。

 

1晩母のところで過ごしてもらい、翌日地元広域連合の火葬場を予約して、火葬してもらいました。

 

火葬場に着くと裏口に案内され、小さな祭壇が用意されていました。

お線香もあげられ、家族で一言ずつお別れの言葉も伝えられました。

お骨上げまで、しっかりさせてもらえて、市民割引で1万円。

 

「このぐらいは出させて」という母の気持ちをいただき、お空に見送ってあげることが出来ました。

 

葬儀は残された人たちのためのものなんだと感じた。

 

インターネットで調べると、ペットの火葬は、専用の火葬車に家まで来てもらってお骨上げまで出来るところや、引き取りのみのところなど様々。

庭など所持している土地に土葬する人もいるようでした。

 

せわしなく土葬したり、業者に引き取ってもらうのはやっぱりさみしさがつきまといます。

 

だからと言って、お星様になってしまった亜海を一人置いて遊びに行くことも考えられませんでした。

 

でも、このお休みは息子と約束したお休み。(前回夏休みに行ったらあまりの混雑に息子は大人のお尻を見て帰ってきた、といういきさつがあります)

 

葬儀の方法と時期については、本当に悩みましたが、結果この方法で良かったな、と感じます。

 

母も亜海との最後の時間を過ごせ、私たちもちゃんと見送ってあげることが出来ましたた。

 

 

そして今は、いつも亜海のいた場所にいつものご飯とお水、写真、お骨。

そして母の友人から「お供えに」といただいた、なぜかの「ツナ缶」。(いつものフードしか食料とみなしていなかった亜海だけど、お星様になったから食べられるでしょうか?)

 

息子は「これでまだ亜海ちゃんと一緒にいられるね」と涙を拭きました。

小さな花やしぼんだ風船ともさよなら出来ない息子なので、心配していましたが、人はこんな風に自分の気持ちとの決着の付け方を学ぶんだと、感じました。

 

骨の一部を持ち帰った母も、今朝電話したら

「初七日だからね。お花とお水をあげた」と話していました。

 

薄情な性格ゆえ大丈夫だと思っていた私の方も、まだ生活の中に亜海の気配を探してしまい、思ったよりも参っています。お骨があって良かった。

 

長文失礼しました。

亜海の猫生を書き残せて、良かったです。

読んでいただいた方に感謝いたします。