息子のADHD気質は、わが母からの贈り物だったようだ。
闇の乳幼児期を乗り越え、息子の特性が愛しくて愛しくて…心配な、kazenoyaです。
家族性のある困った特性は、もはや息子自身でもあり、私の課題でもあり…。
息子のことはもちろん、自分自身や夫、母、義父などを良く知る努力を怠らず続けることで、より完璧な「息子のトリセツ」にして大きくなった息子に渡そう。自分の命が果てるまでに。そう、日々心がけています。
面白い記事をみつけました。
http://hattatu-matome.ldblog.jp/archives/55306105.html
利他的動機づけ
まさにコレ、わが母のことだぁ。驚き。
「誰かのためなら頑張れる」
「自分の利を取る行動が出来ない(それには脳が働かない)」
「謎の正義感」
わが母は幼い頃、棒きれを持って、いじめ子と戦っていたそうで。。。
息子は、、、
子どもを叱るよその母親を見つけたとき、その母親に向かって「叱っちゃダメ」と挑んでいく、困った特性を持っているのですが、それを、わが母は、さも困ったという風に私に言うのですが…
それ、キミからの贈り物だから…っ!
と声を大にして言いたい。
他人の笑顔や感謝の言葉のような社会的報酬が期待されるときには健常児童よりも大きく改善する
わが母のADHD気質
母は幼い頃、実家の家業がミシンの加工場だったため、よくミシンを分解して遊んでいたと聞いています。
幼児期には、教えてもいない百人一首をすべて諳んじるようになり、愛知県の田舎町では「神童降臨」ともてはやされ、小学生から一人で電車に乗って名古屋市内の学習塾に通ったという経験もあるそうです。(当時出来たばかりの「スガキヤ」で小倉アイスを食べるのが楽しみだったとか)(高IQタイプのADHD)
そして、4人兄弟の長女だったため、学校が終わると小さな妹弟を背負ってよく働き、弱いものいじめをするガキ大将に向かっていくような、超のつくほど真面目で正義感の強い少女に成長しました。(謎の正義感)
高校はデザインの勉強がしたくて工業系に進み、先生に「なんでお前みたいな頭のいいやつがこんな学校へ来た」と言われ、さらに卒業時に「デザインのセンスまるで無し」と書かれた上に、知人男性2人とともにデザイン系の会社を立ち上げ、最終的には社長にまでなりました。(書いた教師は一生恨むとまで、言っていました笑)(集中力)
自分の幼い頃の記憶の中の母は、まさに「スーパーウーマン」です。
取引相手の電話番号はすべて脳内にインプットされ、3つ4つのタスクを常に同時進行するような女性でした。(脳内の多動)
母をよく知る人は母の事を「回遊魚」と呼んでいました。止まると死んでしまうかのような働きぶりでしたから。
会社は最終的に倒産しましたが、全社員の再就職先まが決まるまで、ずっと寄り添い続け、職探しの面倒を見るような人でした。(人のためなら頑張れる)
現在はリタイア人生を謳歌!と思いきや、
「私って自分の事は全然やる気が起きないの。誰か私に『コレやって』って言ってくれないかな?そうしたら絶対成果出すまでものすごい勢いで働くと思うんだけど」が口癖です。(利他的動機付けによる脳の活性化)
母は幸せだったのか?
そういう生き方なので、人から慕われることも多く、遠方の知人友人が多いです。今でも、緩和されたとは言え、結構忙しそうです。
息子の子守などを頼みたくて連絡する時でも
まず一声は「今どこにいるの?」と聞かねばなりません。
東京だったり、名古屋だったり、海外のことも多々。
飛び歩いているのに、本人の脳内は暇なようで、
口癖は「暇。誰か私に何か頼んで」です笑。
でも、友人は多いのに、私にはよく愚痴をこぼしていて、いつも謎の『理解しあえない感』を感じているように思います。母はきっと〝よく発達したADHD〟でしょうが、それでも特性は特性なんだな、と思います。
息子に渡すトリセツに、この部分の解決法を記載することは、本当に難しいことなのかもしれません。
息子と母の類似点と相違点
息子の場合は高IQタイプではないです。(境界域)
ですが、小さな頃からDVDのパッケージを見て長いタイトルを一字一句間違わずに諳んじたりと、似たエピソードも多いです。この部分はいわゆる聴覚に特化した認知特性の「ラジオタイプ」というものなのかな?と思います。
車の後部座席から道を覚えてしまうことも多く(視覚優位)、これは話し出す前からあり、子育てをやっかいにする一因でもありました。
謎の正義感は本当に強く、4歳の時には「世界を守るヒーローです!」と自己紹介し、トイレで見えない敵と戦っていましたし、今では、迷子を保護しようとしたり、子どもを叱る親を叱ろうとしたり、自然保護系の動画を見ては「地球さんが泣いてるよ。ゴミは捨てないでリサイクルしてね」と懇願するような子どもに育ちました。
違う点と言えば
息子は、利害が絡むと理解が良くなるタイプで、「自分の利を取る行動が出来ない(それには脳が働かない)」ということはないような気がしています。(文字は覚える気がなさそうなのに、数字の理解が結構ある(表記も含め)のは『自分がもらえる量(回数・時間)』を把握するため)
人のためなら頑張れる
でもやはり、人のためなら頑張れる!という部分は、少なからず持っているような気がします。
朝の支度も遅く、学校から帰ると、グダグダに疲れてしまい目はYouTubeに釘付け。
耳天(お耳は天井に行っているんだよ〜)な聞いていない態度(最近はよく月まで行っています笑)は、自分で制御出来ないことも多そうですが、そんな彼が自ら動く時には、少なからず『他人』が関わっているような気がします。
「先生が『○○』って言ってた。今日は宿題やらなくちゃ!」
「今日は○○君と学校に行くんだ。遅刻しないように準備する」
「お母さんの車ピカピカに洗うね」
「お手伝いするね」
コレは…やはり利他的動機付けに他ならず、上手に育児に生かしたいゾ。と思います。
他人の笑顔や感謝の言葉のような社会的報酬が期待されるときには健常児童よりも大きく改善する
とりあえず、手っ取り早く母のやれることとして、まず笑顔を増やそう笑。
ママたちよ!リラックスを!!!
今朝腸活関連の読書をしていて、世のママ・パパたちにぜひ知ってもらいたい一文を見つけたので、書きます。
腸活をと出会い早、2年近く経とうとしていることに驚きです。
今回読んだのは、こちら。
腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するか
- 作者: エムラン・メイヤー,高橋洋
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2018/06/28
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
これまで読んだ本より格段に難しい気がする。まだ読み途中です。
読破したらまた、感想文を書きたいと思っているのですが…読破しても、ちゃんと理解出来るかな?と、不安に思いながら読んでいます。
この本は主に脳腸相関(脳と腸のコミュニケーション)について書かれています。面白いです。
幼少期のストレスも腸内環境に関係するよ〜という書き始めのところを今、読んでいたのですが、そこの一文に
(幼児期の経験が、どう成長後のストレス耐性と関係するのか?という、ラットを用いた実験の結果に関する文です。)
※ 抜粋
ストレスに起因する母親の行動の変化を通じて、子どもの脳がストレスに過敏に反応する方向にプログラミングされ 〜(中略)〜 母親にかかるストレスが強ければ強いほど養育態度は悪化し、元来は養育に長けた母親でさえ、ずぼらになったのだ。ストレスを受けた母親は養育に十分な時間をかけず、なめたり寄り添ったりすることがあまりなく、子どもを踏みつけることもあった。
じゃじゃ〜んと脳内でなった気がしました。
やはり、虐待は個人の問題ではなく、社会問題だなと。
ストレスを受けると腸内環境が悪化すること、逆に腸内環境がうつなどの発症に関わっていることも、近年研究が進んでいるようです。
すべては相互関係なのかな。
ママさんたちがストレスなくリラックスして子育て出来る社会環境を!
心の底から祈ります。
私ももちろんストレス、多いです。
夫の残業や休日出勤、義父との同居、母とのけんか…。
全部はなくなりませんけど。
でも、
息子の支度の遅さや〝耳天〟状態(お耳は天井にいるんだよ〜)の聞いてない態度などに、イライラしてしまうこと、止めたいです。
ストレス上手に発散出来るようになったら、イライラ叱るの減らせるのだろうか。上手に〝伝える〟育児を続けられるのだろうか。
そんなことを思いました。もう幼児期を過ぎてしまった息子ですが、今からでも出来ることは続けていきたいな、と思います。
ハーネスもいいけど…「Bluetooth」に助けられた赤ちゃん育児
ハーネスでもスマホでも、使えるものは使った方が勝ち!だと思っています、kazenoyaです。
息子が小さかった頃に育児で使い始め、今でもずっと手放せないツールがあります。
それは「Bluetoothヘッドセット」というもの。
こんなやつ。
Jabra モノラルヘッドセット Jabra Bluetooth Headset ホワイト J-CLASSIC-JP-WH
- 出版社/メーカー: Jabra
- メディア: エレクトロニクス
- この商品を含むブログを見る
息子を抱いたままでも電話に出られるので、育児ツールとして、本当に助けられました。
トラック運転士の仕事をしていた夫に勧められた
息子は赤ちゃんの頃、寝るのも起きるのも苦手な手のかかる子でした。
生後6ヶ月頃に「授乳クッション横向き寝」を編み出すまで、それこそ肌身離さず、ずっと抱きっぱなしだった頃のことです。
夜間も抱いたままだったので横になることも出来ず、本当に疲れ果てていました。
お昼寝ももちろん、抱いたまま。ソファに座ることが出来れば、そのまま自分も座ったまま、つかのまの睡眠をとっていました。そんなときに限って電話が鳴る。そして、せっかく眠った息子、起きる。
電話を取ることももちろん出来ないし、再度の寝かしつけ。
そんな悩みを夫に話したら勧められたのがコレでした。
夫は過去にトラックを運転していたことがあり、当時からBluetoothヘッドセットを使い続けていました。
私がワンオペ中は夫は、バスを運転していたのですが、泣く私に「コレ使ったら」と置いていってくれたのが、初の私のBluetooth体験でした。
子育て中は案外電話が鳴る
思い返して見ると、子育て中って案外電話が鳴りました。
病院の予約でも、折り返しの時があったり。
保健センターとか。保育園とか。
やっと寝た!って時に電話の音で邪魔されると、本当にイライラ。
さらに、起きると怒濤のように忙しくなるので、折り返し電話が出来ず…夫が帰ってきた頃に、やっとのことでかけ直すと「担当者は帰りました」と言われ。。。
ただでさえ過酷な育児期間に、いらないストレスが増える原因のひとつになっていました。
Bluetoothヘッドセットを購入した後は、一気に楽になりました。
寝かしつけ時にBluetoothを耳にセット。電話が鳴っても音が外に漏れないのがいいです。
片手でポチっで電話がとれる。
小さな声で話している限り、息子も起きませんでした。
よいツールを授けてくれた夫に感謝しかありません。
イヤイヤ期・ウロチョロ期にも活躍した!
その後、すくすくと成長する息子に、闇の記憶しかないほどに大変だったイヤイヤ期が訪れます。
大柄なうえに大漁旗の鯛のように暴れる息子。
皆さん、ハーネスの利用を考えるお年頃かと思います。わが家ももちろん、買いました。使いました。
でも、案外使用頻度は低かったように思います。
理由のひとつに、兄弟がいなかったことがあげられると思いますが、それ以上にこのBluetoothヘッドセットの利用が大きい理由になるのではないかな?と思います。
まず、両手が空く。
電話を探している間に→逃走!
という、危険がない。
レジ中に→逃走!
の方の危険には、キャッシュレスの支払いを徹底しました。レジ中ももちろん、手は離さず。
あと、早くから保育園に入れていたため、日々の買い物は保育園中に済ませるなどの工夫も出来ました。
リアル警察ごっこ!?な、夫との協力戦も
夫ももちろんBluetooth、使っています。
息子は、さらに大きくなると、体力も力も増して、つないでいる手を振り払って逃走することも出てきました。
買い物中に逃走を図る息子を捕獲するため、夫と電話をつなげたまま連携しながら店内を駆け巡った(走ってはいません、もののたとえです)ことも数多。
警察モノのドラマみたい!なんて思いつつ、捕獲した暁には、ちょっとワクワクしてしまったり笑。捕獲するまでは気が気ではありませんけどね。
慣れてしまったらもう手放せない
そんなこんなで使い続けているBluetoothヘッドセット。もうかれこれ3・4代目といったところでしょうか。
私は高級なものは使わないので、ひとつ、2000〜3000円で買えるのもうれしい。
一度使うと、手放せなくなります。
「どこ!?」って、鞄の中をゴソゴソしなくていいし。
料理しながらでも電話を受けれる&料理も続けられる。
パソコン打ちながらでも話せる。便利です。
(デザインの仕事は、言語系統とは脳内が別なので案外はかどります笑)
便利なツールは活用すればいいよね。
今はアプリなどで赤ちゃんのお世話を管理できるものがあったりしていろいろ便利。
実際に、それを夫婦で共有しているという知人も多いです。
外出時に嫌な思いをしたり、「怒鳴らない子育て」なんてハードルもあったりして、子育ての環境は昔に比べて良くなっているとは言いがたいけど、
どうしても泣き止まない時とか、見せられるスマホや動画があったり、かわいい天使の羽付きハーネスが売っていたり、ハード面では、昔よりも改善されていることも多い。
「昔も今も、案外トントンなんじゃない」と割り切れば、お年を召した方が潜める目も、案外気にならなくなるんじゃないでしょうか?
さらに、オリジナルな「育児お助けツール」を持っている方って、案外多いような気もします。良ければ教えてください。
女が職場で迷惑がられるのはしょうが無い。社会が変わって欲しい。
子育ては社会を維持する〝本能〟なくさずに生きていきたいと思う、kazenoyaです。
今朝、夫が
「今日は残業と思う」と言い出しました。
早く帰ってきて欲しいのが本心の私は、少し残念に思いながら話を聞いていました。
「なんでか、今日明日あさってと休みが多いんだよね。孫が生まれるとか生まれたとかで」
ちなみに夫も、明日あさってと休みをとっています。(子のためではなく、家の工事のため)
だって、本能は〝子どもを育てたい〟んだもの。
kazenoyaは春休み中、あまり働けませんでした。
息子が春休みだったからです。
会社は忙しかったようですが…
契約で、お給料としてお金をもらっているわけではない、外部の身。
「仕事したい」気持ちと「息子の育ちに貢献したい」気持ちの間で揺れ動きはしましたが、断然後者の気持ちのが有利です。
私の担当をしている正職から
「午後動ける〜?」と、若干ヘルプ気味の電話がかかってきても、色よい返事ばかり出来ていたわけではありませんでした。
春休み中に会社に顔を出した際に、弱りまくっている彼の顔を見て、申し訳なさでいっぱいになりました。
まあ、家で息子の相手してても、パソコンで出来る仕事をしたり、入学準備に忙しくて、べったり子育てしていたわけではないけれど。
でも、息子のためにお弁当作って公園に行ってみたり、普段は出来ないおやつ作りとか、一緒にしたいし…って、脳内完全お花畑状態でした(笑)
「ママさんは責任ある地位に就きたがらない」とか言われ、役職などに抜擢されづらかったりするのも、ホント、頷けます。
みんな、そうやって育てられてきたんだよ!
でもね。
迷惑がっている同僚も、嫌みを言う上司も、政治家だって、今の社会を動かしている、みんなみんな、そうやって育ててもらってきたんです。
両親が忙しければ、祖父母や近所のばあちゃんが手を出して。
赤ちゃんが身近に生まれたら、手を出したいのが本能。
〝子育て〟っていう本能がヒトから欠落してしまえば、どうやって子どもが育つのさ。
新生児が道に落ちてたら、本能は「拾いたい」の一択なんだと、思うのはkazenoyaだけでしょうか?
〝子育ての本能〟が薄れている時代。
現代は本能だけで暮らせないし、出世や家計など、いろいろ考える。それぞれの夢だってある。
人口減少とか少子化とか言うけど、人口も多分、地球的に考えると、もう少し減った方がベターなのかもしれない。
だから子育ての本能は薄れている時代なんだと思うのです。
でも
子ども産めとか、総活躍とか、経済復興とかいうなら、この本能を否定しちゃダメじゃない?会社の負担にも、目をつむっちゃダメじゃない?って思います。
社会のシステム変えて欲しい。
子育てで(介護もですよね!)人員欠落しても、会社に負担が行かないようにサポートして欲しい。
kazenoya家の知り合いがたくさん住む北欧のノルウェーという国では、企業はバンバン人を切ります。切られても、一家の主さえも案外ひょうひょうとしています。(困らない訳ではありませんが)
企業は企業の成長を目指せばいい、伸びしろのある企業には国もドンドンつぎ込む。ダメなら国も企業を切る。切られた企業は人を切る。そんな構図なんだと、知り合いが話してくれました。
社会保障がしっかりしている国だからこそなんだと、感じました。
もう日本も、それぞれの企業や現場が負担する時代はおしまいにしなければならないのかもしれませんね。
朝からいろいろ考え、書いてちょっと、スッキリしました。
暴言、お目汚し、大変失礼いたしました。
1年生になりました!〝親の通学の不安〟と〝子どもの順応力〟
こっちが変化について行けないよ〜!と叫びたい、kazenoyaです!
息子が昨日、小学生になりました。
五体満足で生まれ、〝通常の3倍〟大変な育児を経て、立派に個性豊かにすくすくと育った息子ですが、コミュニケーションが独特です。
時折制御不能状態になる(脳内がテンパった状態)こともあります。
なので、教育相談を経て、支援級でのスタートを決めました。
※関連ブログは多すぎるので最下部に貼りました。興味のある方はそちらをご覧ください。
特に通学(片道30分かかります)は、一緒に通ってくれるお友達探しと、交通事故への不安が拭えませんでした。
当面の間、私が一緒に学校まで歩こう(片道30分!)と心を決め、「ゆっくり行けばいいや〜」とのんびり準備をしていたら、突然のピンポン。
なんと!今朝の初登校、近隣の高学年〜1年生の子どもたちが早朝から息子を迎えに来てくれました。
その時点で、まだ着替えていない息子。バタバタと準備をさせて、5分で送り出しました。
早朝からやけに静かな自宅に、私の方が、変化について行けない気分でブログを書いています。
息子の個性を受け入れてくれる子どもたちに感謝
優しいところがあり、発達指数がグレーゾーンということもあり、実年齢より幼く、かわいらしいところもあります。
ですが、極度の自分本位なコミュニケーションがたまに(かなり?)キズ。
母であるkazenoya的には、息子と息子ルールで遊ぶのは、かなりの苦痛です。
保育園のお迎え時や、出先で他の子と遊ぶ姿を見ていても、露骨に嫌がられる事も多く、その点は心配していました。
ですが、お迎えに来てくれた高学年の子たちの様子を見て思うのは、学校には様々なキャラクターの子がるのだろうな。ということでした。息子もそんな個性豊かなレアキャラの一人、ぐらいの感じなのかな?と。
保育園から同じクラスの子も一緒に登校するようで、親しげに「急がないと間に合わないよ」「防犯ブザーのボタンはここだよ」などと、面倒を見てくれるような発言をしていて、頼もしく感じました。
親が心配するよりも、周囲にその個性を受け入れられ始めているのかもしれません。
思ったより出来ていた入学式
家にいると、グダグダゴロゴロで、人の話も耳に入っているのか?入っていないのか?かなりひどい状態なのですが、担任の先生の質問にもその都度、きちんと反応していてかなり頑張っていました。
入学式でも、時折常道運動をするものの、1時間弱の式を邪魔することなく案外落ち着いて参加出来ました。
心配していたような惨状にならなかったことにひとまず「ほっ」と肩をなで下ろし、成長を感じて感無量です。
準備や支度が苦手です
その一方で、ランドセルの片付けなど「今やらなければならないこと」に注意を向けるのが苦手です。
朝の支度もそう。
「遅刻したくない」気持ちと、タスクをこなすだけのモチベーションの維持の難しさの間で、息子自身、ジレンマを感じているようです。
常時横で「次は○○」と言い続けていないと、すぐにぼーっとしてしまうのです。
あまり言い続けていると切れるので、やっかいです(笑)
ですが学校では、個人で動かなければならないことは、格段に増えるでしょうし、ぼーっとしていたら置いて行かれてしまいます。
支援級なので、手厚い支援があるとは思いますが、それでも、息子にとって学校生活は疲れる日々となることでしょう。
子どもたちの中でもまれながら、さらなる成長をしていって欲しいと願います。
子ども|「YouTubeが問題」なんではなく「どう見るか」なんじゃない?
〝ウザがられる〟その日が来るまで、息子の興味を一緒に追求したい、Kazenoyaです。
テレビばっかり見てると
「悪い影響を受ける」
「目が悪くなる」
と〝親が〟言われていた世代です。
今は「テレビ」のところが「YouTube」に変化しましたね。
超テレビっ子だった子ども時代と、今
kazenoyaは母子家庭で育ち、その母は経営者で、よく働いため、いわゆる「鍵っ子」育ちです。鍵っ子って今時、死語でしょうか?(笑)
学童から歩いて帰り(5時頃)、家で母の帰りを待つ間、ほぼずっとテレビを見ていました。帰ると、まずテレビのスイッチをつけるのが日課。
今になって、当時の母の帰宅時間は何時頃だったのか?と考えますが、夜早く寝ていた記憶があるので、案外早かったのかもしれません。
だとすると、視聴時間は1日2〜3時間でしょうか。
ただ、高学年の時には学童へ行っていなかったので、さらにテレビの視聴時間は長くなったんじゃないかな?と思います。
そのkazenoyaですが、今、自発的にテレビを見ることはほぼゼロです。
夫が撮っておいてくれる録画を、たま〜に一緒に見るぐらい。あとは息子と映画などを見るぐらい。
20歳頃には、テレビのない生活も体験しています。
基本、あまりテレビが好きではありません。
一方的に流されるニュースも、バカ騒ぎ的な悪ノリが目立つバラエティも、苦手です。テレビの悪影響は受けていないように思います。子どもの頃は、あまり深く考えずに毎日のように見ていたんですけどね。
息子はどうYouTubeを見ているのか?
kazenoya家で今YouTubeを見られるのは、夫、kazenoya、息子のそれぞれのスマホ(タブレット)と、夫、kazenoyaのパソコン、それとリビング・おじいちゃんの部屋のテレビです。
夫とkazneoyaのスマホ・タブレット、パソコンは個人的なものなので、息子は見ません。
息子が見るのは、おじいちゃんの部屋のテレビとリビングのテレビ、それと自分のタブレットです。
(おじいちゃんの部屋では、自分のタブレットからいきなり転送して見始めるので、おじいちゃんに嫌がられています(笑)
このうちタブレットにはYouTubekidsアプリをインストールして見ています。子ども向けの、いわゆるE●レみたいな感じのヤツをよく見ています。好きなのは「まめきゅん」で、韓国で作られた教育アニメだそうです。
テレビでは、YouTubekidsアプリの設定が、なぜか出来ないので、大人向けのを見ているため、ゲーム実況(マイクラにハマり中)などを見ていて、母であるkazenoyaによく嫌がられています。好きなのは、いわゆるYouTuber的なものではなくて、アニメっぽいヤツです。VTuberってヤツでしょうか。
母としては、タブレットをあまり見ていると目が心配です。なので長く見ないように注意しています。時間を決めて上から「ダメ」と言うことはできるだけ避け、「目が悪くなっちゃうからそろそろやめよう」と言っています。
テレビで見る時は、可能な限り一緒に見て
「ここがスゴイ」
「こんなのは見たくない」など、親としての感想を伝える場にしています。
親の価値観、社会の価値観、自分の価値観など、それぞれの価値観があることが分かり始める年頃だと思うし、いろいろな価値観を知ったうえで、自分の思いを主張出来るように育って欲しいという思いがあります。
現実も映像も、体験を共有する。
絵本だって、勝手に読ませていたらどんな本を読むか?わかったもんじゃありません。怖い絵本に出会ってしまった時、親が近くにいなかったり、いても「忙しいから後にして」と、気がつかなかったりしたら、トラウマになる。
怖い物語に出会ったり、いきなり怒られたり大失敗をしでかしたりして怖い思いをしたり。
それって、リアルでもバーチャルでも一緒のことだと思います。
悪い影響になるのか、はたまた次に同じようなことに遭遇した時、自分を守れるようになる、価値ある体験となるかは、そこに同席した大人次第。だからこそ、どんな体験も保育者と共有し、保育者からのサポートが受けられることが、子どもにとって大切なことじゃないかな。
「怖かったね」などと声をかけてもらって、その経験を消化する。そんな簡単なことで、次に進めるか?トラウマになるのかが変わってくるんだと思うのです。
余談ですが、災害時などの子どものトラウマも、大人側に余裕がなく、傷ついた子どもの心のケアを後回しにしてしまうことが大きなリスクになるんだそうです。
手がかかる息子で良かったのかも。
〝通常の3倍手のかかる〟息子ですから、テレビだって動画だって「ねぇねぇ一緒に見ようよ」です。
でも、それで良かったのかも。
手のかからないよく出来た娘なら、いろいろな経験を一人でさせてしまっていたかもしれません。
私がスマホに夢中でも
「ケータイばっかり見てないで遊ぼう」と言ってくれる息子で良かった。
出来の悪い母だから、手のかかる息子がやって来て、やっとこさ母業させてもらっているのだと思うことにします。
母と一緒に読書した思い出。
そういえば、kazenoyaは読書好き。
小学校高学年の時に子ども向けの文学全集的なものを定期購読してもらい、読んでいました。当時はあまりうれしくなかった。
しばらくして、
「そろそろシリーズ物を読んでみたら」
と勧められたのが、文庫版のドリトル先生でした。
これにハマった。そして母もそれを読んだ。
これ以降、私がハマって読む普通の小説はもちろん、マンガやコバルト文庫(懐かしい!まだあるのか?)までも、「読んだら貸して」と一緒に読んでいました。
この、「一緒に」ってのが大切なんだろうな、きっと。
自分の興味のあるものに母親が興味を持ってくれる経験って、案外うれしいものです。「あれ、面白かったね」と言ってもらえることは、自分の〝見る目〟に自信を持つことにもつながります。
「アホ男子」が止まらないのは動画のせい?
そうは思うものの、下ネタ好きのアホ男子化が止まらない気がするのは、気のせいだろうか?とちょっと心配です。
ウ●コ、オ●リが好きなこと好きなこと!
今から二次元の女子に萌えているのも、ちょっと気になります(笑。
やっぱり、悪い影響は受けているのだろうか…。
さらに、アホ動画を見てはゲラ笑い。
そんな息子を見て「やっぱ男子ってアホよね」と、小学生女子のような発言をしてしまう、四十路過ぎのkazenoyaなのでした。
発達支援の体操教室最後の日「参観日」
過去ブログを読み直して、息子の成長っぷりに驚く、kazenoyaです。
年中から通っていた発達支援の体操教室が最後の日を迎え、簡単な参観日がありました。
思えば大爆笑したあの日が最初。
本当に貴重な時間を過ごさせてもらったんだと、感謝しかありません。
家では絶対にやらせられなかっただろう、危険な遊び(?)を、自分と似た特性の仲間とともに思う存分遊びつくし、先生をリスペクトして過ごした2年間は、息子にとってかけがえのないものだったと思います。
体幹・姿勢が驚くほどしっかりした
普段の家での様子は本当にトドのようで、ダラダラごろごろしているようにしか見えませんが、参観日での息子のタントラジャンプには目を見張りました。
お尻やお腹がクネクネすることなく、しっかりと体制を維持しながらジャンプ出来ていました。
それよりも何よりもの驚きは、先生の指示をちゃんと聞こうとしている姿勢。失敗してもおちゃらけたり、ごまかしたりしようとせずに、「間違えちゃった」と自分で申告する様子。どれもこれも、家とは大違いでびっくり。
「よろしくお願いします」「ありがとうございました」の挨拶もきっちり。
もちろん、キョロキョロ系も残存していますし、指示の通りにくさも残っています。
「耳天状態」なのか?マイルールなのか?判断に迷うような不思議行動も、無くなってはいません。
でも、難しい指示でも、先生の言葉の意味を一生懸命に理解しようとしている様子が伝わってきて、母として、「コレは誰だ」状態でした。
確実に、家では見せない顔でした。
※ちなみに、耳天は「お耳が天井に行っちゃってる」という息子本人の言葉からの造語です。最近では「お耳天井に行っちゃってた?」と聞くと「ううん、月に行ってたよ」と返す、ユーモアの成長(?)も見せてくれています。耳月か?
案外わかってない、子どもの得手不得手。
発達特性ゆえ、得手不得手の差が激しい息子。
それ自体は医者からもよく言われていて、発達検査の結果でも数値で出ているので、理解しているつもりでした。
ですが、実際に目で見るというのは、こんなにも違うことだと気づかされます。
指示の通りにくさだとか、耳天だとかに気をとられがちで、細かな得手不得手まで気がついてあげられていないんだと、気づかされました。
参観で、とてもよくわかった苦手さ・得意なことを、覚え書きにしておきたいと思います。
【苦手なこと】
・後ろ向きで行うこと(タントラ後ろジャンプ、平均台後ろ歩き、後ろ向きでのでんぐり返し)
・手首足首が硬い。
・人の動きの真似(空間的な認識?どんな形なのか)
・股関節が硬い。(体が硬い)
【得意なこと】
・全体像の把握(先生が何を指示をしようとしているのか)
・トランポリン(脚力が強い)
・腹筋・腕の力は、思っていたより、付いてきている印象。
・出来るまでチャレンジする姿勢
全体像を把握するのはチョッパヤなのですが、それ故、「あ、わかったわかった!」的に突っ走ってしまうことが多く、注意を受けていました。そんな時はもちろん「耳月状態」です。叱るのではなく、よい方向に伸ばしてあげたいものです。
息子が帰ってきたら、チャレンジする姿勢や、先生の言葉を理解しようとする頑張り、トランポリンの上手さ、腹筋や腕の力で高いところに登れるようになったことを、思いっきり褒めてあげたいと思います。
親とは違う大人と関わって、育つこと
体操教室の先生は、若い男の先生です。
わが家は高齢夫婦で、父母はおじさんとおばさん(笑)。
保育園の先生は、男の先生もいましたが、今は女性の保育士です。
体操の先生は、保育士とはまた全然違い、時に厳しく、時に息子と近い目線で関わってくれる、貴重な存在だと感じました。
自分の経験から、成長の早い大柄な子は、ぐんぐん伸びることで筋力が追いつかなくなること、それによって運動苦手意識を持ってしまう子がいることなどを教えてくれました。
息子も、かっこよくなんでも出来る先生(体操の選手を育成する教室の先生が本業なので)にリスペクトしている様子でした。
私が確実に怒るようなこと(危険なこと!)も、ここではOKだし、先生だって、やっちゃいます。
昔なら、近所のガキ大将が教えてくれたようなこと。
今の生活では、もう無理なこと。
背丈以上の深い「スポンジプール」で体全体を使ってもがき苦しむ(笑)ことだとか。
(昔の子は野山で駆けずりまわったり、代掻きとかで泥にまみれて経験したことかも)
本当に貴重な成長の経験だったのだと知り、よい参観になりました。